第五話「警護対象者たちを狙う猫って…?」
「ハヤカワ君でしたっけ? そっちの朝食を済ませたら、仕事の
詳しい内容を新入りの俺に聞かせてください。こっちはいきなり
よく分からない会社に採用されて戸惑ってんですよ。とりあえず
早くそのおむすび定食を食べちゃってください。待ってますから」
葉ちゃまは新しい職場の先輩になる立場のハヤカワ君にも不遜な
態度を崩そうとしません。以前の職場は内装業で一人きり壁紙や
襖の張替えをすることが主な業務だった所為か職場の人間関係に
疎いところがあるかもしれません。幼い頃から独りきりで遊んで
おりましたし…情けない話でしょうが…葉ちゃまは人付き合いを
今一つ理解していないのかもしれません。祖母として教育がよく
行き届いていなかったことを皆様方に心よりお詫びしたいですが
現在の私は人前に姿を現すことも出来ぬ…透明な空気そのもの…。
孫の葉ちゃまに起こる現実を黙って見守るだけで精一杯なのです。
ごめんなさい。こんなに早く死ぬとは思ってもみなかったから…。
「お待たせいたしました。当店で一番の人気商品の半月焼きです」
接客係の少年が葉ちゃまの注文した餡子入りの甘いものを卓まで
運んできてくれきました。例えてみると、大きな銅鑼焼きの皮を
半分に折り畳んだような形のお菓子でした。少年が説明した通り
半月の形をして、茶色く焼かれた生地が艶めいていて美味しそう。
「中には半殺しにした小豆餡と当店特製の生凝乳が入っています。
半月焼きは生凝乳を馴染ませるためによく冷ました皮で包んでる
当店自慢の品です。どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」
生凝乳というのが耳に新鮮で珍しい感じ。この青空飯店ご自慢の
逸品がどんな味なのか気になります。葉ちゃま早く味見してみて。
「へぇ、生凝乳ってのが気になるなぁ。じゃあ早速いただきます」
青くて丸い平皿に二つ載せられた一つを葉ちゃまは口に入れると
「ふぅん、生凝乳って程好い甘みでとろみがあって小豆の餡子と
相性が良くて美味い。贅沢な味だと思うよ。これは本当に美味い」
たった一口食べたばかりの半月焼きを絶賛しました。葉ちゃまの
口に合ったみたいで私もうれしくなります。もし生きていたなら
きっと優しい葉ちゃまがお土産に買ってきてくれたでしょうに…。
「半月焼きは僕や所長もよく食べますし、これから青空喫茶店へ
来るはずの僕らの警護対象者たちも好物みたいでよく注文してる
お菓子なんですよ。ここは食事より菓子やお茶を愉しむ露店です」
おむすび定食をきれいに平らげたハヤカワ君と美形の所長さんや
警護対象者の方たちも好物のお菓子だというのは当然でしょうね。
何しろ葉ちゃまがたった一口で大絶賛してしまう味なのですから。
「青空喫茶? ここは飯店じゃなくて茶菓子を愉しむための店か。
確かにさっき食べた玉子粥も胡麻油風味で美味かったけど、この
半月焼きは粥を凌ぐ味わいだもんなぁ。これが一番人気で正解だ」
そう言って残り半分になった半月焼きも口に入れてしまいました。
「ハヤカワ様、警護対象者のネネさんが店に訪れました。今日は
ネネさん一人だけみたいですけど、他の二人は後で来るのかなぁ」
接客係の長髪を後ろで束ねている少年はハヤカワ君と葉ちゃまが
警護の仕事をしていることを知っているようでした。秘密裏での
警護ではないのでしょうか? この喫茶店も警護に協力してるの?
それよりネネさんという警護対象者はどんな感じの方なのかしら?
あらまぁ可愛らしい! 美少女という言葉がぴったり当て嵌まる
年の頃は接客係の少年と同じ十五~六の少女が少し離れた位置の
卓に着いていました。私が男性だったら見惚れてしまいそうです。
ちょうど耳たぶを隠すくらいの長さの髪で、長い前髪は捩じって
金色の鬢留めで邪魔にならないよう耳の上辺りで押さえています。
丸く広い額を出し、色白で艶やかな肌が目に眩しく映えて美しい。
…?!…
あらやだ、葉ちゃまもネネさんという少女に見惚れてしまってる!
昨日は白文鳥に一目惚れしたかと思えば、今度は人間の美少女に
一目惚れ? 警護対象者に余計な感情を懐いてしまったようです。
嘆かわしいとは言えませんね。葉ちゃまも恋する年頃なのですし
今まで女性に何の関心も向けなかったのが不思議なくらいでした。
それが今日とうとう…。とはいえ、ネネさんは警護の対象者です。
こちらは職務に専念しなければいけません。葉ちゃま、堪えて…。
「警護対象者を見るんじゃなく、我々は対象者の周囲を注意深く
見張らなければならないのです。不審な人物が近づかないように」
葉ちゃまの様子に気づいたハヤカワ君が先輩らしく釘を刺します。
葉ちゃまを無暗に刺激せず、諫めるのが今の場合は正解でしょう。
夢中になるのは飽く迄も少女を『警護』することなのですから…。
「彼女と姿を見せていない二人の少女は猫に狙われているのです。
僕たちは全力で三人の少女たちを猫から守らなければなりません。
それが今回の任務です。オオバ君、猫には気を付けてくださいね」
それにしても猫が狙ってるとは、一体どういう意味なのでしょう?
成人男子数名が全力で守らなければならないほどの猫って一体…?
「ハヤカワ様の御膳をお下げします。食後はいつもの半月焼きで
結構ですよね? 本日の仕事は楽そうですし、ハヤカワ様たちも
ごゆっくりお寛ぎになってくださいませ。僕も見張ってますから」
接客係の少年も見張ってくれるなんて…。協力者が大勢いるのは
悪いことではないと思いますが、そこまでしないといけないのが
猫と呼ぶ存在なのでしょうか? お婆ちゃんの不安は尽きません。
「猫なんて近所を縄張りにしてる野良でしょ? 何故そんなのを
警戒しないといけないんですか? 猫なんて可愛いもんでしょ?」
二個目の半月焼きを平らげた葉ちゃまが暢気な声で訊きましたが
「アンタ、猫をその辺の野良猫同様に見縊ってたら死にますよ!」
お代わりの冷茶を注ぎに来た接客係の少年が鋭く言い放ちました。
「ここの店の接客係の鹿君も店主の白猫さんも『猫四姉妹』には
幾度となく酷い目に遭わされているそうなんですよ。だからこそ
ここは警護対象者たちが安心して過ごせる数少ない場所なんです。
鹿君に白猫さんは『猫』に立ち向かえる存在でもありますからね」
鹿という少年に言い添えるようにハヤカワ君が言葉を継ぎました。
猫に鹿に白猫? 何だか頭が混乱してしまいますが、動物の名は
動物ではなく人間を表す符号というか仮の呼び名だと思いました。
猫四姉妹ということは四人組の女性? 謎が深まっていきますが
一人で数人相手に立ち向かえる葉ちゃまの腕っぷしを見込まれて
警護の職に就けたのです。きっと大丈夫、猫なんかに負けません。
警護対象者たちを狙っている不審者の呼び名は『猫』だそうです。
それは兎も角、警護対象者となる少女たちはネネさんの他に二人
いるみたいですけど、その二人もうら若き美少女なのでしょうか?
次々と迫ってくる謎にお婆ちゃんの興味と心配は尽きそうになく
生きていたならと思ってしまいます。なぜ私は死んだのでしょう?