106話 ニブルスにて・選手交代・賢者と星見の会話
──夜のニブルス。
街中には霧が立ち込め、黒雨は弱まって消え始めていた。
降りかかる浄化の雨粒が分身騎士の力を着実に削り、銀髪の騎士が膝をついた。
「──まったく大立ち回りだったな、鼠の騎士よ」
「おぉ、……そうか。──俺は、ここまでか。そうならば良し」
マチルダが言うとゴードンがそう返して、もう片方の膝を降参したようについた。
残った2体の配下の騎士も、破壊の跡生々しいこのニブルスの露と消えようとしていた。
「この部下どももすべてお前の分身だったのか……」
「驚くことではないだろう」
「実に厄介だったよ、能力まで振り分けて分身し連携し、振動の力を扱う敵は」
「褒め言葉として受け取ろう、鉄仮面の女。お前も大したものだった」
「——ああ、雨降るANKHに攻め込んだのは悪手だったな。──今、我らの贄としてやろう」
マチルダが警棒を宙に放った。
「——受肉せよ、ウロボロス」
空間が揺れて、透明な魔法陣が空間を歪めるように宙に現れた。
中心に入った警棒から肉が湧き出て急速に肥大化、それは数秒で列車ほどの大きさとなって——
——騎士を飲み込もうと動いた。
が、ウロボロスの通った後には、うっすらと漂う黄土色の霧だけが残されていた。
「──チッ、逃したか……。 マケンナ。ネットワークからQ方面からもアイン達の逃走経路上に警護用の部隊を出動させてくれ」
電線の上に腰を下ろしていたマケンナにマチルダが告げると、マケンナが親指を立てて了承した。
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──ニブルスにて。
「犬の四番隊」
ニブルスの路地裏を3人と1匹が駆けていた。
犬の4番隊を率いるグッドマンは、上の空で呆けていた。
今グッドマンは一目惚れした女の、具体的にスーツの下。内側から盛り上がるたわわな胸を思い出している。否、それだけではない。真っ直ぐな意志を秘めた大きな瞳、芸術的なまでに美しい顎のライン。スカートやストッキングサイドから金を払って履いてもらっているのではないか、というような理想的な脚。なんなら美化しすぎても、どうせ、また会ったら美化しすぎてなどなかった! と思わせてくれるだろう完璧な女性。
グッドマンは彼女の犬になりたい、そう思いはじめていた。
別に彼女が犬でも良い、犬は好きだからだ。
いや、ちょっと待て。俺はあの女のことなど何一つ知らないのだぞ! 何を勝手に盛り上がっているんだ。いや、その必要はない。どう性格だって好きなんだ、そんなことはグッドマンにはわかっていた。
昔からあの手の女は好きだった。それなりに生きていればそのようなタイプ。というもののデータもあつまってくるものだ。しかし、なんだかんだ縁はなく人生ここまできた。そしてついには初めての一目惚れまでしまうほどのこタイプの女と出会ったのだ。
「──まいったな、マチルダ女史。セクシーすぎるぜ、その上かっこいいしな……、こんな犬みたいな男、相手にされないだろうが。いや、ていうかそもそも敵だしな……、いや、しかしゴードンを倒したのは凄いな。さすがだ、ゴードンも役得だな。いやその前に操られていた仲間を解放してくれたことに感謝すべきだろうか」
「隊長! 何言ってんですか! しっかりしてください、そんなことよりもどこに向かってんですか!」
グッドマンがぶつぶつと呟くとケニーが先程から気になっていたことを口にした。
「──え? 俺は見つかるわけにはいかないし、駆け出したアイシャについていきながら、俺を魅了してしまう天女から離れていただけだが?」
「”はいぃ?”」
双子の騎士が素っ頓狂な声を上げる。
3人で同時にアイシャをみる。
ーワウゥ? クゥ……、ワン!
たじろぎ、一瞬困り顔になって首を傾げたアイシャだが、彼女は( 今こいつらは誰一人主導権をもっておらず。そして目的もあやふやであり、つまり困った状態にあること)を察し、すぐさま決意をもって、ワン!と力強く鳴き、主導権をとることにしたのだった。
ーワゥ! ワン!
ついてこい! と言わんばかりに走り出したアイシャを全員で追いかけた。
誰も、その意図も、その目的も知らない。
だがアイシャの勘は4番隊の中では絶大な信頼を受けている。
だからみんなして走るのだ。
敵地のど真ん中で、行先も知らずとも。
アイシャ自身は──
良い料理の匂いを感じたので。まずは、そっちの方へ少し行って、確認してみたかっただけだった。
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「ジョン・スミス」
──極寒の街、ニブルス。
アメリカナイズされたバーレストラン。
先ほどまでレゾが勝手に作っていたBLTサンドが半分以上残されたまま、皿ごと吹き飛んでキッチンの方へ飛んでいった。
二人の男が店内で戦っていた。
生き霊のレゾと、そしてジョン・スミス。
窓は割れ、店内の明かりも半分ほど割れて消えた。
黒い突風のような悪霊が店の中を吹き荒れた。
恐ろしく早く動く男が赤い斧槍を振るうと風が悲鳴を上げ空気が揺れた。
互いの戦闘力は、──まるで拮抗していなかった。
涙を流しながら笑みを浮かべてレゾが言う。
「……強いねぇ、ほっんとに強い! 悔しいねぇ! 悲しいねぇ! 恐ろしいねぇ! 俺にその力があればいいのにねぇ! おぉっと、あぶないっ」
そういって身を翻そうとしたレゾの背後から斧槍が差し込まれた。
振動する螺旋の霊気がレゾの身の霊気を崩壊させ背中から腹に穴を穿った。
「──恨みはないが、お前を野放しにはしてられないな」
「……ゴフッ……、特別扱い、してくれよぉ。そのくらい… さ」
涙を流しながらレゾが振り返った。
「──黙ってろ。それに本体じゃないだろ? 楽にしてやる」
「そうか。う、じゃあ、ありがとうかなぁ……」
レゾが倒れ込み、地面についたと同時に──
傀儡師の左手から、煌めく糸が伸びた。
「──もちろん、楽にしてやるだけじゃないけどな」
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「犬の四番隊」
アイシャが、吠えながら店の一つに入っていった。
アメリカナイズされたバーレストランだった。
そこには戦闘の跡。
ー隊長!
「──わかってる。お前ら、それよりも警戒を怠るな……」
レニーにグッドマンが言った。
アイシャは店内を嗅ぎ回っていた。何か重要な痕跡があると確信しているようだった。このような時のアイシャの勘は百発百中で、4番隊は捜査を邪魔されないように、ケニーが店外を、店内をレニーとグッドマンでアイシャを守るような体制を整える。
「無人ですね。しかし闘いの形跡がある」
「相当な密度の霊気の残滓だ。隊長、これは大丈夫ですかね?」
レニーが言うとケニーが不安そうな顔で続けた。
「大丈夫じゃないかも知れんが、まぁ、いつも通り慎重にいこう。アイシャ?」
アイシャは、まずキッチンに入り、床に投げ出されたBLTサンドを味見していた。
毒ではないことを確認し終え、全て平らげた。
他に何か情報はないか、探すようにかぎ回っていたアイシャを隊員たちが見守る。
そしてアイシャが吠える。
ーどうしたアイシャ!? 何があった?
4番隊が集まるやいなや、アイシャがついてこいと店外へと走り出す。
今度はもっとゆっくりだった。
途中止まっては何度も地面を嗅いでは方角を確認し直す。
雨が匂いを消しているのだ。
雨に降られながら、アイシャは考える。
何かが起きている。普通出来事ではない何かが。それに近づいてどうする?
四番隊にできることは?
ないだろう。
ならば、ここで踵を返すか。
ゴードンのこと、君主同盟のANKH領へのルートだけ持ちかえればばいい。
しかし、アイシャが下した決断は──
見届けること。
山の近くに物見台のような塔があった。
そこへいくのだ。そこへ行けば、おそらくまた何か観測できるはず。
ーわん!
一声鳴くと、四番隊の面々が追従する。頼もしい騎士たちだった。
アイシャは戦闘要員ではない。彼らがいつも命懸けでアイシャを守ってくれていた。
きっと今回もそうしてくれるだろう。
たとえ何があろうとも。
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──Qの手前。
はぁ、はぁ……
もう疲れた。それがアインが思った事だった。
それでも、アインはやるべき事をやる。あきらめることはしない。
背負ったエレーニと共にQまで逃げるのだ。
前も、こんなことあったような気がする。
前も、エレーニを背負ってた。
前はエレーニが何とか生き延びることができた。
しかし、結果は後遺症が残った。
無理も無い。
首を落とされ魂まで届くような炎で焼かれたのだから。
あの時は、いや、あの時よりは楽なものだ。
まだまだ余力はあるし、追ってはいない。
あの分身する騎士の攻撃により左腕がちぎれてしまっているが、それでもはるかにマシな状況。
背負っている女はというと、呑気にいびきをかき始めていた。
だいぶ騒々しいが、こいつはそのくらいの玉だし、こいつらしい。と思った。
それでも、アインの意識は薄れていき、ついには倒れ伏すことになった。
夜のトウモロコシ畑がひたすらに続く道だった。
ーったく、しょうがないわね。よく寝たし、こっからは私がおぶってってあげるわ。選手交代よ。
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──ソクラスシティ 日本家屋風の家。
マイケル・モスは思い出していた。悪党のことを。
いくつかみていた未来の情報を元にマイケルが解釈していた悪党は、その人物はマイケルが作り出したものだった。あの戦争の時、ようやくそれがわかったのだった。悪党はマイケルが思っていたほどの邪悪さを持ち合わせてはいなかった。ただ行き当たりばったりで、民のことは自分の管轄ではないという感覚で生き、必要あれば粛清し、またパラノイアが発動すれば、それを解消するための行動をとっていたにすぎなかったのだ。
これは悪党の行動や、そこから生まれた被害を変えるものではないが、マイケルの自分自身の解釈に対してより俯瞰した見方が必要だと思わせるには十分な違いだった。
マイケルは意図的な人間であり、悪党はある意味意図的でない。
意図的なマイケルがみた悪党の行動と結果は実際よりも意図的に映り、それがバイアスとなって解釈されるのだ。最後に悪党は、仲間に謝りながら死んだ。ゼフならば塔を手に入れてまた無茶をすれば、もしかしたら……
悪ではなく、本当に人を保護する側に回れるかもしれない。
それを心の奥底では彼の近くの人間が望んでいたこと。ゼフについていくが、それができるなら夢みたいだと望んでいたこと。それを最後の最後でゼフ・アドリエルは気がついた。しかし、その機会はとっくに逃した。全てがもう遅かった。気がついていれば、恐怖で支配し、ひとの口を黙らせる環境を作り上げていなければ、ゼフならばおそらく無茶苦茶だができたことだった。独裁者からヒーローへなることはおそらくできたのだ。
それをやつは最後に悟り、涙して死んでいった。
マイケルは思った。自分の死期も近い。己の目を曇らせず、目の前に転がってきた機会をうまく、良く使わねばならない。その重圧に飲まれそうだった。正直マイケルに自信はあまりない。
ふと意識を目の前にもどすと、焼き魚の良い匂いがした。
七輪で魚を焼いては、熱燗をちびちびと飲む男が前に座していた。
賢者ダンカン・ダンヒル。88歳。生い先短いと自称する賢人連盟の仲間だが、自分の方が先に逝くことになりそうだった。ダンカンとは仕事仲間でもあり、飲み仲間であった。今日もお気に入りの場所で静かに二人で飲んでいた。この老人と過ごす時間はマイケルは好きだった。少し照れくさくなって、目をそらす。
「マイケル……、大丈夫か?」
「……うん。まだどうなるかはわからないけど、未来はより混沌となった気がする」
「この後起きることで言えることは?」
「もう的中率に自信がないんだ。でも…… どうやってか、敵は──僕の未来視の死角をついている気がする」
マイケルの口から出た言葉にダンカンが驚愕の表情を浮かべた。
「……それはなんだ、……真か?」
ーたぶんね。それとめちゃくちゃ強いやつが月面に負ける。なにか、なにか僕の能力が及ばない範囲で、秘密があるはず……




