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【第七回】地の文コンテスト 〜久々のまたね〜

パンドラの箱

作者: ポポネ

 己の行為は全て善である。人間は常にそう考えていたい生き物のように思う。紛れもなく己もその生物の一員であり、事実としてそんな大義名分を求める心が有る。

 であるから、今回己の成したこともまた善であると声高らかに叫びたい。その必要性を考えれば善。その必然性を考えれば悪。賛否両論ある自分の行動は、決して公にして良いものと言えない。

 それでも、善であると信じ込まなければ、壊れてしまうのだ。


 僕達の住む町─村と言ってもいい─は小さい。古民家の点々と並ぶ畦道に、仄かに流れる碧い稲。山奥から聞こえる鳥と虫の合唱が我々の生活音だった。時折、流線型を模した電車が線路を泳いでいくのを見る。

 そんな片田舎であるから、勿論駅というものはごく小規模であった。車両一つ分の無人駅。一時間ごとに警笛を鳴らす折り返しの電車が、僕達と外界を繋ぐ唯一の手段だ。もっとも、外に出る理由など遊興へと繰り出す以外にない。

 僕は今日、生まれて初めてその目的以外で乗降場へと立った。人気どころか、物音一つない空間は苦痛でしかないけれども、それ以上に大きなものを得られるから。


「久しぶり」

「久しぶり」

 数年越しに見た中学の同級生は、僅かながらに面影を残しながらも、思うより大人びていた。幼さの残る制服を脱ぎ捨て、厳格なスーツに身を包んだ姿。呑気な川のせせらぎに似合わない生真面目さが、彼女の余所者を掻き立てている。

 そうだ、彼女は故郷を捨てたのだ。僕達の必死の引き留めを引きちぎって、有難い守護の外へと旅立った。相当な覚悟はあったのだろうけど、少しばかりそれが恨めしい。

「昔よく行った、あそこ行こ」

「あそこ?」

 首を傾げた僕に、彼女は優しく微笑んだ。はにかむような表情は、缶に入った檸檬サイダーの香りがする。彼女のしなやかな指先を辿ると、清流の穏やかな川があった。義務教育中、数少ない学友と共に青春を多く過ごした場所だった。

 今の彼女にとって─僕にとっても─殆ど価値の無い場所である。

「思い出作りにさ、いいでしょ?」

「わかった」

 彼女に嘘偽りなどない様に見えた。純粋に懐古の情に憑りつかれているのかもしれない。久々に見た悠々とした自然に、柄にもなく感動を抱いているのだろう。僕達にその感動は湧きおこらないけれど、彼女や少数の外部の人間は同じように行動する。

 少し硬く口角を思い切り上げた彼女は、その歯を僅かに見せながら僕の手を掴んだ。冷たい。在りし日の彼女よりずっと。驚きを隠さずに声を上げると、彼女は眉を下げた。どこか後ろめたさを抱えた大人の姿。それが、面影とどうにも不一致で被らない。

 大人になった彼女は、意地でも僕の手を握って駅から連れ出した。


「懐かしい ……」

「うん」

 稜線が続くなだらかな山々が、僕らの関係もまた解いていく。道中、言葉少なかった僕達も自然に口数が増えた。

 僕はこれまで有った出来事を全て話した。もう、とうの昔に興味の失せた話だったのだろうか。何度も耳元で囁かれた子守歌を聞くような面持ち。流石に僕の近況などは好奇心を引くもののように思えなかったが、彼女の友人たちの話をしても、そのままだった。

 一つだけ、彼女の目が光る話が有った。僕にとってどうしようもなくくだらない、些細な出来事。だけれど、彼女は聞き終えたあと苦悶の表情を浮かべた。

「ごめん」

「別に、気にしてない」

 殊勝に謝る彼女にはきっと非がない。そんなことを僕が言ったところで、彼女が納得する筈もない。斜めに落ちた橙の影が、温かみよりも冷たさを感じさせるのは何故だろうか。陽の当たる場所にいた彼女がどこまでも虚ろな表情をしている。

 ああ、そうか。その瞳が濁っているのだ。山中の川よりも澄んだ未来を見据えた目が、社会の荒波に揉まれて泥水に変ってしまった。なんと嘆かわしい。

「ホント?」

「うん」

「よかった」

 腹の奥底から安心したように、彼女は肩を落とした。不自然に伸びていた背が年相応に緩む。生気の戻った瞳が赤い陽光を乱反射して美しい。

 これが唯一、僕が彼女らしい彼女を目にした瞬間だった。

 

 その後も、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら思い出の地を一周した。案内役に僕など選ばなくても良かっただろうに。彼女の温情とも言える優しさが、じわりと僕の体温を上げていた。

 隣に彼女の少し冷たい手を感じているのも、後数分。僕達は再び駅に戻ってきてしまっていた。

「ありがとね」

「こちらこそ」

 本当に、彼女が僕の元へ来てくれて良かった。運命の神様なんてものがいるのなら、捧げものでも献上したい。

「また来るよ」

「待ってる」

「次はさ、お土産楽しみにしててよ!」

 夕日を背に、逆光のまま僕へと手を振る。上がった口角の合間から見える真白の歯が、遠い昔の彼女を思い起こさせる。あの日、僕達の腕の中からすり抜けていった彼女の姿を。光が無くなっても尚、獣のように鋭い目が僕を睨んでいた。

「どこ行くんだよ」

「内緒!」

「教えてくんねぇのな」

 責めるよう問いただす僕を、彼女は寂しそうに嗤った。まるで僕がそれに足る人物でないと断言されたようで、心臓が杭を打たれたように痛む。

 列車が到着を告げるように線路が軋む音がする。金属と金属が無理にぶつかり合って不快感のある音を醸し出していた。

 彼女は待ちわびていたように、目を細めて電車をみると、僕に別れの挨拶を告げた。

「またな!」

「うん。またね!」

 彼女は自らの足でしっかりと電車に乗り込んだ。落ちかけた日の中、人工的に光る電車がやけに煩い。ちかちかと光る車内に乗る彼女は天上人か何かかと錯覚すらする。事実、外部に住む人々は僕達にとって未知の生命体であるのだけど。

 そんなくだらない思考をも追い越すように、電車は足早に差って言った。数時間を共にした事実が僕の脳内にしかないことに哀愁を感じなくはない。

「変な嘘つきやがって ……あのバカ」

 僕達は永遠に会うことはない。それを共に理解しながら、再会の約束をすることのなんと虚しいことか。その原因を作ったのは僕か、はたまた彼女か。問うまでもなく僕なのだろうけど。

 それでも、開かなければ絶望など無かった。怨恨など微塵もない。怒りよりも歓喜が僕を包んでいる。しかし、責はやはり彼女にあると思うのだ。箱を作ってしまったのは僕だけれど、開けたのは彼女だから。

 これから先、僅か箱の隅に残った希望を祈って生きていく姿が、愚かしくも愛おしかった。


「あーあ。また行きたいなぁ」

 喧喧囂囂と騒ぐ大衆。聴覚と視覚を劈くサイレンが、けたたましく友の影を浮かび上がらせていた。憑き物がとれたように私に微笑んだ姿が、脳裏から離れずに私を苦しめる。故郷へ行った際、彼の優しい姿とは大違いだった。

 自分が暴いた罪に後悔する訳では無いけれど、友を一人失う寂寥感が通り抜ける。『探偵』という役割を好んだ故に後悔はしない。罪を白日の元に戻すことが、罪人を救うだと信じて生きていた。

 であるから、やはり私は、友を救ったのだと思いたかった。


──○○年某日朝刊新聞の見出しにて

『都内連続殺人犯の検挙。またも名探偵のお手柄か』

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