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――朝8時頃、ロンドン警視庁は常に慌ただしく、今も取り調べ室で犯人との難易度の高い心理戦を繰り広げていた。
「吐けやゴラァッ!!」
キャンベルが興奮気味でフレドリックを何度も殴り、顔全体をあざだらけにしていた。
白い壁に囲まれており、中心にテーブルと2つの椅子。
部屋の隅にはカメラが4つずつ設置し、一面だけマジックミラーが貼られている。
フレドリックの右腕はギプスで固定され、右目も眼帯で保護されている状態。
彼の目の前には手すりがあり、そこから左手首の手錠と繋がっていた。
「…おい、今時警察がこんなこと許されると思って――ぶッ!!」
「ゴチャゴチャうるせんだよ。
お前らみたいなチンピラは、これがちょうど良いんだよ」
フレドリックの発言が気に入らず、もう1発お見舞いする。
「この部屋は特別でな。
お前らみたいな奴等を無能にするための拷問部屋なんだよ」
乖燠製の手錠と壁に包まれている中、例え疳之虫を顕現したとしても、すぐに霊圧が失われていくだろう。
「まッ、その腕じゃどうにもならねェかァ!?」
キャンベルが煽って嘲笑っているうちに、彼の表情が険しくなっていく。
「何だその目は? おおッ!?」
キャンベルは、彼の目つきが気に入らず、右ストレートを炸裂させると、フレドリックの口内が切れてしまい、唇から血を流し出す。
「おい、チンピラ、何度でも聞くぞ。
帳簿はどこだ?」
「だからッ、言ってんだろ。
店の金庫に――」
「シラばっくれてんじゃねえぞッ!!
「ぐッ!!」
フレドリックは、頭をテーブルに叩きつけられ、そのまま力づくで押し付けられる。
「無かったから訊いてんだろうがッ!!
いい加減吐けやァッ!!」
怒りに任せ、頭を何度も叩きつけられる。
荒ぶる彼をマジックミラーの向こうで傍観する捜査員達。
「なんでこんな古臭いやり方やってんスか?
効率悪すぎッスよ」
「焦ってんだろ、最近、嫁ともうまくいってないみたいだし、憂さ晴らしも兼ねてんだろ」
「う〜わ、恥ッず…」
呆れた2人は、彼の八つ当たりをしばらく放任していたのだった。
――目が覚めると、天井のシミや部屋の匂いで自分がどこにいるのか把握できた。
「う…、ん…」
まだ頭に靄がかかっている状態で、気怠かったため、寝直すことにした。
しかし、何やら左手が引っかかって寝返りを打つことができず、薄目で確認すると手錠をかけられていることに驚愕する。
「なん…ッ?」
急な脳の覚醒に頭痛を起こすが、それどころではない。
ベンはベッドで横になっており、手錠はヘッドボードに繋がっている。
まるで、初めてこの部屋に来た時と全く同じ状況ではないか。
ただ、あの時との違いは、この場にリアムがいないことだった。
なぜ自分がこのような仕打ちを受けているのか、原因を探るべく記憶をたどることにした。
最後に覚えているのは、工場でギャングを一掃し、リアムが助けに来てコーヒーを手渡された。
そこで、ハッとする。
おそらくあの時のスティックシュガーに睡眠薬を混入していたのだろう。
そこから記憶がなく、気が付けばいつものアパートにいた。
眠らされた理由は謎だが、もう1つ気がかりなことがある。
――探し物が見つかった。
彼のセリフとキャンベルから連想されるのは、おそらく帳簿関係のことだろう。
なぜ、リアムはフリドリックが帳簿を持っていると分かったのか?
「訳が分からない…」
ベンはボそっとつぶやき、これ以上考えることを放棄した。
とりあえずここから逃げることに専念し、ブーツを脱ぎ始め、両足を左手が届くところまで上げた。
靴下を掴んで片方ずつ引き抜き、一足を口で噛みながら左手にはめ、これを片手と口でやるのは非常に難儀であり、ベンの表情も険しくなっていく。
しっかり引き上げた後、手錠を包み込むようにはめ込み、もう一足をわずかな隙間に突っ込んだ。
やっと準備ができ、いよいよ左手を抜く作業へと移る。
靴下を包んだ手錠を噛み、手首からなるべく手の甲へと上げていく。
これ以上行かなくなると、今度はヘッドボードに手錠を引っ掛け、左手を引っ張りながら口でちょっとずつ手錠をずらしていく。
「ぐッ…、ぐッ…」
靴下で肌をカバーしているとはいえ、窮屈さに骨が悲鳴を上げている。
やがて、ついに左手が抜け、手錠から離れることができた。
「あ〜、痛ェ〜…」
小声で弱音を吐き、痛みを払うかのように左手を振る。
そこから急いで靴下をなどを履き直し、自身の持ち物を探していると、テーブルのあるものに目が止まった。
それはかなり厚みのあるファイルで、付箋がページから何枚もはみ出ていた。
ベンはゆっくり表紙を開き、1枚1枚めくるごとに名前、日付け、出身地、電話番号が走り書きで記載されていた。
そして、他にもパスポートや免許書のコピーが挟まっており、映っている顔写真は、皆若い子供、女だった。
ページを追う度にベンの表情は強張っていき、やがてピタッと手を止め、自身の目を疑った。
「…は?」
それを見て身体は硬直し、手に汗を握りながら、しばらくファイルを凝視する。
その時――。
「うううううッ!!」
突然、身体に電流が走り、その場に倒れ込んでしまった。
「少々、お前を甘く見ていたようだ」
ベンの身体に電極コードが刺さり、それは物陰へと続いていた。
「つくづく驚かされるよ、ベン」
物陰からリアムが現れ、テーザー銃を手に穏やかに話しかける。
「てッ、テメェッ!! これは、一体ッ!?」
激痛とともに体が麻痺し、四肢の自由がきかない。
リアムは、冷たい目つきでベンの腕をつかみ、床を引きずってベッドへと運ぶ。
手錠の鍵穴を確認し、改めてベンを称賛する。
「どうやって外したのかは知らないが、本当殺すのが惜しいくらいだ」
そう言って枷を解錠し、ベンの手首を強引に引き寄せる。
「やめッ――!!」
身の危険を感じた途端、ベンの心層の奥から何かが這い上がってくる衝動にかられ、次の瞬間、リアムがテーブルを巻き込んで吹き飛んでいった。
お互いに顔を上げると、ベンの右腕から黒旗が顕現しており、双方唖然とする。
「ほう、本当に哭戎種だったのか」
リアムは彼の右目が艾肯眼と変わっているのを目にし、自然と不気味な笑みを浮かべる。
それは、獲物に狙いを定めた狩人の目だった。
黒旗は、テーザー銃のコードを払い、好機を得たベンは、すぐに立ち上がって出口を目指す。
リアムはMK 23を手に引き金を引くが、黒旗が生地を広げ、盾となって阻止する。
ベンは一目散に逃げ、階段を駆け降りる中、上から銃弾が飛んできた。
「…ッ!」
銃弾を受けた黒旗の部分から、微かに蒸気を発しており、長くは保たないと悟る。
アパートを出ると、太陽の温かい陽気を浴び、すれ違う人々から異様な視線を送られる。
「はあッ、はあッ、くそッ、はあッ――」
ベンは迫りくる脅威から必死に走り続けるが、日々のニコチンの蓄積が仇となり、肺が悲鳴をあげる。
道路に出て横断を試みると、行き交う車にクラクションや罵声を浴びるが、動じることなく駆け抜けていく。
体力の限界が訪れ、路地に入ったところで膝に手をついた。
「ぜェッ、ぜェッ、おえッ…」
止まってはいけないと頭では分かっているが、体がそれを拒んでしまう。
呼吸を乱し、吐き気まで催す。
苦しい状態で早い回復を望んでいるうちに、“最悪”は、すぐそこまで来ていた。
「がはッ!!」
背後を撃たれ、前のめりになると、さらに2発3発と追撃される。
振り向けばリアムが銃を構え、フルオートで連射してきた。
すかさず黒旗は反応し、盾を展開するが、霊圧が弱まっているのか、徐々に範囲が縮まっていく。
やがて、蒸気量は増え、足も狙われて何発か命中し、次第に膝に力が入らなくなった。
とうとう黒旗も消え、 その場で屈んでは息を整えていると、ついにリアムがベンに追いついてしまった。
ベンは、艾肯眼に映るリアムの正体を見て、衝撃を受ける。
「なッ、なんで…」
声を震わせ、嘆く彼に銃口を突きつけた。
田舎から出てきたクソガキは―――。
「何でなんだよ…」
決まって良いように利用されて――。
こんな時に、ふと誰かに言われた台詞が頭に浮かぶ。
使い捨てされるのが定番だが―――。
リアムは何も言わず、ただ、引き金を引いたのだった。




