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第1話 かくして僕は努力に憧れる

 人は二回死ぬ。


 一度目は物理的な死。魂がこの世から旅立つ瞬間。


 二度目は記憶的な死。生者からの記憶から旅立つ瞬間。


 故に、不死は可能だ。教科書にでも乗れば、二度目の死を迎えることはない。


 ベートーベン、織田信長、太宰治……。人類の歴史が続く以上、彼らは不死だろう。


 誰だって、こうなりたいと願っている。自分が生きた証を遺したいと思わない人間は、生の真意に気づいていない愚か者だ。


 しかし願ったところで。努力したところで。というのが現実だ。


 優れた曲を作っても、心揺さぶる言葉を紡いでも、俺たちに不死は訪れない。過去は、超えられないから。


 ならば、努力は無駄だ。天国に金は持っていけない。勉学に励んでも死には逆らえない。女にモテても、先に死んだらすべておじゃん。死んだらすべてが無に帰す。だから努力は無駄である。これが久我時雨が展開する『努力意味ない論』である。


 しかしこの論には重大な欠点がある。それは、


「時雨ーー! 待ちなさいよ!」


 冬至は過ぎたというのに、暗がりが広がる放課後。いくら進んでも変わらない畑道を全力で漕ぐ中、後方からレモンソーダのような声が飛んできた。


 渋々、ブレーキをかける。振り返り、第一に目に入ったのはよもぎ色のポニーテール。この時点で人物は確定した。


 男女差別と言われそうだが、ガニ股など気にせずに全力で自転車を漕ぐ姿は甲子園球児にしか見えない。


 しかし彼女が着ているのはセーラー服。巻いているリボンが青のことから、同級生である。残念ながら。


 こちらはウインドブレーカーを着ているのに、アイツは制服以外何も着ていない。そういったことからも球児が連想される。


 もしかすると下に重ね着を繰り返しているかもしれないが、その可能性はかなり低い。何故知っているかって? 生まれた時から一緒にいるから、かな。


「何だよ。よもぎ」


 よもぎ色の髪色の彼女の名は餅よもぎ。まさに名が体を表す。そんな彼女の必殺技は、よもぎ餅爆弾である。


「何だよ、じゃないわよ! 日直だから少し待ってって、言ったじゃん!」

「……すまん」

「心にもない謝罪をするな!」


 餅のように柔らかい怒号が飛ぶ。そこまで怒っていないから爆弾は降ってこない。そのことに少しだけホッとする。


 あの行為は、食材の無駄でしかないからな。


「ちょっと、降りなさいよ」

 

 畑道は細いというのに、よもぎは俺の隣に並び、自転車を押し始めた。


 そして背中にローファーが食い込む。そういやコイツ、キックも得意だったっけ。


「何でだよ。さっさと帰りたいだろう?」

「私とおしゃべりしたいだろう?」

「いつもしてんじゃん」

「でさ、聞いてよー」


 駄目だ。こうなった以上、もう逃げられない。大人しく


 よもぎ餅は壊れたブルドーザーに豹変した。


「ママに東京の大学行くの駄目って言われた」

「へぇ」

「信じられなくない⁉ こんな場所にずっといたら頭おかしくなる! 時雨もそう思うでしょう⁉」

「俺は別に、この村好きだから」


 確かにここには何もない。良いこともないが、悪いこともない。だから、好きなんだ。


「……ダウト」

「嘘じゃねぇよ!」

「嘘! 今のセリフもダウトーー!」

「だから嘘じゃねぇって! 俺はずっとここにいてもいい!」

「しんっじらんない……今ダウトって言えば許してあげるから」

「エイプリルフールでもねぇのに嘘連呼するわけねぇだろ! お前じゃあるまいし」

「だってここは海葦村だよ⁉ 人口千人にも満たないくせに面積だけはいっちょ前なクソ田舎。映画館もショッピングモールもない。カラオケはスナックに置いてあるだけ。しかも演歌しか入ってない。唯一のコンビニは夜八時に閉まる。時雨知ってた? トーキョーのコンビニって24時間営業なんだって!」

 

 知ってた。何なら東京だけではない。24時間営業のコンビニは、絶滅危惧種ではない。芸能人より早く見つかる。


 だからそんなドヤ顔をするな。お前が大っ嫌いな田舎臭がプンプンするぞ。


「へぇー。シラナカッタナァ」


 かといって正直をストレートに投げるわけにはいかない。今度こそよもぎ餅爆弾の刑が執行されるだろう。


「でしょ⁉ それにトーキョーのカラオケは夜遅くまでやってるの! スナックじゃないのにだよ⁉ 信じられる⁉」

「シンジラレナーーイ」

「あとね、トーキョーには……」


 よもぎの目は帰路を見ているようで見ていない。恐らく彼女が見ているのは、東の都、東京。


 街灯一つない暗がりだというのに、進むことに臆しない。もう十年以上、この道を通っているからだろうか。それともその目が、道を照らしているからだろうか。


 真実は恐らく、嫌絶対に前者だ。だけど俺は後者だと思いたかった。


 よもぎは馬鹿だ。トーキョーの利点にだけ目を向け、勉学に励む愚か者だ。


 俺はそれが、羨ましくて仕方がない。


 努力は無駄だ。それは自分に対する下らぬいい訳に過ぎない。


 夢中になれる趣味も、輝かしい夢も持てない俺の存在を、否定しないための言い訳なんだ。


 俺は、努力する理由が欲しかった。原動力が欲しかった。


「ちょっと時雨! 聞いてんの⁉」


 ぴしゃり。


 頬に纏わりつくねばねばした感触に立ち止まる。はじめは納豆かと思ったが、触ってみてやっと思い出した。これが噂のヨモギ餅爆弾。その名の通り、よもぎ餅を投げつけるという難民キャンプに喧嘩を売っている彼女の必殺技。


「お前それ本当にやめろよ……」

「何よ。美少女が毎朝必死にこねくり回したよもぎ餅よ? 嬉しいでしょ?」

「……………」

「な、何よその目! 時雨の目は節穴ですか⁉ こんな美少女が隣にいるのに!」


 左手に纏わりつくよもぎを口に運び、彼女の姿を一瞥する。


 努力について悩んでいても、俺は男だ。やはり目線は、必然的にそこへ行く。


 首の下の、そこ。開始早々好感度を下げるわけには行かないので、言葉は濁しておこう。


「……どこ見てんのよ」

「……鎖骨、白いなって」

「もっとマシな言い訳しろ」


 今度は頭に鋭い衝撃が走る。


 予想外の物理攻撃に思わずよろける。あと数秒早ければ、餅を喉に詰まらせていた。


「貧乳は血も涙もねぇな……」


 彼女の手には大量のよもぎが詰め込まれたタッパー。恐らくあの角で殴ったのだろう。


「はぁ⁉ 私貧乳じゃないし!」

「cカップ以下は貧乳だろッ!」

「あんた今全国七割の女性敵に回したわよ⁉ つーか何で私のサイズ知ってんのよ⁉」


 いつのまにか球児が消えたよもぎは、頬を少々赤らめ、タッパーで胸部を隠す。よもぎ餅、というよりイチゴ大福だ。


「お前の母ちゃんおしゃべりしないと死ぬ病気だよな」

「っーーー! そ、それ嘘だから! ダウトだから! え、エイプリルフールだから!」

「聞いたの先週」

「エイプリルフールの予行練習!」


 だとしても早すぎるだろ。そう突っ込もうとしたがやめた。俺は貧乳モンスターと違い、血も涙もある。これ以上は流石に可愛そうだ。


 それに、もう殴られたくない。……こっちが本音じゃねぇからな。決して、保身のために引いたんじゃねぇからな。


「とっ、とにかくこのことは忘れるよーに!」


 つーことは真実じゃねぇか。ダウトするなら最後まで貫けよ。


「じゃ、じゃあそういうことでっ! ま、また明日!」

「ちょ、おいっ!」


 っあんのカビモチ……! 羞恥を感じた彼女は、それが全身を支配する前に逃げ出した。俺に! 自転車を! 押させといて!


 アイツのああいうところが嫌いだ。俺もすかさず自転車に跨り帰ろうとしたが、やめた。


 別に、追いついたら殴られるからだ。決して、彼女をこれ以上辱めるわけにはいかないとか、そういう訳ではない。


 畑道はまだまだ続く。一人で歩くには少々長い。


 確かに俺はそう思った。そう思った、けど……!


「ウ、ウワァァァ……」

「……ん?」


 クマにしては人間らしすぎるうめき声に足が止まる。


 辺りを見渡すが、何も見えない。なのでポケットからスマホを取り出し、懐中電灯を起動させたのが運の尽きだった。


「……はっ⁉」


 左右に光を当てる。ビニールハウスに土から顔を出す葉、葉、葉、葉……。うん、何もないな。


 安堵のため息をつく。さっきのは空耳。もしくは近所の子供が俺のような人間を脅かそうとしたのだろう。


「ウ、ウワァァァ!!」


 だから、もうその手には乗らないぞ。やれやれと首を振っが、自転車の自動ライトが照らす先を見て硬直した。


 直進、直進、直進……触手。その先にあったのは、タコの足のようにうねうねと動く緑色の触手だった。


 悪寒が走る。学校でトイレしといてよかった。下手すりゃちびってた。


 上げた目線の先には、四つの光。らんらんと光る、黄色の目玉がぎゅるりと一周回り、その目線は俺に着地する。


 ああ。前言撤回をしよう。こんな村、大っ嫌いだ。


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