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アフター・ワクチン ――君打ちたもうことなかれ――  作者: 星香典
第三章 ワクチンで死んだ少女
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第三章 ワクチンで死んだ少女 11

 どうせ弟は傷薬も絆創膏も持っていないだろう。持っていたとしても、どこにしまってあるか見当もつかない。頭の片隅に居座っている弟の記憶はそこまで親切ではない。僕はタクシーを降りると、由奈に鍵を渡して、近所のドラッグストアで買って帰った。


「ごめん、傷薬まで買ってもらっちゃって」

「いいよ。どうせ使うもんだし」


 由奈は傷口に泡を吹きかける。この泡が効くんだよね、などと呟いていた。スカートに傷薬がつかないように、太ももまでたくし上げていた。あらわになった素足をじろじろと見るものではない。


 僕はさっきのデモがニュースになっていなかネットを探す。速報という形で、警官隊とデモ隊が衝突。催涙弾を使用。双方に負傷者。と出ている。さすがに無視できるレベルではない。SNSでも取り上げられていた。


 デモの映像を見ると、あのときの音、振動、空気の匂い、熱、そういうものが次々と呼び起こされる。いままで、いろいろな国で起きていたデモや暴動を見ても、全く感じることがなかったが、その場に自分がいたという記憶が、映像から感覚を呼び覚ましていた。


「ありがと。たすかったよ」


 治療を終えた由奈から、傷薬と絆創膏の箱を渡される。


 机の上に置いてあるレターケースにしまおうと、引き出しをあけると、そこに全く同じ傷薬が入っていた。


「あれ、あった」


 ふふふ、と由奈が笑っていた。


 引き出しのなかの傷薬を振ってみると、中身もほぼ満タン。


「これ、やるよ」

「大丈夫。うちにもあるから」


 弟の引き出しは、傷薬が二つになってしまった。

 由奈は僕が出しっ放しにしていた習字道具を指し、


「習字の練習?」


 習字の練習は重言ではないだろうか、などと考えつつ、


「そう」

「この前来たときとなんか違うと思った。墨の香り。落ち着くね」


 膠の腐臭を紛らわすため、墨には龍脳などの香料が練り込まれている。


 やらない人からしてみると、そうなのかも知れない。僕はこの匂いになれてしまっていて、気にしたことがなかった。


「ほら、さっきのデモ、早速動画上がってるぜ」


 由奈も自分のスマホを使って検索を始めた。


 次々と他の動画も上がってくる。最前線では警官隊に袋だたきにあっているものもいた。デモ隊も負けていない。石を投げる者、つかみかかる者、しかし、警官隊の戦力の前に総崩れだ。


「わたしの怪我なんかかすり傷」


 スマホを握る由奈の手が震えていた。


 僕たちはあの場所にいたから現実感があるけれど、いなかった人たちが見たら、これ日本? と首をかしげるだろう。警官隊に制圧される絵は、オーストラリアやイタリアの反グリーンパス暴動と同じだった。ちょっと前の香港の騒乱と同じだった。


 八時過ぎに僕たちは飯を食いに出た。一昨日と違って、ファミレスも開いていたが、緊急事態宣言が開けた街は歪んで見えた。灰色に見えた。緊急事態の方が僕たちにとっては自然で、緊急事態が終わるということは、新しいなにかが始まるということ。


 一昨日と同じ店に入って、同じようなものを飲み食いした。明日、仕事がないからと由奈は三杯目も豪快に飲み干した。


「裕二、喋んなくてよかったよ。ぜったい公安にマークされた。もう会社もクビかも」


 ハハハ、と酒の勢いで彼女は笑っていた。


「あのときさ、由奈、僕の未来の話信じるって言ってたじゃん。ほんとに信じてるの?」

「うん。信じてるよ」

「どうして?」

「だってアンタ、裕二じゃないでしょ?」

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