表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ささめゆき  作者: 閑日月
4/36

第四話「有能な人材として認められても…」

 葉ちゃまの向かい…卓越しに腰かけている美男子は葉ちゃまに何を

言うつもりなのでしょう? 接客係の少年が無料の冷茶を持ってきて

三十路の美形に注文を訊きましたが、こちらがまだ名前を知らぬ彼は

「これから待ち合わせの相手が来るから注文はそのときに」と言って

接客係の少年を青空飯店奥の小さな建物…厨房(ちゅうぼう)へ追いやったのでした。


「待ち合わせの相手って何者ですか? あ、もしかして昨日の夕方…」


向かいの美形が昨日の乱闘騒(らんとうさわ)ぎのお礼参りに来たなんて無茶な話です。

「いやいや、この西の市場で徒党(ととう)を組んで悪事を働く連中とは無関係。

我々は(むし)ろ逆の立場です。ご安心ください。ですから、後もう少し…」

私ではなく我々と言いました。待ち合わせの相手を含めてでしょうね。

「黙って待っててくれってわけですね。まあ、こっちは腹を空かして

この青空飯店へ来たんですから注文した玉子粥が来たら食いますけど」

葉ちゃまと年上の美青年が会話を終えると、ちょうどよく注文の粥が

運ばれてきました。昨日から何も食べてない葉ちゃまは彼に遠慮せず

出来立てでまだ熱い玉子粥に口を付けました。生憎猫舌(あいにくねこじた)ではないので

ものの数分もしないうちに粥が入っていた器を空にしてしまいました。


すると気の利く接客係が粥の器を下げ、冷茶のお代わりを注ぎました。



所長(しょちょう)、遅くなってすみません。ご指示に従い調べ物を済ませてから

参りましたもので…。はい、それでは隣席に失礼させていただきます」


遅れてやってきた若者は小柄で生真面目な事務員といった印象の男子。

所長と呼ばれた美青年の隣りの椅子に恐縮するよう少し離れて座ると

早速大きな封筒にまとめたと思われる書類を所長さんに手渡しました。


「ハヤカワ君、お疲れさま。まずはキミも好きな朝食を摂るといいよ」

所長さんは大きな封筒を開け、取り出した書類に目を通していました。

「俺も向かいの所長さんの前で玉子粥を食いましたし、ハヤカワ君も

何か適当なのを頼むといいですよ。俺は何だかちょっと物足りないし

接客係の少年が卓に近づいて来たなら、お(すす)めの品でも訊こうかなぁ」


接客係の少年が無償で提供する冷茶の茶碗を持って近づいてきました。


「この店で一番人気の菓子は? 甘い餡子の入ったもので何かない?」

ハヤカワ君を気遣うこともなく葉ちゃまは先に自分の注文をしました。


「はい、(かしこ)まりました」接客係の少年は葉ちゃまの追加注文を聞くと

所長さんのほうへ向き直し「待ち合わせの方がいらっしゃいましたが

ご注文はいかがなさいます? いつもの定食でよろしいでしょうか?」


いつもの…ということは所長さん達はこの店の常連客なのでしょうね。


「今日は私の分は結構です。ハヤカワ君、キミの好きなものを頼んで」

現在の所長さんの興味は()(ふけ)っている白い書類に間違いありません。

「僕はいつもの定食をお願いします。おむすびの中身は筋子(すじこ)昆布(こんぶ)で」

地味な容貌のハヤカワ君は慣れた口調で注文しました。それは兎も角、

美丈夫の食事光景は目の毒になってしまうものです。この所長さんは

自分の現実を(わきま)えているようですね。お気の毒でも美形の食事姿など

一般庶民は見ないほうが夢から覚めずに済むのですから思慮深(しりょぶか)い御方。


「ハヤカワ君も来ましたし、自己紹介がまだでしたね。失礼しました。

私の名はタナベ。下の名前を言うのは遠慮させてもらいます。我々の

仕事には大して必要のないものですからね。キミの名前はオオバ君?

ご迷惑でなければ今後そう呼ばせていただきますけど宜しいですか?」

書類から目を逸らし葉ちゃまのほうを向いた所長さんは自分の(せい)だけ

淡々と伝えてきました。うちの苗字(みょうじ)大葉(おおば)であることはハヤカワ君が

持ってきた書類を見たか何かして既に分かってしまっているようです。


「はい、俺のことはオオバで結構です。以前の職場でもそうでしたし。

まあ、大きな葉に一枚の葉と書く大葉一葉なんて名前、(まぎ)らわしくて

呼びづらいでしょうし、どうぞ遠慮なくオオバと呼び捨ててください。

前の職場をクビになる前はオオバカと親方に陰口を言われてましたし」

言ったよう葉ちゃまは自分の名前を気に入らないのです。亡くなった

葉ちゃまのご両親が何らかの意味を込めて付けた大事な名前なのに…。


葉ちゃまと私には血の(つな)がりはありません。それでも大事な孫として

引き取って女手一つで育てて参りました。死んでも目が離せない孫が

私の葉ちゃまです。いけないのは偶々うちの苗字が大葉だっただけ…。


葉ちゃまの『一葉』という名は産着のおくるみに刺繍されていました。


一葉と書いて「かずは」と呼ぶ名前だった可能性もございましたけど

私の直感が孤児(みなしご)(あか)(ぼう)を「いちよう」と呼んでいました。ご両親に

(たず)ねたくても山中で(ぞく)に襲われ、二人揃(ふたりそろ)って命を失ってしまいました。

その苦難を遣り過ごし、無傷で生きていた葉ちゃまは生まれながらの

強運の持ち主に違いありません。たった一人で生き抜いたのですから。


「それより俺と同席した上に名前も知ってるし、その書類にはきっと

俺が天涯孤独(てんがいこどく)の身の上だってことも書かれてんじゃないでしょうかね。

所長さん、そろそろ俺なんかに近づいてきた理由を聞かせてください」

二杯目の冷茶を一口飲んだ葉ちゃまが所長さんへ毅然(きぜん)物申(ものもう)しました。



「オオバ君、キミのことを我々の事務所に採用したいと思いましてね」



えっ、事務所?…所長さんは社長さんなのかしら?…まだお若いのに。

「いきなり採用したいって言われても…。どんな事務所なんですか?」

タナベ社長を目の前にしても平気で不遜(ふそん)な態度をとるのが我が孫です。

「仕事内容は我が社へ依頼した者にとっては重要な人物となる存在の

身辺警護(しんぺんけいご)が主な職務となります。基本的には不審者が近づかないよう

監視することが最重要な仕事です。現在の主な監視場所はここですね」


ここって…この青空飯店が仕事場所? でも、誰かの身辺警護なんて

私の葉ちゃまに務まるものでしょうか? お婆ちゃんは孫が心配です。


「昨日は仕事をクビになって、その翌日には身辺警護の会社に採用?

しかし、誰を見守ってやったらいいんです。そこが最重要なんだけど」

葉ちゃまは社長さんへの不遜な態度を改めようとしません。困った子。


「もうすぐ我々の警護対象者のお嬢さん達が店に来る頃なんですけど

今日は遅いなぁ。いつもなら朝食を済ませてすぐ店に現れるんですが」

そう言ったタナベ社長? 所長さんは書類を封筒に戻して席を立つと

「ハヤカワ君、すまないが後のことは先輩(せんぱい)となるキミに一任(いちにん)しますよ。

私は一旦事務所へ帰って書類を片付けたら、猫を追う仕事に戻ります。

オオバ君、ここの飲食代は全て事務所が(まかな)いますから仕事中の飲食は

お好きなだけどうぞ。それでは、本日から職務を宜しくお願いします。

オオバ君には期待してますよ。たった一人で数人を相手に乱闘できる

頼もしい男だっていうのは…昨日の夕方しっかり目撃してますから…」

(あわ)ただしく背を向け、青空飯店を去って行きました。後ろ姿も美しい。


それは兎も角、猫を追う仕事って? 新しい仕事の謎は尽きませんね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ