表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アフター・ワクチン ――君打ちたもうことなかれ――  作者: 星香典
第一章 人間の終わり
1/66

第一章 人間の終わり 01

現在世界の人口は六十八億人です。九十億人程度まで増加します。しかし、新ワクチンや保健医療、生殖関連で十分な成果を納めれば、おそらく十パーセントから十五パーセント抑えることができるかもしれません。


ビル・ゲイツ 大富豪 2010年TEDゼロ炭素スピーチ 4:21から





アフター・ワクチン ――君打ちたもうことなかれ――




第一章 人間の終わり




-2031年-


 竜巻が舞い上がり、熱風が吹き荒れ、うねり押し寄せる波に文明が掠われていく。大気はよどみ、黒雲に覆われた空では常に雷鳴が轟いている。休む間もなく揺れる大地。赤土に横たわる妻の手を握るが、みるみる皮膚はただれ、肉は朽ち、骨が崩れていく。


 嫌な夢を見た。


 どん、と人が倒れる音で目が覚めた。電車が急なカーブを曲がったときに、目の前の死者は椅子から転がり頭を床に打ち付けた。薄く開いている死者の目と目が合ってしまい、僕は視線を外し車両を変えた。僕以外にも、死体のそばに座っていた何人かが車両を変えた。


 毎日一万人が死んでいると言うが、実際はもっと死んでいるのではないだろうか。町中で死者に会ったのは、これが三回目だった。死ぬ日は検査をすれば簡単に分かるのに、それをあえてしない人たちがいる。出来れば検査を受けて自宅か病院で死んで欲しい。正直目の前で死なれるのはいい気分がしない。


 アナウンスがちょうど目的の駅を告げた。


 寺までは駅から歩いて十五分くらいだった。最近はタクシーも少なく、歩くしかなかった。十月に入り、午前中の涼しい陽気だった。時間がないことを除けば、歩くという選択肢は正しい。門前の花屋で仏花を買う。


 寺の前には何台も車が駐まっていた。喪服姿の人たちが屯している。喪服は人々から所属を奪う。その人達が、どういう人たちか測るには、靴を見るか、装飾品を見るか。その点僕は普段着だった。喪服の集団に紛れて門をくぐる。


 たまたま本堂から降りてきた住職と目が合った。僕は会釈し、


「すごい、混んでますね」

「ああ、内田さん。ご覧の通りの忙しさです。坊主、まるで儲からず」


 住職は戯けて言う。


「墓参りに来ました」

「確か命日は先月でしたな。弟さんも喜ぶでしょう。わたしもあと半年の命です」


 住職は呼ばれる声に引き寄せられるように、軽く会釈をすると、足早に去った。


 次々に死んでいく。掃いても切りがない秋の落ち葉のように、人々は死に続けている。当分、ここの賑やかさは続くだろう。


 寺の後ろ側は丘陵地になっており、そこに墓が犇めいていた。弟と両親、祖父母が眠る内田家の墓は少し登らなければならない。僕はじっとりと汗をかく。


「裕二、僕も今日そっち行くから。理恵と一緒に。だから驚くなよ。あと、嫌味も言うな」


 僕は花を添えながら言った。午前中の清々しい風が吹いていた。二歳年下の弟はちょうど十年前にコロナに罹って死んだ。二十四歳だった。当時は、どうして弟が死ななければいけないのか、随分嘆いたが、弟はあの時死んで正解だったのかも知れない。こんな世界の空気を吸わずに済んだのだから。


 墓石の裏側に回る。両親の名前よりか、幾分新しい彫りで、内田裕二 1997~2021 と刻まれている。その名前の溝を僕は何度となく撫でてしまう。


 踵を返し山を下る。今日僕が死んだら、この墓は誰が管理するのだろうか。住職に伝えた方がいいだろうか。いや、住職も半年で死ぬ。終末を迎えるこの世界で、墓の行方を考えるのも馬鹿らしい。


 僕と理恵は子どもを作らなかった。最初、カナダで急に死産が増えた。それがワクチンの影響であると分かったのは随分と後だった。しばらく様子を見ようということにして、2026年を迎え、僕たちは遠からず死ぬことが分かった。仮に子どもを産んでも育てることは出来ない。諦めるしかなかった。理恵は悲しんだ。彼女は子どもを持つことを夢見ていたから。僕も悲しかった。悔しかった。


 本堂を通り過ぎるとき、ちょうど住職と遇う。袈裟が厚いのか、うっすらと額に汗を浮かべている。


「本当に忙しそうですね」

「ええ。お参りはお済みですか?」

「はい。あ、ところで、僕もそう長くないわけで、僕が死んだら、お墓どうしたらいいかなって」


 住職ははじけるように笑って、


「面白い心配をなさる。そうですなぁ。わたしももう死ぬので、この寺をどうしたものやら」


 そう言えば、住職以外の僧侶が見当たらない。昔はもっとたくさんお坊さんがいた。


「ひょっとして、もうご住職お一人?」


 恥ずかしそうに頷いて、


「最後のご奉公です。命ある限り、わたしはこのつとめを果たします」

「みんないなくなってしまいますね。最初、義章(ぎしょう)さんがお亡くなりになったときはびっくりで」

「あの時はまだワクチン副反応が公になっていない頃、ガルシアショックの前でしたからな」


 雲水の義章さんはちょうど僕と年齢が一緒で、来るたびによく話していた。両親の法要などでも、なにかと好くしてくれた。たしか、ワクチンの危険性が議論されるようになった2025年頃だったと思う。心筋炎で突然亡くなった。


 住職に一礼して寺をあとにした。


 駅に戻り、自動改札にモバイルをかざす。金額が表示されるところにハイフンが表示されるのを見るたびに、苦笑が漏れる。妻の病院まではここから二時間かかる。今から戻れば十四時前には着くはずだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ