第一章 人間の終わり 04
海津と連絡先を交換し別れたあと、売店で花を買って戻った。陽の足が速くなる秋、電気の消えている病室はもう夜と同じだった。花を抱えていると、病院独特の薬品の匂いに時々花の香りが混じる。
彼女は寝ていた。花瓶の花を取り替え、椅子に座って彼女を見ていたが、そのまま眠ってしまった。
「新しいお花って……」
という声で目が覚めた。
「あれ、僕も眠っちゃった。今電気付けるよ」
「いいよ、このままで」
窓から入る街の灯りが、仄かに室内に届いて、お互いの顔がやっと分かるくらいだった。
「新しいお花。わたし、もう死ぬのに」
「花が新しくて悪いことないでしょ」
「ごめん、ありがと」
もうあと数時間だろう。いや、数分かも知れない。この瞬間かも知れない。
「海津来たんだってね。さっきそこで会ったよ。少し話した」
「うん。海津君髪伸びてたね」
「何話したの?」
「いろいろ。研究の話とか。あと、高校のころの話とか」
理恵はいくつか懐かしい話を聞かせてくれた。僕たち三人はよく連んでいた。
「このこと、達也に話しちゃおうかな」
悪戯っぽく言う。
「なんのこと?」
「ううん。やっぱりやめとこうかな」
「なに、気になる」
「じゃ、言っちゃおう」一息ついて彼女は、「高校入って、三人で同じクラスだったでしょ。わたし最初は海津君のことが好きだったんだよ。どう? びっくりした? 二十年目の告白」
「マジか。そりゃびっくり。それなのに、僕と付き合って、結婚までしてくれたの?」
そんなことは痛いくらい知っていた。そのことで、どれだけ僕が悩んだことか。
「だから、最初は、って言ったでしょ。海津君には悪いけど、すぐに達也の方が好きになっちゃって、わたしってひどい女だよね」
違う。君は最高の女性だ。なんで、僕は今日この人と別れなければならないのだろう。あの日の前に戻れるなら、ワクチン接種法違反で後々引っ張られようとも、海津と同じくどんな手を使ってでもワクチンを打たないでいてみせる。君にも絶対に打たせない。
「わたし、まだ死にたくないな」
彼女は笑顔だったが、その頬には涙が流れていた。
だから、僕も笑顔を崩せなかった。一度悲しみが堤防を越えてしまえば、僕たちは濁流にのみ込まれて溺れてしまう。
「わたし死にたくない。達也にも死んで欲しくない。子どもだって欲しかった。家族で旅行にも行きたかった。あなたと一緒に歳をとって、金婚式とかみんなにお祝いしてもらって、うちのおじいちゃんやおばあちゃんみたいに、歳をとりたかった」
「僕だってそうだよ……」
思いの丈を述べようと思ったのに、彼女はまた眠ってしまった。いたたまれなくなり病室を抜け出した。トイレで鏡を見ると、目の周りが赤くて恥ずかしい。何回顔を洗っても落ちない。ハンカチで濡れた顔をぬぐい、無理に笑ったら酔っ払いの赤ら顔のようだった。
読んで頂いてありがとうございます。UP、夕方のつもりがよるになってしまったー。