第12話 神之片鱗 武甕槌
宵と叶多は静かに立ち上がり、ステージ中央へと歩み出る。
観客席の生徒たちの視線が、一斉に二人へと注がれる。咲弥も、腕を組んだまま無言で見つめていた。珠璃は胸元で指を組み、不安そうに息を呑む。
叶多はというと、ステージへ向かうその直前まで隣に座る珠璃に向かって、
「ねえ、珠璃ちゃん。この演習ホール、空の投影はどうやって切り替えてるんだろうね? 投影系の導かな、それとも光屈折系?」
などと、あくまでマイペースに好奇心丸出しの笑みを浮かべながら話していた。その横顔に緊張の色は一切なく、まるで遠足前の生徒のように目を輝かせていたほどだ。
二人が対面したとき、セリエ先生はそっと一歩前へ出て、柔らかな声で告げた。
「では、おふたりとも――始めてください」
その瞬間だった。
まるで仮面が外れたかのように、叶多の雰囲気が変わる。
叶多は腰に木刀を持っていき、柄に手を添えて構えに入った。そしてその瞬間、空気が変わったのだ。
さっきまでの柔和で好奇心の塊だった彼は、すっと目の色を変える。その表情から笑みが消え、身のこなしに無駄がなくなる。姿勢は低く、両足はしっかりと地を捉えている。まるで熟練の剣士のようだ。闘気が走る。
試合開始の合図とともに、俺はすぐに踏み出した。木剣を構えたまま、地を蹴る。
(まずは――間合いを取る)
対する叶多は、焦る様子もなく、静かに木刀を抜いた。
「……なるほどね」
俺の一撃を正面から受けず、体を半歩引いていなした叶多が、ぽつりと漏らす。
「宵は剣筋が綺麗だね。少し鋭すぎるけど」
「叶多は気配を断つのが上手いな」
次の瞬間、地を滑るような低姿勢で迫ってくる。俺はすかさず後退し、逆袈裟に木剣を振る。
だが、叶多はそれを見切っていた。木刀の側面で受け、衝撃をいなしながら、滑らかな動作で体を回転させる。そのまま俺の背後を取ろうとする動きへ。
「――甘いッ!」
すぐさま振り返りながら、木剣で牽制。互いに触れる寸前の距離で動きが止まる。
観客席がどよめくのがわかった。緊張と興奮が、空気に広がっている。
(想像以上に強い……!これが叶多の刀術か)
宵の額に汗が浮かぶ。だが、それは恐怖ではなかった。楽しい、そう思った。これほどの剣士と、力の出し惜しみなしに剣を交えられる。
叶多もまた、表情こそ変えないが、その視線の奥には熱が宿っていた。
「宵は闇の使い手だけど……剣術の型は正統派でまっすぐ、純粋なんだね」
「導に頼れない今は、これが全てだからな」
一合、また一合。打ち合いは続く。音もなく、だが確実に、互いの木刀と木剣が交錯する。
どちらもまだ神之片鱗には手をつけていない。だが、それでも戦場の熱量は十分すぎるほどだった。
(相手の力も、癖も、読めるようになってきたな……)
手応えと緊張感がせめぎ合う。誰かの命を奪うための戦いではない。だが、互いに全力で、だからこそ美しい。
打ち合いに少しの空白が生まれた時だった。
「――こんなに楽しい準備運動は久し振りよ……それじゃあそろそろ本番を始めようか!」
そう言った叶多の気配が再びふっと変わる。そして持っていた木刀を静かに床に置いた。
そして叶多は虚空に右手を突き出す。目を閉じ、集中力を高める。暫くすると、叶多の周りが黄色と紫色の細かい電気で帯電し始め、その光が空間を照らし出す。
「――フゥゥゥゥゥゥゥゥ」
深く息をはいた叶多はゆっくりと目を開ける。
「神之片鱗 武甕槌」
瞬間、空間に亀裂が走り、そこから激しい雷光を纏った刀が姿を現した。
細身で流麗な曲線を描いた刃。刀身には紫電が脈打つように走り、まるでそれ自体が生きているかのようだった。
観客席が息を呑む中、叶多はその刀を静かに片手で受け取り、すっと構える。
「――これが、僕の本気……模擬戦だから出力は抑えてあるけどね」
(あれが……叶多の神之片鱗)
俺は、じり、と足を引いた。けれどそれは恐怖ではなかった。むしろ、ようやく辿り着いた、心が震えるような瞬間。目の前の剣士に、自然と口元が緩む。
「誠意には誠意で返さないとな……」
――神之片鱗。
この試験の前、前の学校での実技試験の場で一度だけ、俺はそれを発現させたことがあった。だが、あの時は本能と衝動だけで、導に突き動かされるままに、気付けば発動していた。
何も考えず、ただ我武者羅に手を伸ばした。
(あの感覚を……思い出せ。あのとき、俺は……)
世界が沈んでいた。視界は暗く、時間さえ止まったようだった。底なしの深淵。
俺はゆっくりと目を閉じ、深く、静かに息を吸い込む。
意識を闇の底へと沈めていく。音が消え、光が遠ざかり、すべてが静寂に包まれる。
そこにあるのは、恐れでも、怒りでもない。俺の中にずっとあった《《何か》》を、ただ見つめる。
そしてゆっくりと、手を前に伸ばす。
思い出せ。あの時の鼓動、あの時の感覚――
「……神之片鱗 闇御津羽」
刹那、周囲の空間が波打った。演習ホールの夜が一層濃くなる。
床に闇が広がり、空間そのものがわずかに歪む。そして、俺の前に虚空から凄まじいまでの圧を持つ禍々しい短剣が姿を現した。
それは、まるで闇を具現化したような漆黒で、柄の部分は闇を彷彿させるような紫紺の霞が揺らめき、仄かに灯っていた。
手を伸ばし、それを握った瞬間、俺の意識がゴソッと持ってかれたようにふらついた。
「……見せてやるよ」
目を開いた俺の視線の先、叶多がうっすらと微笑んだ。
「さぁ始めようか!」
「望むところだ!」
宵は短剣を目前に構え、わずかに膝を曲げて重心を落とす。視線はまっすぐ叶多を捉えていた。