第一章 人間の終わり 03
僕は甘い缶珈琲で喉を潤しながら、
「おまえ、いまどうしてんだ?」
海津は自嘲するように、
「大学はクビ、犯罪者、ワクチン接種法が改正されたあとも、卑怯者のレッテルを貼られ、って卑怯者はレッテルじゃないな。正真正銘の卑怯者だ。今は田舎で麦を作ってる」
米よりも小麦のほうが儲かるんだと、販路や交付金やらの話を聞かせてくれた。
「もう少ししたらおまえの時代だよ。だっておまえは死なない」
「まぁ、当分は死なないだろうが、どうかな。一応前科者だから大学から声がかかることもないだろうし。細々小麦でも作ってるよ」
海津だけではない。あの事件では医師や学者、政治家から高級官僚、著名人、百人以上が一斉に立件された。一番多かったのは立場を利用できた医師だった。
ワクチン虚偽接種。結構騒がれた事件だった。虚偽接種はワクチン接種法違反であり、海津たちは起訴された。被告たちは最初、自分たちは間違いなく接種したと主張した。しかし、検査や証拠や証言によって接種虚偽が明らかになり、百余人のうち半数が減刑と引き替えに虚偽接種を認める。虚偽接種を認めれば、強制接種されるが医師免許の剥奪等は免れ、身分は保障されるという司法取引だった。
海津をふくむ四十七人の医師及び学者は頑なに虚偽接種を認めなかった。一審も二審も共に有罪。最高裁で争っているうちにじわりじわりとワクチン死が広がり始める。最高裁でも有罪。強制接種の執行日が確定。ただ、広がり始めたワクチン死は、因果関係不明で片付けるにはあまりにもお粗末だった。海津の強制接種の前日、ワクチン接種法が改正され、強制接種は停止となった。
海津たちは保釈されたが、無罪になったわけではなく、強制接種はあくまで停止されているだけ。
ワクチン接種法は未だに運用を変えて存続している。発行したワクチンパスポートはマイナンバーと統合され、IDの役割を果たしている。故に、ワクチンパスポートの偽造、虚偽接種は未だに法律違反。ただ、ワクチン接種及び強制接種がなくなったに過ぎない。ワクチンパスポート不携帯は違反であり反則金が科せられる。
有罪になった医者たちは強制接種からは逃れられたものの、世間からは逃れられなかった。とくに、ワクチンの有効性を喧伝し接種を薦めていたもの、本業のクリニックを休業してワクチンバイトに勤しみ荒稼ぎをしていたもの(一本五千円、一日百本、月に一千万円)。比喩ではなく車ごと炎上して殺されたものもいた。
僕は海津に会ったら絶対に聞きたいことがあった。下らない近況報告に時間を費やしている暇はない。
「おまえ、どうしてワクチン打たなかったんだよ」
海津は俯いた。何回か言葉を紡ごうとして、口を開いたり閉じたりして、
「ごめんな。止められなくて」
「そんなことはどうでもいい。あのとき、打たない選択肢なんかなかったんだから」
「達也、そりゃ違うと思う。おまえの場合は裕二がコロナで死んだってのもあるけど、2021年九月の時点でワクチンがヤバいなんて話は山のように転がってたぜ」
「ネットにだろ。ネットの情報と、政府やマスコミの情報、普通は政府やマスコミの情報を信じるだろ? だから、ワクチン接種法が施行される前に八割以上打ってた」
「同調圧力でな。半分は打ちたくないのに、パスポートだ、利他的だ、社会のためだ、とか迫られて」
「そんなことはもうどうだっていいんだよっ!」
僕は思わず声を荒げ、握った拳で自分の膝を殴りつけた。本当は、どうだっていいわけないんだ。海津の言うとおり、ワクチンの危険性を訴えて、反対運動をしていた人たち、強制接種になるまで打たなかった人たちもいた。僕は自分の判断で打った。ただそれを社会のせいにして、責任を逃れているに過ぎない。
海津は僕が落ち着くのを待ってか、それとも、告げるのを逡巡していたのか、しばらく黙った後、おもむろに口を開いた。
「おれが打たなかった一番の理由は、ガルシアの警告だ」
一瞬、言葉に詰まった。
「……嘘だろ、おい」
今を生きる人間でステファニー・ガルシアの名前を知らないものはいない。NID(国立感染研究所)所長、合衆国大統領首席医療顧問。世界中にワクチンを広めた人間の筆頭である。さらに、致死性が分かっていたにもかかわらず広めたことが発覚。ワクチンを接種した七十億の人々に死の宣告を与え絶望の淵にたたき落とした。ポルポト、スターリン、ヒトラーをゴボウ抜きして人類史上最悪の名を欲しいままにした。
「勘違いするな。そのガルシアじゃない。兄のアンソニー・ガルシアの方だ。アンソニーは脳機能学者で、留学中の教授だった」
そう言えば、海津が留学から帰ってきた2021年に、その話は聞いたことがあった。当時はまだワクチンの副反応が公表されておらず、ガルシアはワクチンを世界に普及させた功績を讃えられていた。その兄から教わっていると海津は嬉しそうに話していた。
「ガルシアの兄はおまえになんて言ったんだよ?」
「まだ接種が開始された五月の頭くらいだったかな。理由は言わなかった。ただ、ひと言、絶対に打つな、って。二回、いや、三回繰り返してた。ネバー、ネバー、ネバー、って。今でも耳に残ってる。だから、おれなりに色々調べたんだ。もし、ガルシアの言葉がなかったら、忙しい毎日だ、おまえと一緒、世間に流され、何も考えずに打ってただろうな」
初耳だった。二の句が継げなかった。
読んでいただいてありがとうございます。けっこう大手術していて(小説をね)夕方もう一話、アップ出来るかな。