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アフター・ワクチン ――君打ちたもうことなかれ――  作者: 星香典
終章 君打ちたもうことなかれ
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終章 君打ちたもうことなかれ 07

 瓶の中身を飲み干し、一呼吸置くと瓶を落とした。苦しそうに胸を押さえる。床に倒れ、ほんの数秒のたうちピタリと動かなくなる。それは明らかに抜け殻だった。高橋由奈の体から中身が抜けて、ただの物体になったのが見てとれた。それよりも驚いたのは、空気が変わった。いや、世界が変わってきている。僕たちは普段三次元を生きている。そこに、もう一次元、四次元が現れたのを、僕ははっきりと感じていた。


「なんだよ、これ」


 僕は呟く。


 頭が混乱している僕と違い、海津も義章さんも落ち着いたものだった。


 海津は虚空に向かって言う。


「実験は成功した」

「成功しなきゃ、洒落にならないでしょ」義章さんはその目に四次元を浮かべていた。僕をチラリとみると嬉しそうに、「頑張ったな僕も」


 と言う。その声音に言い知れぬ親しみを覚える。


「どういうこと?」


 義章さんは秘密を打ち明ける子どものように、


「アンソニー・ガルシアが2035年から1963年のステファニー・ガルシアに移ったように、僕も2031年から2021年の裕二の体に乗り移った。つまり、僕は十年後の達也、君だということ。2021年で何度もこいつらに殺されて、2021年の僕ではどうすることもできないと悟った。それで、今日まで生き延びることにした」


 義章さんは未来からきた僕? だとしたら、もともといた義章さんは誰?


 義章さんの姿をした僕は、やはり僕なのだろうか、僕の疑問に答える。


「知ってる通り、裕二の体に入った僕と由奈は謀って、裕二が死んだことにした。もちろん、ガルシアどもは簡単には信じない。これも実は数回やり直している」

「義章さんは?」


 未来から来たという義章さんの形をした僕は続ける。


「義章さんはガルシアショックの前に、ワクチンの副反応で亡くなった。そのことを知っていた僕は、海津の病院に義章さんを入れて、義章さんに成り代わった。裕二と義章さんは年齢も変わらない、背格好もほとんど同じだったから、顔を整形すれば見た目では誰にも分からなかった。しかも、義章さんは身内がいない。唯一の身内と呼べるのは住職だけ。だから僕は住職だけ騙せればよかった。退院してボロが出る前に、修行をやり直したいと願い出て九州の寺を紹介してもらった。細かい記憶違いはコロナ後遺症のせいにしてね。そして、弟の命日、この日に僕は寺を訪れる。ガルシアを誘き寄せるには、僕自身と海津が行動を共にすることが一番確実だ」


 目の前の義章さんは、裕二の体に乗り移った未来の僕? 体は裕二のもので、顔を義章さんに整形して、中身は僕?


「この傷、覚えてるだろ?」


 義章さんは袖をめくって前腕の傷を示した。その傷は、小学校の頃、工事現場で遊んでいて、足を滑らせて転落した裕二が飛び出した針金で深い切り傷を負ったものだった。


 義章さんは義章さんではなく裕二の体。その中身が僕。


「なかなかそう簡単に納得出来ないかも知れないけど、とりあえず、ここまでは上手くいった」


 義章さんは海津と目を合わせる。


 僕には新たな疑問が生じる。


「ここまで?」

「ああ。問題はこの先。彼女が過去に戻ってうまくやれるかどうか」

「高橋由奈が?」


 僕は足元に転がる彼女の体を指す。それはまさに体であり空っぽの存在。


 海津が僕の隣に来て、


「高橋由奈は今過去へ向かって飛び立っている。2009年の姉の元へ。やっぱり時間軸は世界に二つはなかったんだ。常に一つで、上書きされた瞬間にこれまで構築された世界は消去される。理論通りだ。彼女が過去にたどり着いた時点で、この時間軸は消滅する。彼女のタイムリープを起点とした新しい時間軸が世界となる」


 そんな海津の独白を耳にしているうちに、世界はみるみる姿を変えていく。


 四次元が五次元になり、多次元が入り乱れて溶けていく。


 僕自身もその中へ溶けていき、意識と世界が一体化していく。


 全ての人々、全ての存在と意識が一つになるような味わったことのない快感。


 恍惚。





―2031年―



「ご飯できたよ」


 と理恵が僕の体を揺すった。


 いつの間にかソファで眠ってしまった。テーブルの上には夕飯が湯気をあげている。


「ぐっすり眠ってたね。疲れてるの?」

「いや、別に疲れることやってないはずなんだけど」


 とても、とても長い夢を見ていた気がする。


「どのくらい寝てた?」

「時間にしたら大したことないんじゃない。三十分くらいだったかな?」


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