プロローグ 2
この場所が『国』だと思っていたエスカレアは、主に周辺国家からの支援で成り立っている特別区であり、細かく言われてもわからないけど国のようで国じゃないという。
東西南北ともに直径十キロほどの小さい土地で、真上から眺めればキレイな円形をしているらしい。鳥にでもなってみないと確認のしようがないけど、大昔に巨大な隕石が落下してできたクレーターだったという逸話もあるそうだ。
「エスカレア特別区の中央には四つの学校があるわ。ウィキスタ術科学校、エクリル女学院、ユーノシオ管区大学、そしてマジェニア学園」
「学校がそんなにあるの!?」
「もともとエスカレアはひとつの学校だったのよ。でも兵士を養成したいとか、教養を身につけさせたいとかあるじゃない。魔法に限定しなくてもいいっていう理由で分化したっていう話よ」
その中でも魔法の鍛錬や修得にはマジェニア学園が適しているのは事前の知識でなんとなくわかっていた。
実際、ボクたちが入学を断られたのはマジェニア学園だった。
「それよりもあんたたち、これからどうするつもり?」
今日に限れば料理にありつけたものの、明日以降も世話になるわけにはいかない。
エスカレア特別区で使える通貨を持たないボクたちには長期どころか短期ですら滞在は不可能だ。
「もう一度だけお願いしようと思ってるんだ。さっき言ったよね、特別な素質があればってさ。ボクはともかくレナの魔法はすごいから、見てもらえば絶対に認めてもらえると思うんだ」
「確かに言ったわよぉ……でも具体的に何がすごいのよ。今ここで使って見せられる?」
レナの眼を見て意思の疎通を図ったけど伏し目がちに首を振っている。確かにその通りだけど、今は頬張った食事を飲み込むことに専念してもらいたい。
「ここじゃ無理だよ。危ないし、気軽に使うものじゃないから」
「ふぅん。ケチねぇ……。そうだ、いいこと思いついちゃった」
クリスお姉さんは静かに口を動かすと、突然ボクに向かってビシっと指を差した。小声だったので何も聞こえない。
「え、なに?」
暫く沈黙が流れたけど何の変化もない。
「チビッコ、貴方は今、自分の気持ちを素直に話したくなったはずよ。さ、レナはどんな魔法を使うっていうのよぉ?」
「ボクの気持ちを素直に話す必要があるのなら、易々と話をするわけにはいかないっていうのが本心なんだ。魔法が使えるってだけでも他人からすれば特異なことだし、トラブルの元になっちゃうよ。だから簡単には教えられないっていうのがボクの素直な気持ちだよ」
今この場の一飯の恩義はある。だけどこれをレナの秘密と引き換えにするわけにはいかない。レナだってよくわかっているはずだ。
「ラドくんのこと? 大好きだよ?」
「ふゅわ!? 突然どうしたの!?」
「優しいし頼りがいがあるし責任感もあるし、かわいいくて」
「ちょっと、ちょっと待って。急に何なの!? そりゃあ褒められて悪い気はしないけど、恥ずかしいし……かわいいって!?」
上目遣いのレナが唐突にボクの腕に絡み付いて可愛らしい仕草をするなんて、人前では今までなかったはずなのに。
「ふぅん、まるでふたりきりの時だけにしてくれっていう表情じゃないの。でもおかしいわねぇ、失敗したかしら。もう一回…………えいっ!」
またもやボクに向けて指を突き刺してきた。今度は外さないといわんばかりに、指先がおでこに触れてしまっている。
「アハハハハハハっ!! あんたたち可愛いわねぇ! お願いしてみてぇ。私にお願いしてみてよぉ。甘えてみてってばぁ。ねぇねぇいいでしょお?」
「お姉さんまで突然どうしたの!?」
酒が頭まで回ってしまったんだろう、何を言っているのかまるでわからない。だからお酒って、お酒を飲む人って苦手だ。
それにしてもお願いって何のこと?
「あたしは、ラドくんと一緒にいたいの。それでね、一緒に魔法のお勉強をするの。ね、ラドくん。う~ん……かわいいなぁ」
ボクの頭をぐしゃぐしゃ撫で回して離れない。こんなこと今までなかったのに、レナまで酔っ払いになってしまったみたいだ。
「もしかしてレナの飲み物に……」
「うえぇえええええん! 私、私ぃ~!! 私も甘えたいぃ。チビッコぉ、甘えてよぉ。お姉ちゃんって甘えてみてよぉおお!!」
クリスお姉さんは机に突っ伏して、堰を切ったように大声で泣き始めた。
「どういう状況なんだよ、これ…………」
唯一、素面で真っ当であろうアオイさんに恨めしさを込めて目線を送ってみる。
「レナさんの飲み物はお酒ではありませんから安心してください。クリス先輩は深酔いすると泣き上戸になるんですよ」
「そうなの? でも泣き上戸って…………こんな風になるんだ」
「しかしどうでしょう。お願いしてみろと言っていることですし、特別に入学試験を受けたいと甘えてみては?」
目の前の光景が衝撃的すぎて、この状況を収める方法が思いつかない。レナを引き離してクリスお姉さんの眼を見て話しかけた。
「あの……お姉さん。どうしてもマジェニア学園に入りたいんだ。せめてレナの素質だけでも見てもらえないかな。それでダメだったらボクたちも諦めがつくと思うんだよ」
「お姉ちゃん、がんばるぅ!! がんばるから、お姉ちゃんに任せなさいぃぃいいいぃぃぃうぇぇええええん!!」
テーブル越しに抱きしめられたボクは滝のように流れる涙でびしょ濡れだ。温かくて柔らかい感触以上に、酒臭さが耐えられない。
腕の力が抜けたところでなんとか脱出した時には、酔いつぶれて眠りに落ちていた。レナも椅子に倒れて健やかな寝顔を見せていた。
「こうなってしまったら朝まで起きませんね。今日はもう店じまいですから、ここでお休みください」
クリスお姉さんとレナを店の奥にある個室に運び込む。ソファをベッド代わりにして毛布をかけてあげた。
ボクは床で休もう。
「雨露を防げるだけでも冒険者には十分です。ありがとうございます、アオイさん」
「いえいえ礼には及びません。そうそう、試験が受けられる件は私が証人になりますから。上手くいくといいですね」