忍と人質と忘れ草(2)
「…いやいやいや、俺は一応、里の中でも天才って言われてたんだよ…!?」
「なんだ。唐突な自慢か?」
「違うわ!なんであんた教えてから数日で火が出せるようになってんのさっ!普通だったら一年以上はかかるんだけど!」
あの日以来少年は毎日佐助のもとを訪れ食事と水を運び、その代わりに佐助は忍術を教えるという日々が始まった。 綺麗な身なりで毎日朝早くに食事を持って来ては一度帰り、夕方になって忍術を学びに来る。親の目をかいくぐってきているのか何なのか分からないが、毎日決まって同じ時刻に現れた。そんな日々が続いていた。
佐助は自分が何をしているのかわからなかった。ダラダラとこの地に居れば居るほど根が張ったように動けなくなる。
千代のことを、里のことを忘れたわけじゃない。むしろ、少年がいない間はそのことしか考えられなく、胸が張り裂けそうになっては自傷行為を行いそうになり、それも出来ずに無力感に襲われていた。
そんなある日、急に少年が話を切り出した。
「俺はもうすぐこの地を離れるみたいだが、あんたはどうする?」
「…は?」
「織田信長様がお亡くなりになったそうだ。ここから別の場所へ移動する。」
「引っ越しかなにか?」
「引っ越しというより、また人質として預けられる場所が変わるだけだ。」
「…は?…人質って…。」
「…言ってなかったか?」
佐助は少年が言っている意味が分からなかった。そもそも二人はお互いの名さえ知らなかったのだ。お互いがお互いに深く聞かなかったし、ただ食事を与える代わりに忍術を教えるという関係。
佐助は少年のことを裕福で何不自由なく幸せに過ごしているんだろうなと勝手に妬ましく思うことも度々あった。しかし、それが違っていたことに驚く。だって、少年はいつも飄々と過ごしていたから。
「で、あんたはどうするんだ?」
少年の問いは佐助の気持ちを大きく揺さぶる。
あの日からどれだけの月日が経ったか分からない。きっと里へ帰っても皆にがっかりされる。何よりも千代に失望されるのが佐助は怖かった。堂々としたかっこいい兄でいたかった。しかし、実際はどうだ。任務に余裕ぶっこいて行き、任務自体は遂行したものの里まで帰れず、無気力になり何か月もふらふらとさぼっては、人から食事をもらって過ごしてた哀れな子どもに過ぎなかった。
それに、千代は佐助のことを英雄を見るかのように見つめてくる。だが、実際佐助は何をした。無抵抗な子どもを、助けを求めている子どもを殺めたのだ。どこが英雄なのか。佐助は自分がなぜ忍をしているのかももはや分からなかった。
――もう里には帰れない。
「――だから、俺と一緒に行くか?」
「…は?」
「…いや、聞いてなかったのか…?…あんたは忍だろ?前に父上様が俺付きの護衛みたいなの探すって言ってたから、あんたでいいんじゃないかなって思って。…で、どうする?」
「……。」
(本当にこいつは何を考えているのかわからない。俺がどんな奴かも知らないで、そんなほいほい誘ってどうする…。…そもそも、自分の護衛なんだから使えるやつ選べよ…。俺はもう…。)
佐助は自分が忍としてはもうやっていけないと確信していた。――…怖いのだ。苦無を触るのが。
「――あんたのことはよく知らない。けど、あんたに殺しは向いてない。」
「…っ!?」
「無暗な戦闘はさせない。約束する。ってか、俺もやりたくないし。…俺の傍に居て、俺に忍術教えてくれてればそれでいいよ。」
「…はは…、なんだよ、それ…。…俺いる意味ないじゃん…。」
「…いいんだよ。居るだけで。」
「……。」
「…で、あんたはどうする?」
本当にそれでいいのかと思ってしまうような仕事内容。だが、あの日以来初めて佐助の気持ちが軽くなったのだ。
心の弱い自分を認めてくれた気がしたからなのか、それとも子どもである自分を理解してくれた気がしたからなのか、何が佐助を救ったのか当人同士も分からない。しかし、確かに佐助の中の何かが息を吹き返した。佐助は自ずと涙があふれる。涙と共に、固くがちがちに錆びついていた心が、ボロボロとはがれていく感覚だった。
その地に根が張ったように動けなかった佐助は、その日やっと祠の前から動くことが出来た。
◇
「妹殿に挨拶しなくてよかったのか?」
「いいんだよ。長には千代に死んだって伝えてくれって言ったし。」
「…本当に良かったのか?」
「何が?」
「俺に仕えることにして…。本当は妹殿と一緒に居たかったのだろう…。」
「いーの!俺はもう、普通の依頼が受けられないかもしれないし…。そんな俺が一緒に居ても千代に迷惑かけるだけだし。…俺は、千代が幸せに過ごしてくれさえすれば…。」
千代に合わせる顔がない佐助は、自身に言い聞かせるように伝えた。
「…。」
少年は何も答えなかった。
誰かが植えたのか、はたまた自生しているのか、里の周りには忘れ草が多く生えていた。今まで気にもならなかった植物の葉を、佐助は歩きながらぶちぶちとむしり取っては風に乗せて飛ばしていく。
その中の数本を、少年に見られないようにこっそりと懐に隠した。きっと勘が鋭く、目ざとい彼のことだ。佐助の行動に気づいているだろう。しかし、それをあえて言うこともないだろうと佐助はこれまでの付き合いで分かっていた。それでも、こっそりとしまいたかった。
「なー、主様。」
「は?なんだ?気持ち悪い。」
「え、ひどくない?だって、俺を仕えてくれるんでしょ?俺の主じゃん。
――…これから、生涯かけて、あんたのこと守るよ。」
「…いや、生涯とか重くないか?別に俺に嫌気がさしたら帰るなり、ほかの主人見つけるなり好きにしてもいいんだぞ?」
「は?そっちこそ何言ってんの?甲賀忍者は初めっから生涯この人に仕えるぞって気持ちで主を選ぶんだよ。それとも何?おれに嫌気をさされるようなダメな主になる予定でもあんの?」
「…はぁ。…口がうまいな。」
「そりゃどーも。」
「そういえば、あんた、名前はなんていうんだ?」
「あれ?そういえば、自己紹介してなかったね。…佐助だよ。猿飛佐助。」
「佐助か。俺は信繁だ。真田信繁。…これからよろしく頼むぞ。」
「はいよ。主様。」
佐助が忍としてのトラウマを克服するのはきっと早いだろう。しかし、そんなことまだ二人は知らない。
少年二人を茜色の夕日が暖かく照らす。二人の足取りは軽かった。
人質終了日。城からの移動の道中、置き手紙だけを残して休憩中に急にいなくなった信繁と、それに関わった佐助がこっぴどく母親に怒られたのは、また別の話――
本当は信繁の幼い頃の名前は弁丸らしいのですが、ややこしいから信繁にしておきました。あしからず…




