プロローグ 1
「貴方たち、こんな夜中に何してんのよ」
夜も深まった街外れ。
暗がりに腰を下ろして途方に暮れているうちに、いっそこのまま朝を迎えてやろうかと思っていたところで声をかけられた。
ひと時の休息のつもりだったけど、旅を共にするパートナーがボクの肩によりそって寝息を立てている。
「外からやってきたって? 宿はともかく食事すらしていないだなんて、子供ふたりで何やってんのよ。いいわ、すぐそこに知り合いのお店があるの。ついてらっしゃい」
ボクの名誉のために言っておくと、決して無一文で困っていたからじゃない。
この国で使える通貨を持っていないだけだ。
「別に貴方たちからお金を取ろうなんて思わないっての。料理は適当に見繕ってもらうとして…………私はビール!」
やる気のない立て看板の先にある階段を上り、ドアを開けるとバーだった。マスターに注文をすると返事を待たずに奥のテーブルを陣取る。他に客がいないからとはいえ、横柄な態度からして知り合いの店というのは本当らしい。
「そこまで警戒しなくても、子供からぼったくろうだなんてしないわよ。でもせめて、名前くらいは教えてもらえるかしら?」
ボクはラド。
まだ十一歳だけど、強いていうなら冒険者。ただの旅人というより響きがかっこいいから勝手に名乗っている。
「その若さ……いや、その幼さで冒険者? 見ない顔とは思ったけれど。で、そっちの子は?」
隣で寝息を立てているのはレナ。
同じく十一歳で元気いっぱいの女の子なんだけど、今日に限っては落ち込む理由があり、長旅の疲れもあって完全に寝落ちしている。
「ふぅー。緑髪の貴方がラドで、赤髪の子がレナね」
「え、もう飲んだの?」
挨拶を済ませたわずかな時間でビールを飲み干してしまったお姉さん。マスターがすぐに二杯目を届けにきた。
「それであんたたちぃ、あんな何してたのよぉ」
「この国に来たら、すごい魔法使いになれるって聞いたから」
「はぁ? ここは夢の理想郷じゃないっての。そんな簡単に魔法なんて使えるわけないじゃない。アハハハハ」
耳にしたことを正しく表現すると『エスカレアに行けば、たくさんの魔法を使えるようになる』と聞いている。だからボクとレナは遠く長い道のりを旅してここまでやってきた。
「入学手続きをお願いしたんだけど、門前払いされちゃったんだ」
「当ったり前じゃない。今はもう五月よぉ? 入学式なんて一ヵ月も前に終わってるわ。それよりアオイーっ、おかわり!」
この店のマスターはアオイという名前らしい。アオイさんにしろこのお姉さんにしろ、かなり若く見えるけどお酒に慣れているし、大人ってよくわからない。
「いーいチビッコぉ? ここに入りたい人間は世界中からたっくさん来るの。ひとりひとり中途入学の相手なんてしてたらキリがないのよ。来年まで待つしかないわねぇ。一年後にまたいらっしゃい、キャハハハハハハ!!」
お酒の力がそうさせているのか言葉の端々に少しずつトゲが出始めてきた。陽気に笑い始めてるし、吐きだす息も酒臭い。
「ま、特例ってのもあるんだけどねぇ。よほど特別な素質や才能があるかぁ、もしくは」
「……もしくは?」
「ずばり、金か権力! かしらね、キャハハハハハハ!!」
甲高い酔っぱらいの笑い声が店内に響く。お洒落な雰囲気のバーが台無しなのにアオイさんは注意すらしない。いくら客商売とはいえ、上がったりだ。
「あんたはどうせ金も権力もないんでしょう? じゃあどんな魔法が使えるってのよ?」
「ボクは…………ボクは魔法なんてまったく使えないんだ」
「ハハッ、お話にもならないっての」
料理をごちそうしてくれるとはいえ、この人はダメ。ボクの苦手なタイプだ。
「クリス先輩。飲んでるとはいえ度が過ぎますよ。彼はまだ子供じゃありませんか」
料理を運んできたアオイさんが諌めても酔っ払いは態度を改めない。そもそもやっぱりというか、ボクにはこのふたりが大人には到底見えない。
「珍しく付き添いがいるとは思いましたが、状況は理解しました。クリス先輩のお連れ様ですからお代を頂戴するわけにはいきません。好きなだけ料理を味わってください」
旅をしていると必ずしもご馳走にありつけるわけじゃない。今日だって朝に軽く食べただけだったから、ありがたい言葉だ。
「レナ、レナ起きて。ごはんだよ」
見ず知らずの人から食事をいただけるなんてハナから思ってすらいなかった。寝た子を起こさずにいたけど、こうなれば話は別だ。
「う……にゅん?」
目を覚ますと豪勢な料理が並ぶ。そんな状況を把握できないのも当然で、夢見心地に寝ぼけ眼をこすって首を傾げている。
「あれ……お姉ちゃんは誰?」
「良いわねその響きぃ。紹介がまだだったわね。私はクリスよ。ねぇもう一回、もう一回言ってみてぇ」
「え……おね…………クリスお姉ちゃん?」
酒乱にからまれて困惑するレナを引き離すよりも今は食事が最優先だと割り切って、料理を小皿に取り分けた。魚料理が多い中で一番のオススメはアクアパッツァだそうだ。
「どう、おいしいでしょ。この店自慢の一品でね、店名の由来でもあるのよ」
「おいしい、ねえラドくん、おいしいねぇ」
大酒を食らってふんぞり返るお姉さんの手柄じゃないと思いつつも、消沈していたレナに食欲があるのを見て安心した。
「そういえばお姉さん。アオイさんはずっと『先輩』って呼んでるけど」
「この店、アクアパッツァのマスター、アオイは私の後輩なのよ。ま、それも去年……というか先々月…………までだけどねぇ」
「ふたりともこの国の卒業生なの?」
「ええそうよ。でもちょっと語弊があるわねぇ。エスカレアって正確には国じゃないし」