金曜日の夜ふかし
金曜日というのは嬉しいものである。
次の日は土曜日で休みだし、その次の日も日曜日で休みだ。
だから、実質的には休みの日に近い。なんだったら休みの日よりも休みらしいと思う。
土曜日になると、気の早い私は、既に500m前方の曲がり角にて、食パンを咥えてクラウチングポジションを取った日曜日の存在をひしひしと感じてしまい、落ち着かない。
日曜日なんてのは、ほとんど月曜日と同じだからテンションなんか上がるはずもない。サザエさんなんて見るまでもなく、朝目を覚ました時点で明日隕石が落ちますよと言われた終末の日と何ら変わりはないのである。
結局、何が言いたいかと言えば、「金曜日を大事にしましょう」ということである。
金曜日。あらゆる用事を済ませた午後11時。そこから、我々のパーティータイムの始まりだ。
解放感。あらゆる呪縛から解き放たれ、日々に傷ついた精神を休める。
しかし、ここで問題が生じる。問題の無い現実など存在しない。
地獄のような平日の連続が、金曜日の祝福への期値をこれでもかというほど高めてしまう。
その結果、金曜日の祝福のなかに居ながら、居心地の悪さを覚えてしまうのだ。
(あれ、期待していたほど楽しめていないぞ)
そう、金曜日を楽しむにも才能や努力を必要とするのだ。
金曜日の夜に得られる幸福感を最大化するためにどうすればよいか、そのことに我々は多くの時間を割かなければならない。
もしも、金曜日に向けて何の用意もなく、努力もしないままに祝福の日を迎えるとどうなるだろう?
そう、だらだらと過ごしてしまうのだ!
そして、時刻はなんと早朝4時。
へとへとな身体と満たされない精神を持ったまま、ベッドで気絶するように眠る他ない。
こうして毎週凝りもせず「金曜日の夜更かし」は繰り返されてしまうのであった。