第四章-7
最後の作戦会議を終え、俺たちはそれぞれの部屋に戻った。明日に備えて、少しでも休息を取る必要がある。幸いこの王都の宿舎にはこれまでの苦労が嘘のような、広々とした大浴場が備え付けられていた。……もちろん、男女別だ! これは本当にありがたい!
俺が一人で男湯(広すぎて逆に落ち着かない!)の湯船に浸かり、明日の戦いについて思考を巡らせていると……壁の向こう、おそらく女湯から、ヒロインたちの楽しそうな、そして……なんだか、聞いているこっちが恥ずかしくなるような、妙に具体的な単語が混じる声や水音が聞こえてくるのだ!
「獣! 貴様、その下品な視線は何ですの! 無礼にもほどがありますわよ!」
「へへーん! やっぱセレネのはデカいなー! 形もいいけどよぉ、弾力はやっぱアタシの方が上だぜ! ……って、痛てっ! つねんなこの魔族女!」
「ひゃぅぅ! み、見ないでくださいぃぃ……ミャオちゃんもセレネさんも、その……豊かで、すごいですぅ……わ、私なんて……」
「ふむ……個体差、興味深いですね。リリアさんのそれは……なるほど、柔らかな質感。ミャオさんのは……引き締まった筋肉との対比が。セレネさんのは……計算された黄金比、でしょうか。そしてわたくしのは……」
「こら! 貴様もだ、月の娘! 人の体をジロジロと! 観察対象にするんじゃありません! 不敬ですわよ!」
「いいじゃねーか、減るもんじゃねーし! なあなあ、ルナのはどうなんだ? なんかスベスベしてそうだけど、大きさは……ちょっと見せてみろって!」「あらあら……ふふ」
……な、なんだ今の会話は!? ま、まさか、互いの裸体を比較検討しているのか!? あの転送ハプニングで、ついに羞恥心のタガが外れてしまったというのか!? くそっ! 聞こえすぎだろ、この壁! 断じて聞き耳を立てているわけではない! だが、想像力が! 俺の豊かな想像力が、湯けむりの向こうの光景……リリアの恥じらう柔肌! ミャオの自信満々な(でも多分顔は赤い)小麦色の肢体! セレネの屈辱と怒りに染まる完璧ボディ! ルナの冷静(?)な観察眼と神秘の肌! ……を、克明に描き出しちまう! ああああ、もうダメだ! ぶはっ! 俺は慌てて鼻に栓(温泉にあった手ぬぐいを丸めたものだ!)をし、湯船から飛び出した! これ以上ここにいたら、俺は間違いなく明日の決戦前に、別の意味で昇天してしまう!
部屋に戻って少し落ち着いた後、俺は気分転換に宿舎の広いバルコニーへ出て、夜風にあたることにした。眼下には、宝石を散りばめたように輝くアークライト王国の夜景が広がっている。そして、その中心には、ライトアップされて荘厳な姿を見せる『天空劇場ソラリス』が聳え立っていた。あれが、明日の決戦の舞台か……。
「……ジョージさん?」
不意に、背後から優しい声がかかった。振り返ると、そこには湯上りなのだろう、頬をほんのり上気させ、白いシンプルなワンピースタイプの寝間着に身を包んだリリアが立っていた。濡れた金髪からは、甘い花の香りが漂ってくる。
「眠れないのか?」
「はい……少しだけ……。ジョージさんも?」
「まあな」俺が苦笑すると、彼女は俺の隣に来て、手すりに寄りかかった。「あの……ジョージさん。私、明日、頑張ります。ジョージさんが信じてくれた、私の歌の力を……今度こそ、ちゃんと届けますから」
「ああ、期待してる」
「……ありがとうございます」リリアは嬉しそうに微笑むと、そっと、傷が癒えた俺の左腕に、自分の手を重ねてきた。その小さな手の温かさに、俺の心臓がまた跳ねる。
「おーい、二人とも、何してんだー?」
そこへ、元気な声と共にミャオが現れた。彼女はオレンジ色のタンクトップと短パンという、いつもの寝間着スタイルだ。湯上りのせいか、その健康的な小麦色の肌は艶めかしく光り、短い髪からは爽やかな石鹸の香りがする。
「な、何言ってんだ、ミャオ」 俺は少し慌てて答えた。「別に抜け駆けとかじゃないぞ? ただ、明日のことで少し話してただけだ」
「ふーん?」ミャオは俺たちをニヤニヤと見ると、俺の隣にドカッと座り込んだ。「なあ、プロデューサー! 明日はアタシが一番活躍すっからな! あんたは、ちゃんとアタシだけ見てろよ!」
そう言って俺の肩をバンバン叩く。近い! そして柔らかい部分が腕に当たってる!
「……夜風にあたるのは結構ですが、湯冷めしますわよ、下僕」
今度はセレネだ。彼女は、深紅のシルクのネグリジェを優雅に纏っている。月明かりを受けて艶やかに光る黒髪、ネグリジェの深い胸元から覗く白い肌が、恐ろしく色っぽい!
「別に、下僕の心配をしているわけではありませんが。貴方が風邪でも引いて、明日の指揮を疎かにされては迷惑ですから」
彼女は俺の隣に立ち、夜景を見下ろしながら、ツンとした口調で言う。だが、その横顔はどこか優しく、彼女から漂う高貴な花の香りが、俺の心を乱した。
「……星が、とても綺麗ですね」
最後に、音もなくルナが現れた。彼女も白いシンプルなワンピースタイプの寝間着だが、その姿は神秘的だ。濡れた銀髪が月光を反射して、光そのものを纏っているかのよう。
「ええ。明日の貴方たちの輝きを、星々も祝福しているようです」彼女は俺の隣に静かに座ると、俺の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。「……わたくしも、信じていますよ。貴方と、貴方たちが紡ぐ、希望の歌を」
その紫色の瞳に見つめられると、吸い込まれそうになる。彼女から漂う、月のような、あるいは夜露のような、不思議で落ち着く香りに、心が安らぐような、それでいてざわつくような……。
結局、俺はバルコニーで、寝間着姿の四人の美少女に完全に囲まれる形になっていた。
左腕にはリリアの温もり、右隣にはミャオの熱気、背後にはセレネの気配、そして正面にはルナの神秘的な眼差し……。それぞれの体温、それぞれの香り、そして俺に向けられる真っ直ぐな信頼と(それ以上の?)想い。
(……もう、どうにでもなれ!)
俺は、抵抗を諦めた。彼女たちの想いを、全て受け止めよう。そして、明日、必ず勝つ!
「ああ、最高のステージにしよう」俺は、夜空に誓うように言った。「そして、必ず全員で笑って終わるんだ!」
俺の言葉に、四人のヒロインたちは、それぞれの美しい笑顔で、力強く頷き返した。
アークライト王国の全土が注目する『星脈のセレナーデ』最終審査の日がやってきた。会場となるのは、王都の象徴ともいえる巨大な円形劇場『天空劇場ソラリス』。その美しい外観とは裏腹に、内部は数万の観客を収容できる巨大な空間となっていた。
俺たち『セレスティアル・ノート』は、舞台袖の控え室で、その瞬間を待っていた。客席は既に超満員だ。平民から貴族、そして国王陛下をはじめとする王族や各国の使節まで、ありとあらゆる人々が、この最終決戦を見守るために集まっている。会場全体が、尋常ではない熱気と興奮、そしてどこか張り詰めたような緊張感に包まれていた。それは、単なるアイドルオーディションの決勝戦というだけではない、この国の未来を左右するかもしれない、運命の瞬間への予感がさせるものだった。
ステージ中央には、この最終審査のために特別に設置されたのであろう、祭壇のような、あるいは巨大な魔力増幅装置のような、異様な存在感を放つオブジェが鎮座している。表面には複雑な紋様が刻まれ、淡い光を放っているが、俺にはそれが、大神官長アルテミスの邪悪な陰謀と無関係だとは思えなかった。ルナも、「……強いマナを感じますが、どこか歪です。気を付けて」と警告している。
華やかなファンファーレと共に、最終審査が開始された。司会者(有名な吟遊詩人か何かだろうか)が高らかに開会を宣言し、会場のボルテージは一気に最高潮へと達する。
最初にステージに登場したのは、やはり、優勝候補筆頭、『レーヴ・ロワイヤル』だった。
「キャー! ロザリア様ー!」
「ヴィオラ様、素敵ー!」
「クラリスちゃーん!」
地鳴りのような歓声の中、ロザリア・ド・ヴァレンティ、ヴィオラ・アイゼンリート、クラリス・メイフィールドの三人が、完璧なフォーメーションでステージ中央へと進み出る。その衣装は、白と金、そしてそれぞれのイメージカラー(ロザリアは深紅、ヴィオラは青、クラリスはピンク)を基調とした、豪華絢爛なデザインだ。
彼女たちが披露したのは、クラシック音楽をベースにしたような、気高く、そして超絶技巧を要する楽曲だった。ロザリアの圧倒的な歌唱力とカリスマ、ヴィオラの正確無比な魔法技術による演出、そしてクラリスの計算され尽くした愛らしいダンスと表情……。それは、まさに『完璧』という言葉がふさわしい、一点の隙もないパフォーマンスだった。観客は完全に魅了され、曲が終わると割れんばかりの拍手と喝采が劇場全体を揺るがした。
「……すごいな、やっぱり」俺は舞台袖で、思わず呟いていた。技術レベル、完成度、そして観客を惹きつける力……どれをとっても、今の俺たちが真正面からぶつかって勝てる相手ではないかもしれない。
「……」隣を見ると、ミャオもセレネも、悔しそうな、しかし同時に相手の実力を認めざるを得ないといった複雑な表情でステージを見つめていた。リリアは、少しだけ不安そうに唇を噛んでいる。ルナだけが、変わらぬ静かな表情でステージを見据えていた。
そして、ついに俺たちの名前が呼ばれた。
「続きましては、数々の試練を乗り越え、奇跡的なパフォーマンスでこの決勝の舞台へと駒を進めてまいりました! 新たなる希望の星となるか!? チーム『セレスティアル・ノート』の登場です!」
俺は、ステージへと向かう4人の背中を見送った。彼女たちが身に纏うのは、俺たちが嘆きの島で、そして王都に戻ってから改良を重ねた、最終決戦用の新しい衣装だ。
それぞれのメンバーカラー(リリア:ペールグリーン、ミャオ:オレンジ、セレネ:深紅、ルナ:紫)を基調としながらも、戦闘での動きやすさを考慮した軽やかな素材(魔法繊維か?)と、アイドルとしての輝きを放つキラキラした装飾(光る石や羽根飾りなど)が絶妙に組み合わされている。嘆きの島での手作り衣装とは比べ物にならないほど洗練されているが、どこか温かみも感じられるデザインだ。そして……正直に言って、露出度も以前より若干上がっている気がする! 特にミャオの腹筋や、セレネの脚線美、リリアの肩のライン、ルナのミステリアスな雰囲気を強調するような……いやいや、今はそんなことを考えてる場合じゃない!
ステージ中央へと進み出る、リリア、ミャオ、セレネ、ルナ。その表情には、極度の緊張と、しかしそれを上回る強い決意が浮かんでいた。これまでの苦難、仲間との絆、そして未来への希望……その全てが、彼女たちの瞳の中で輝いている。
四人は、ポジションにつくと、一瞬だけ、舞台袖の俺の方を見た。俺は、言葉にならない想いを込めて、力強く頷き返す。
大丈夫だ。お前たちならできる。俺が、俺たちが、それを証明するんだ。
四人もまた、固い決意を込めた視線を俺に返し、そして、正面を向いた。彼女たちの心は、完全に一つになっていた。
息を呑むような静寂の後、希望に満ちた、力強いイントロが流れ始める! 俺たちが未来を掴むための歌、『オーバーライト・フューチャー』!
リリアが声を響かせようと、そっと息を吸い込んだ―――まさに、その瞬間だった。
ブツンッ!
突如、会場の全ての照明が消え、劇場全体が完全な闇に包まれた!
「なっ!?」「きゃっ!」
観客席から、驚きと戸惑いの声が上がる。停電か? いや、違う! これは……!
ゴゴゴゴゴ……!
足元から、不気味な地響きが伝わってくる! ステージが、劇場全体が、まるで生き物のように唸りを上げている!
そして、ステージ中央に鎮座していた、祭壇のような巨大なマナ集積装置が、禍々しい紫色の光を放ち始めたのだ! 光は渦を巻きながら天へと昇り、同時に、劇場全体をドーム状の巨大な闇の結界が覆っていく!
「な、なんだこれは!?」「結界!?」「出られないぞ!」
観客席は完全にパニック状態だ! 悲鳴と絶叫が、闇の中で木霊する!
俺たちも、あまりの事態に言葉を失い、ただ呆然とその光景を見つめていた。
すると、禍々しい光を放つ中央装置の真上から、ゆっくりと、一人の人影が降りてきた。
白と金を基調とした豪奢な神官服。月光を浴びたような銀色の髪。陶器のように白い肌と、中性的なまでに整った美しい顔立ち……大神官長アルテミス!
だが、その姿は、俺たちが知る慈悲深き聖職者のそれとは、明らかに異なっていた。その身からは、神聖さとは対極の、冷たく、底知れない闇のオーラが立ち昇り、穏やかだったはずの紫水晶のような瞳は、今は深淵を覗き込むかのような、暗く、そして狂的な光を宿していた!
「時は満ちた」
アルテミスの声が、魔法によって増幅され、劇場全体に響き渡った。その声は、優雅でありながら、絶対的な支配者のそれだった。
「愚かなる民よ! この祝祭……『星脈のセレナーデ』は、我が理想世界を築くための『星脈』……すなわち、新たなる世界を創造するための膨大なエネルギーを集積させるための、壮大な儀式にすぎぬ!」
彼は、パニックに陥る観客たちを見下ろし、恍惚とした表情で両手を広げた。
「そして今、この『天空劇場ソラリス』という名の祭壇に、アークライト中から集められた祈り、熱狂、そして……貴様たちの生命エネルギーそのものが満ち溢れている!」
彼の言葉と共に、闇の結界がさらに強く輝き、観客席から悲鳴と共に、青白い光(マナ、あるいは生命力)が吸い上げられ、中央装置へと流れ込んでいくのが見えた!
「なっ……!? 俺たちの力を……吸い取ってるのか!?」
「やめろ!」
観客たちの絶叫が響くが、アルテミスは意にも介さない。
「安心するがよい。貴様たちの苦しみと絶望は、決して無駄にはならぬ。それは、穢れたこの旧世界を浄化し、新たなる秩序と調和に満ちた、真に美しき世界を創造するための、尊い礎となるのだから!」
そして、アルテミスの冷酷な視線が、ステージ上で立ち尽くす俺たち『セレスティアル・ノート』に向けられた。
「そして、そこの『原石』たちよ。君たちの放つ、ひときわ強く、純粋な輝き……それこそが、新世界の誕生を促す、最後の『鍵』となる! 君たちの希望も、絶望も、その魂の輝きの全てが、我が力の糧となるのだ!」
彼の宣言と共に、ステージ上、そして客席通路の各所に、禍々しい魔法陣が次々と描き出され、そこから異形の影が現れ始めた! 闇のオーラを纏い、赤い目を光らせる強化された神官戦士たち! そして、嘆きの島で見たような、あるいはそれ以上に巨大で凶暴な、漆黒の魔物たち!
「ヒィィィッ!」「助けてくれ!」
会場は、もはや阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた!
これが、大神官長アルテミスの真の姿……そして、彼の恐るべき陰謀!
『星脈のセレナーデ』は、新たなるアイドルを生み出すための祝祭などではなかった。それは、アルテミスが自身の野望を成就させるためだけに仕組んだ、巨大な罠だったのだ!
「……アルテミス……!!」
俺は、怒りに震えながら、ステージ上の偽りの神を睨みつけた。




