第二話「葉ちゃまを付け狙っていた者たち」
今晩の夕食も明日の食事にも事欠いたまま、大きな鳥かごに入った
白文鳥ささめゆきを抱え、葉ちゃまは今では下宿人の身となった家へ
帰ろうとしていました。今にも陽は西の山へ沈もうとしているところ。
何もかもが橙色に染まった川岸の辻を意気揚揚と歩いていく葉ちゃま。
ささめゆきは自分が露店の狡猾な商人から売り渡された現実も知らず
夕闇色に近づいてゆく郊外の路地を運ばれてゆくのです。幸せなのは
新しい飼い主となった葉ちゃま一人かもしれませんね。長生きさせて
あげられるかどうか…。これまで金魚の一匹も飼った覚えのない孫の
葉ちゃまがきちんと白文鳥の飼育が出来るものか祖母の私には不安が
尽きません。それに葉ちゃまの背後を歩く数人の若者が気になります。
この街の西の市場を根城にする破落戸どものように見受けられます…。
…?!…
「家の前じゃ大家さんに迷惑を掛けちゃいますし、この辺りでいいか」
ささめゆきの入った鳥かごを小路の隅に置いた葉ちゃまは振り返ると
後を付けてきた葉ちゃまと同じ年頃の若者たちに向かって言いました。
「破落戸どもに出す金なんて持ち合わせてないんでね、その代わりと
言っちゃなんだけど痛い目に遭いたくなけりゃ大人しく帰ってほしい」
体躯に恵まれた葉ちゃまは一人で数人の破落戸どもを相手にしようと
考えているようです。この子は強い。自分の孫だから知ってはいます。
それでも怪我したり、させたりするような行為など見たくありません。
しばらく目と耳を塞いでましょう。きっと、きっと葉ちゃまは大丈夫!
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「ふぅ、やっと逃げ帰ってくれた。どうして喧嘩できる体力があるのに
働かずに仲間とつるんで遊んで暮らそうと思うんだろう? 俺は職場を
クビになって明日からしばらく食う金にも困る生活が待ち受けてるって
のになぁ…。とりあえず帰ったらすぐ大家さんに今月の家賃を納めよう」
露店で高額を出し白文鳥を買った葉ちゃまから遊ぶ金を巻き上げようと
考え、様子を窺っていた破落戸どもは当てが外れ、思わぬ反撃を受けて
奴等の塒へ逃げ帰ったようです。葉ちゃまに勝とう、奪おうと思うのが
そもそもの間違いなのです。まあ、どこかしらの螺子が外れているから
破落戸どもの一味に加わったのですし、奴等に同情なんかいたしません。
多少痛い目に遭って反省したほうが将来を考え直す良い機会になります。
「ささめゆきが無事で良かった。というか自分のすぐ近くで人間どもが
暴れまくっていたのに何事もなかったかのように平然としてるのが凄い。
肝っ玉の据わったヤツだな。あれれ、そういえば性別を聞いてなかった。
でもまぁ繁殖させるつもりはないし、べつに雄雌どっちでも構わないや」
乱闘を終えても無傷の葉ちゃまは口笛を吹いて帰り道を歩いていきます。
「ささめゆき、もうすぐ俺が世話になってる家に着くぞ。行儀よくしろ」
葉ちゃまが下宿人の身になって日当たりの悪い一間を借りている屋敷。
そこは以前は…私が生きていた頃は…私たち一家の持ち家だったのです。
それなのに店子だった若夫婦はいつの間にか私の死んだ隙に家の書類を
書き換えたりなんだり小細工をし、本来ならこの屋敷の主であるはずの
葉ちゃまを下宿人の身に貶め、毎月家賃を請求するようになったのです。
煩わしい理不尽や小狡さが平然と横行するのがこの世なのでございます。
弱みを握られた者は追いやられ、身を縮めて生きていかねばなりません。
引っ繰り返されたら引っ繰り返してみせねば…。そんな狡猾にずる賢く
生きていかねばならないこの世は無常です。あの夫婦もいつかはきっと
天罰を喰らう日が訪れるはずです…。葉ちゃま、負けずに強く生きて…。
「ただいま、戻りました」
帰宅の挨拶をしてみても屋敷の者は誰一人姿を現すことはありません。
それでも育ちのいい葉ちゃまは無言で出入りせず、いつも行きと帰りの
挨拶を欠かしません。現在この屋敷は冷たく日当たりが悪くなりました。
私が生きていた頃は使用人もいて、家人の出入りの際には出迎えの者が
姿を見せていたものでしたが…時の流れは無常で非情なものなのです…。
「さぁ、ささめゆき、新しいおまえの棲み処となる貸間に案内しようか」
履物を玄関の隅に寄せた葉ちゃまは、ささめゆきの入った鳥かごを抱え
誰の気配も感じ取れない家の中に足を踏み入れました。今までと違って
新しい家族を連れての帰宅です。少しは寂しくなくなることでしょうね。