第3話『惹かれる眩しい笑顔(きぼう)、思い出す大切なこと』
実家のある梧村に帰省した陽菜と、それについてきた歌恋。
村の外から来る学校の校外学習のイベントに村人として参加するとお菓子をもらえると知った陽菜は、それに参加することを決めた。そこで会ったのはクラスメイトたち。
そして宿泊先の旅館でバケモノに襲われた萌果と美結。
日陽の絵を見て意味深に笑う陽菜、その意味とは。そして、陽菜は謎の記憶を垣間見ることになる───
治療が終わった。陽菜はまだ腰に力が入らなかった。萌果と美結は震えが収まって立てるようになった。
その時、春菜が入ってきた。
「なんか気になって様子を見に来てみたら………どういう状況?」
「ああ。悲鳴を聞いて来たら熊が出たんだ。その時に2人は脱衣場に着替えを忘れてきてしまったようだ。幸いまだ湯につかっていないから水滴が体温を奪うことは無いだろう。」
芭那が春菜に説明をする。
「えーっと。月城さん。熊なんて出てた?」
「さあ、わたしにもわからない。」
陽菜はバケモノのことは伏せた。そのためわからないと答えるほかなかった。
創介、立人、康、ウォンのA組男子4人組は、さっきの騒ぎを遠くから聞きつけていた。
「さっきおっきい音がして………」
ウォンが3人の方を向いて言った。
「えっ怖………」
創介は腕を組んで震える仕草をした。
「もし熊が出たらぼくは一番に逃げちゃうだな。」
康が言った。
歩いていると、壊れた戸を見つけた。騒ぎの場所はここだと瞬時に理解した。
「あのー、大丈夫ですか………あ。」
「「「「「あっ。」」」」」
創介は全裸の萌果と美結を見つけ、慌てて目を逸らした。
「いやっ、変態っ!!!」
萌果と美結が叫んだ。
「え、吉井くんさ。何しに来たの?」
陽菜が創介に聞いた。
「あ、いやこれは………」
「ここ、女子の部屋なんだけど。勝手に入ってくるとかありえなくない?」
腰、もとい背骨の痛みが引いた陽菜は創介に詰め寄る。
陽菜は女子の部屋を覗かれたことに対して苛立っていた。同時に頭痛がした。
(………つっ!)
突如脳内に溢れ出す何か。
どこかで見たことがある気がする部屋の中。仰向けになっていた。
パンパンパンパン───
少し乾いた音がする。
何者かがこちらを見ながら膝を掴んで股を広げてきた。そして激しく腰を振っていた。その何者かの顔は焦りと苛立ちが含まれているようだが、よく見えなかった。
しかしこれだけはわかった。それが見るに堪えないおぞましい光景であると。自分に対してしてはならない惨いことが行われていると。
何かの記憶を見た気がした。場所や人物を知っているような気がしたが、陽菜は思い出せずにいた。少なくとも自宅や肉親では無い、ような気がしているが───
「お゛えッ」
おぞましい光景を見たような気がして、陽菜は夕食の一部を口の中まで戻してしまった。
(な、何今の。わたしと………男?)
「大丈夫か?」
芭那が陽菜を心配している。
「いえ、ちょっと頭が痛かっただけです。別にこいつが気持ち悪くてとかでは無いですから。」
「ちょっと何しに入ってきたの?」
陽菜と同じく、萌果が創介に詰め寄る。
「そうよ!」
美結もそれに続く。バケモノの恐怖は一旦は抜けていた。
「ま、待ってくれ!なんか大きい音がしたから見に来ただけだ!そしたら戸が壊れてるし………何かあったのかと思うだろ?」
創介は必死に弁明するが、
「いやいや、マジありえないんだけど。そんな理由で入ってくる?」
そこで会話に入ってきたのは春菜だった。
「だいたいいつもいつも迷惑かけてばっかりでさ………」
創介に怒りの言葉を浴びせる春菜。
「っ!」
陽菜の心の奥がずきんと痛む。
「………そこらへんにしといたら?なんか悪気は無さそうだけど。」
陽菜はここまでの少しの会話の中で、創介に悪気は無かったと判断した。それもあったが、寄ってたかって怒られる創介の様子がいじめられている杏恋を想起させた。
(………少し考えたらわかる可能性だったのに。なにか理由がある可能性。)
「いやなんでよ!」
「わたしは怒鳴る母さんのご機嫌取りでそーいう技術が育っちゃったの。だからなんとなーくわかるの。」
「月城さん!あなたは今までも友達として優しくて寂しんぼでいい人だと思ってたし今もそう思うけど………こいつが悪気無かったは無いよ!なんで吉井を助けようとするの?」
春菜が創介を指さしながら言った。
創介はよく癇癪を起こしていたため知り合いの殆どから疎まれているか嫌われているかしていた。
「わァ…………ァ…………」
創介は肩を竦めて泣き出した。
「わたしだって、母さんのご機嫌取りで育った技術なんて好きじゃないよ。それもそうだし、母さんのことを思い出すから本当に大切なものを守る時以外は人助けなんてしたくないよ。でも………」
「うわぁ!うわぁぁぁぁ!!!」
突然創介が腕を大きく振りながら暴れだし、部屋の外に出て行った。
「………わたしは服を取りにいってやる。もし旅館の人が来たら熊が出たと言っておけ。」
芭那が陽菜にそう言い、部屋を出ていった。
その後、旅館の人に熊が出たと事情を説明し、陽菜たち4人は特別に他の部屋を手配してもらった。まだ空き部屋はあった。
萌果と美結の着替えは芭那に取りに行ってもらった。芭那がそれを部屋に持ってきた。
「おまたせ、早く服を着るんだ。また明日な。」
2人に服を渡す芭那。そう言い残し、部屋を出た。
「………寝よ、今日は疲れた。それじゃ角谷さんもまた明日。おやすみ。」
部屋に来ていた春菜におやすみの挨拶をした。
「ほんとありえない………マジ」
春菜はぶつぶつ不満を垂れながら部屋を出た。
「なんか涼しいね?ド田舎だと思ってたのにエアコンのパワーすごくね?」
萌果は部屋の涼しさに驚いていた。
「昔この村を都市開発しようって言われたことがあってさ。今はその計画は頓挫してるらしいけど、その名残だよ。村にやって来た東雲家ってとこがすんごい富豪だったの。だから企業と共同ですんごい性能のエアコンのひとつやふたつ作れるし、そんなハイテクがこんなド田舎にあるってわけ。」
3人は、消灯された天井を眺めながら会話をしていた。
「え、その東雲家って………」
萌果が陽菜に事実確認をしようとし、言い淀んだ。
「村いた時の親友の杏恋ちゃんのこと。死んじゃったって聞いて悲しかった。」
「そっか………」
美結は陽菜の頭を撫でた。萌果と美結は陽菜ほど人懐っこいわけでは無かったが、陽菜の人懐っこさ、陽菜が甘えん坊でよく頭を撫でてくることから、萌果や美結の方からそれに応えて陽菜の頭を撫でることがごくたまにあった。
「陽菜ちゃん………」
そっと陽菜の頭を撫でる歌恋。
歌恋が陽菜をちゃん付けするのは、ちゃん付けする方が可愛いと思ったから。陽菜から歌恋へは、競走馬の名前と被るので呼び捨てで呼ぶことにした。
「陽菜………ありがとう!守ってくれて。」
「わたしも〜!ありがと!かっこよかったぞ!あんま腰抜かしてたから詳しくは覚えてないけど!」
美結と萌果は順に、笑顔で陽菜に感謝の言葉を贈った。
(嬉しいな。萌果も美結も大切な友達だから。………悪くないのかなぁ、人助けって。)
人助けをしたら多少なりとも自慢げだったり誇らしい気持ちになったりする人が多い。そうでなくとも普通、マイナス感情を持つわけが無いのだが、陽菜はそうでは無かった。あの時から、人助けをするたびに複雑な気分になっていく。
しかし、今日助けたのは大切な友達だ。複雑になる理由は無い………はず。ただ大切な友達に笑顔で礼を言われたのがたまらなく嬉しかった。
「明日はあの人を尋ねるよ。聞きたかったら2人とも来れば?ま、そういうわけだからおやすみ。」
「「おやすみ〜。」」
萌果と美結が就寝する。
「2人とも、ってわたしはついてこさせる気なの?」
「もちろん。あ、それと歌恋は多分アレ見てなかったよね。あの時───」
陽菜は昨日見たバケモノについて説明した。
「本当に信じられなかったら明日、萌果と美結から聞けばいいよ。うわー!信じてもらえないなら先生呼びに行かせず素直についてこさせればよかったー!」
「え、えと………なんていえばいいんだろ?」
さすがの歌恋も戸惑っていた。陽菜を信じると決めていても、非科学的なものの存在を脳が拒む。
「………いや、違うか。呼びに行かせて良かったんだ。あんな危険なオバケのそばに歌恋を呼ぶべきじゃなかった。どうしても脳が理解を拒むなら、あの人が言ってた通り熊が出たって思っておけばいいよ。」
「ううん!がんばって信じるよ………!」
「ふふっ。いや、信じるって頑張るものでも無いと思うよ。人と関わって、それが自然と信頼関係に変わるんだって思ってる。ま、オバケは専門外だけどね、あははっ!」
「ふふっ!それじゃ、おやすみ………」
「おやすみ。」
歌恋は目を閉じ、寝息でかわいい音を立てている。
(あ、歌恋の寝顔かわい。それにしてもなんだろ、陰陽師って。どこで聞いたんだったかな。それに………)
思い浮かぶのは、一瞬垣間見た『よくわからないおぞましい光景』。
「うぷっ………はぁ、はぁ………」
陽菜には、その光景に心当たりが全く無かった。しかし、何故か自身の記憶であるかのように記憶が頭にこびりつく感覚があった。
(っ、そんなこと考えるもんじゃないな。寝よ。)
陽菜が幼い頃の話。
「むにむに〜!もふもふもふ!」
小さい頃からヨッシーのぬいぐるみが傍にいた。
「ヨッシーかわいい〜!」
「良かったね。」
この頃は母親も優しかった。陽菜はやりたいことをやれていた。
「せっかく買ったんだから大事にするんだよ?」
「うん!」
陽菜が持っているヨッシーのぬいぐるみはひとつでは無い。その中でお気に入りは、クレーンゲームで取った大きなぬいぐるみ。
「もうすぐ学校?」
「そうだ、友達いっぱい作れるから楽しんでおいで。」
父親の照彦が陽菜の頭を撫でる。陽菜はとても人懐っこく、親しい人に頭を撫でさせるほどの甘えん坊だ。
行先は、村の中にある小さな小学校。この頃はまだ都市開発が進んでいなかった。
「いってきまーす!」
女子にしては珍しい緑のランドセルに、ヨッシーのぬいぐるみストラップがついている。
ぽかぽか暖かい日差しが陽菜のスキップのスピードを上げた。
「らんらんらら〜ん♪らんらんらら〜ん♪ヨッシー、ずぅっと陽菜のそばにいてね!」
初めての学校生活。陽菜にとっては楽しいことばかりだった。勉強は、答えが決まっている数学が得意。他はそこそこだった。
この頃は観察眼とご機嫌取りの技術が大学生の今ほどは磨かれておらず、人の感情の理解が進んではいなかった。それに、国語のテストにおける感情は現実のものとは似て非なるもので、陽菜のコミュニケーション能力は思ったより国語のテストにその力を発揮しなかった。
勉強以外のことは大体才能があり、全力で楽しんで殆どなんでも一番だった。得意分野においては、全力を出さずとも一番になれる才能が陽菜にはあった。
とある休日、ゲームセンターにクレーンゲームを遊びに来ていた。狙いは大きなヨッシーのぬいぐるみ。
父に小遣いをもらい、クレーンゲームに挑戦する。
「できたできた〜!」
陽菜の並外れたパワー、運動性能はクレーンゲームにおいてあまり意味を成さないが、精密動作性と動体視力で、数回の試行回数で取ることができた。
純粋無垢で一点の曇りもない小学校生活、陽菜はすくすく育っていった。
育つ過程で消えなかったのは、幼さ。知能レベルは年相応に育ったが、人一倍甘えん坊な陽菜は精神が幼く、歳を重ねても幼さは殆ど消えなかった。誰もいない状況だとすぐ寂しくなっていた。幼い頃はよく泣いていた。だからぬいぐるみを買ってもらったし、クレーンゲームで真っ先に目に着けたのもぬいぐるみだった。大学生になっても毎日ぬいぐるみと寝ている。
そして陽菜は中学校に進学した。田舎なのに思いの外設備が整っていて陽菜はびっくりしていた。この頃から、都市開発の計画の一端が既に始まっていた
「こ、こんにちは!東雲杏恋っていいまふ!は、はわわ噛んじゃった………」
杏恋がクラスに編入してきた。自己紹介の舌噛みが愛嬌を感じさせ、人気者になった。
「じゃあ席は………人数少ないから結構空いてますね。」
先生が席を見渡す。都市開発の一端で、田舎の学校のわりに設備が良かった。
「はい先生!ここ!わたしの隣がいいです!」
そう言ったのは陽菜だった。陽菜もそのコミュニケーション能力からクラスの人気者で、みんながそれに同意した。
「よろしく!名前はなんて言うの?」
「陽菜!月城陽菜だよ!こっちこそよろしくね!」
「えっ!………あぁごめんなんでもない!よろしくね!」
杏恋はコミュニケーション能力は普通だったが、愛嬌があり人気者になった。
「杏恋ちゃんは前どこの学校にいたの?」
「あのね、わたし前までは学校に行けてなかったんだ。だから家庭教師で遅れを取り戻してたの。遅れを取り戻すのはあんまり苦労しなかったけど。」
クラスに編入してくる前は家庭教師で勉強をしていた。
杏恋は頭が良く、所謂天才の部類だった。勉強の杏恋、運動の陽菜の最強コンビとしてちょっとした噂になった。
そんなある日、陽菜は杏恋と遊ぶ約束をした。何か伝えたいことがあるんだと杏恋に言われていた。
その日は雨が降っていたうえに、杏恋は連絡手段を持っていなかった。しかし、杏恋とした約束を破りたくなかった陽菜はなんとしてでも、土砂降りの雨の中でも杏恋に会いに行くことにした。それほど、陽菜の中で友達は大切なものだった。
傘を2本用意した。1本は途中でだめになった。
「ふえぇ………前が見えないよ………」
雨で視界が非常に悪かった。さらに、雨を防ぐのに必死で前を見ていなかった。その時そこには信号が無く、車の接近に気づかなかった。
陽菜は車に轢かれた。
その後、救急車で病院に運ばれた。手術を受けはしたものの、驚異的な頑丈さと治癒力ですぐに退院できた。
それから陽菜は医者を目指し、挫折した。安易に手を出すべき夢では無かったと後悔した。
大人になりたくない。どうして生まれてきてしまったんだろう。
母親が嫌でたまらなかった。だから、母親から逃げるために村にいる杏恋ともども置いて逃げた。村に帰ってきた時、どうしようもなく悲しいことを思い出していた。
「泣いてたのか、わたし。悲しい夢だったなあ。なんか、恐ろしい夢か悲しい夢しか見てない気がする………もっと楽しい夢が見たいよ………」
「おはよ………どしたの?」
美結が寝ぼけ眼で陽菜の方を見ている。
「ん、寝起きは眠いから………」
「陽菜〜。それはそうにきまってんじゃ〜ん。」
「あわわ。ねぼけてた〜。」
洗面所で歯磨きをする。旅館によくある小さなチューブと歯ブラシを使う。
慣れない味がぼーっとしていた陽菜の目を覚まさせた。
「ねーふたりとも。慣れない歯磨き粉ってスースーしない?」
「あー陽菜、それ粉変えた時にそれなりがちなやつね〜。」
「わかるわ〜。陽菜も美結もそう思うんだねー?」
髪がボサボサだったため、持ってきた櫛で髪を梳かす。歌恋はすでに歯磨きを終えていた。
着替えを終えると、朝食が用意されている場所に向かう。
「陽菜、陽菜!ぬいぐるみ持ってきちゃってるよ!」
萌果が陽菜の方を指さしながら言った。
「あー………まあいいよべつに。」
陽菜は、もふもふのぬいぐるみが大好きなことを隠すつもりは無かった。流石に学校に大きなぬいぐるみは持っていかなかったが、ぬいぐるみが陽菜の性格、人懐っこさを強調させ、コミュニケーションに一役買っていた。
「いただきます。」
米山先生が号令をし、皆が一斉に朝食を食べ始める。
朝食を一番乗りで食べ終わった陽菜。
「陽菜。結局昨日のこと聞きに行くの?」
美結が陽菜に聞いた。
「うん、3人とも気になることがいっぱいあるでしょ。わたしは特にね。あの人がわたしのこと知ってる理由を知りたいし………あ、一旦家に戻ってていい?歌恋は校外学習に参加してないし、ついてくるでしょ?」
「いいよ〜。」
「たぶん、わたしも美結も部屋にいるから。」
2人がそう言うと、陽菜と歌恋は旅館の宴会場を出た。
日差しが照りつけ、風で木が揺れている。
陽菜が着ているお気に入りのパーカーは長袖だったが、陽菜は汗を殆どかかない体質で暑さや寒さの耐性があった。なのでやろうと思えば、冬に短パン小僧の格好でも運動能力を落とさず動くことができる。
「はぁ………」
陽菜はため息をついた。
「………で、戻ろうかな?」
家の前に来た陽菜は足を止めていた。
《姉さん。今母さんいる?》
《いる。》
陽葵とLINEでメッセージのやりとりをしている。
《じゃ、やっぱ旅館(向こう)戻るわ。》
《今家の前にいるの?》
《まあね。気が向いたら帰るけど、とりあえず………あぁ、姉さんに連絡はするから。》
陽葵とのチャットを閉じ、萌果、美結とのチャットを開く。
《萌果、美結。今どこ?》
《言った通りまだ旅館の中だよ。》
《あの人が来てる。だから特に用が無かったら早く帰って来てってさ。》
《おっけ、待ってて。》
陽菜と歌恋は旅館の部屋まで戻った。
「ん。」
萌果と美結、芭那が座っていた。
「あ、来た来た。きみを待ってたんだ。」
芭那が、座布団に座るように手招きした。
「まずわたしが誰なのかについて説明しよう………あ、陽菜ちゃん以外も話を聞かなくてはならない。」
「なぜですか?」
陽菜が聞いた。
「それはこのあと説明する。まずわたしは陰陽師で、陰陽師とは、人間に害を成す怨霊の霊魂情報を破壊する………わかりやすく言うと、『祓う』ことを生業としている。その他にも祓うに至るまで、若しくは祓った後の事後処理、それ以外の様々な雑務などがある。」
「「えーっと………」」
萌果と美結は芭那の話を殆ど理解できずにいた。それもそのはずで、霊をエンタメとして楽しみはしても、霊が存在しているなどとは微塵も思わなかったからだ。
「怨霊って、『うらみ』の字を書きますよね?てことは、人の負の感情、恐怖が怨霊を呼び、怨霊が人の負の感情を増幅させ恐怖を呼ぶ………」
「お、陽菜ちゃん正解だ。」
陽菜の説明に、芭那は右手で丸を作ってみせた。
「………そっちの女の子はわたしの話を聞くか?」
「陽菜ちゃんが聞くので聞きます。」
芭那の問いに頷く歌恋。
「怨霊とは、死後に落ち着くところのない霊魂が凶悪化したもの、もしくは人の負の感情が凝縮し合わさったもの。死んだ人の霊が怨霊になった場合、その時の傷がそのまま霊魂に刻まれていることがある。大体陽菜ちゃんの言った通りで合っている。そして、稀に噂と全く同じ怨霊が出現することもある。」
「「噂?」」
萌果と美結は芭那の説明を覚えるのに苦労していた。
「霊魂に生前の傷?じゃあ例えばロードローラーで潰されたらどうなるんですか?………あ、萌果と美結は難しく考えなくていいよ。わたしが覚えとくから。」
(ロードローラーて………陽菜ちゃん………)
芭那が心の中でツッコミ?を入れる。
陽菜は大阪で漫画やゲーム、アニメなどの様々なエンタメコンテンツを触れる機会が増えた。それは霊やホラーといった系統のものも例外では無く、見たものに当てはめると理解が早かったのだ。
「特に人死にが多いところで発生する。殆どの人は死ぬ時に少なからず負の感情を抱くからだ。そして噂と同じ怨霊が出現する理由は、霊の噂に対する人の負の感情がそのまま霊として出現するからだ。人が死ぬと霊が発生することがあるが、周囲の環境によって怨霊になりやすかったりなりにくかったりもする。」
「つまりみんなしょんぼりしたりビクビクしたりカリカリしてるとよくないってことですね。2人を呼び止めたのは口止めのため。噂を流されては怖がる人が出て本当に出る可能性が高まる。」
「いいぞ。そうだ、その通りだ。」
芭那に少し褒められ、陽菜は少しだけ得意気な表情になった。
「そしてここまでは陽菜ちゃんも予測できなかったかもしれないが………陽菜ちゃんは誰かに恨まれている可能性がある。そうでなくとも何かある。」
「あぁ、あの時言ってた………?」
「………その反応から推測すると、本当に誰からも恨まれてない可能性があるな。そこの2人、陽菜ちゃんはどんな人間だ?」
「甘えん坊で寂しんぼで、人懐っこくて可愛くて強い………です。」
萌果が陽菜のことを説明した。
「わたしかわいいの?」
「すまない、かわいいかどうかは後にしてくれ。別の仕事もあるからなるべく早く話を済ませたい。それで………陽菜ちゃんが恨みを持たれないことはわかった。」
芭那は顎に手を当てて考える。
(でもまあ、陽菜ちゃんの性格は以前にも聞いて知ってたしな。)
数秒考えたあと、芭那は何かを思いついたような仕草をした。
「そうか、陽菜ちゃんは怨念のこもった物を持っているんだ!最近拾った物かこれは?」
芭那はビー玉を取り出した。
「これにとてつもない怨念がこめられていたんだ。2人の証言によると風呂場に落ちていたらしい。そいつからあの怨霊が出てきたんだ。」
「それは何なんですか?」
「『返せ───』そう聞こえてきた。何かを奪われた誰かの怨念が残っていたんだ。」
「つまりその奪われたモノっていうのがそれだったと。」
「お、また正解。ただまぁわたしが残留思念の記憶を読めるとはいえ、完璧なものでは無いから正確にはわたしの推測と同じだってことだな………まぁ怨霊に関してはこんなところだ。遭遇してしまったのなら説明する必要があるが、くれぐれも口外しないように。」
芭那は席を立ち部屋の外に出ようとしたが、
「待ってください。」
陽菜に呼び止められた。
「藤吉さんは何故わたしの名前を知ってたんですか?」
「陽葵と友達だったからさ。陽菜ちゃんの話はよく聞いていた。陽葵も陰陽師の修行をしていたが、どのくらいか期間が経った頃、やっぱり妹の傍にいたいと言って修行をやめた。」
芭那の言葉を聞き、陽菜は涙をこぼした。
「姉さん………」
「えらいね陽菜ちゃんは。陽葵が陰陽師をやめた後も話聞いてたから、きみがいろいろ頑張ってきたのは知っている。」
「ッ!わたしは頑張ってないです………!わたしは絶対に叶えられない夢を持っちゃって、母さんが怖くなって親友を村に置き去りにしたヘタレなんです!!!親友は心の支えを必要としていたのに!」
陽菜は泣いた。同級生にいじめられ、父親に暴力を振るわれたと言っていた杏恋の傍にいてあげられなかったことを悔いた。
「陽菜ちゃんが医者を目指したのは心の底に優しさがあるからだ。わたしはそんなきみが好きだ。」
「医者を目指す人が優しいとは限りませんよ!」
「でもきみはバケモノから友達を守った。きみは優しい。優しい子はときにつらいことを溜め込んでしまうから………」
「そうだよ陽菜!ありがとう!!!」
美結は笑顔で陽菜に感謝の言葉を贈った。
陽菜はそれを見て泣いた。この眩しい笑顔を守りたいと思った。
「陽菜ちゃん、つらい時は泣いてもいいんだよ………」
歌恋が陽菜を抱きしめた。
「ぅん………」
大切な場所を思い出していた。親友と遊んだ、大切な場所。
「ッ!!!」
仰向けになっていた。
パンパンパンパン───
少し乾いた音がする。
「くそッ!なんで………なんで失敗したんだ!俺たちの計画が!大きなところから協力も得ていたのに!」
何者かがこちらを見ながら膝を掴んで股を広げてきた。そして激しく腰を振っていた。その何者かの顔は焦りと苛立ちが含まれているようだが、よく見えなかった。
「くそっ!」
男がこちらを向いて腰を動かしていた。
陽菜は吐き気を催した。
「ご、ごめ、吐き気が………」
ゆっくり歩きながら洗面台の前に移動した。
「う゛ぉええええええッ!」
「陽菜ちゃん!大丈夫!!!?」
歌恋が一目散に駆け寄り、陽菜の背中をさする。
「うっ!げぇぇぇ………」
「陽菜ちゃん!大丈夫か!」
陽菜に声をかける芭那。
「うはい………戻しちゃっただけなんで大丈夫です………ふぅ。」
吐いたあとすぐケロッとなる陽菜。
「まさか怨念にあてられたのか!?」
芭那が心配そうに陽菜を見ている。
「だとしたらまずいな。わたしがつきっきりでそばにいてもいいっちゃいいんだが………念の為御札を渡しておこう。一応言っておくが、このビー玉は預からせてもらう。」
陽菜は、芭那から御札をもらった。御札にはなにかの文字が書いていた。
「陽菜ちゃん。それと、陽菜ちゃんの………友達かな。御札はそれなりに貴重なもので、予防目的で他人にあげることは非推奨なんだ。その理由はわかるか?」
「「「わかりません。」」」
陽菜以外はわからないと答えた。
「うーん………貴重、つまり数が足りないから?ですか?」
陽菜が答えた。
「大まかに言えばそれで正解だ。予防できればいいんだが、症状が出る前に御札を渡す方法を採っていると、どうしても貴重さの観点から、御札が足りなくなってしまう。だから少しでも症状が出始めてからかもしくは危険な場所に乗り込む時にしか渡すことはできない決まりになっている。」
「でも………わたしが吐き気を催したのって、普通に考えてただ食べすぎただけでは?ここの料理多かったみたいでクラスメイトから色々貰いましたし………」
首を傾げる陽菜。
「陰陽師のわたしからすると………怨念の残滓が感じられる以上、気のせいでは無いと思う。それに………陽葵がいちばん大切にしている存在だから、陽菜ちゃんを守ってあげたいんだ。」
芭那は真面目な表情でそう言った。
「やっぱり、藤吉さんは姉さんのことを知ってるんですね………」
「ああ、まあな。陽菜ちゃんは………いちばん大切な存在っているか?」
芭那の問いに、
「この3人と、姉さん、父さん………杏恋ちゃん、親戚の子の日陽ちゃ………星乃家、希万里さん………あと、クラスのみんな?あ、でも1人───」
陽菜は複数の答えを出した。
「陽菜ちゃん、多すぎだよぉ………」
「大丈夫だよ、歌恋。歌恋のことは大事に想ってるから。」
「ありがとう陽菜ちゃん………陽菜ちゃんに会えて良かった。」
「わたしも………」
陽菜と歌恋の会話を、芭那は静かに聞いていた。
「とりあえず渡しておくが、あまり油断はするなよ。それじゃあ気をつけて。陽葵によろしく言っておいてくれ。」
「あ、はい………」
陽菜が返事をした後、芭那は戸を開けて部屋を出ていった。
「なんか、すごいことになったね………」
歌恋が陽菜の方を向いて言った。
「うん。わたしさ………大切なことを思い出した気がするよ。親が嫌で、村に親友を置いて逃げちゃったんだ………その親友にはちょうど1年前くらいに会いに来てたはずなんだけど、わたしがどこかの森の中で倒れてて。だから………もう大切な人の笑顔を無くさないためにも、できることなら傍にいたい。都合よくいつでもは無理だけど、逃げたみたいにはしたくない。」
少し目を薄めたような表情で語る陽菜。
「優しいじゃん。」
と、萌果。
「あ、なんか姉さんからメッセージ来てる。」
LINEのメッセージ画面を開く陽菜。
《たすけて ひなねえ》
画面を開いた数秒後、
《メッセージの送信を取り消しました》
と表示された。
「日陽ちゃん………!?」