侯爵令嬢は前世を思い出す
その日、私はいつになく上機嫌で帰宅の途についていた。
久しぶり休日。右手には前から欲しくて、でも高くてなかなか買えなかった念願の、ドイツの有名工房のティーカップの入ったショッパー。左手には行きつけの紅茶専門店の新フレーバーの茶葉と素材にこだわった洋菓子店の焼き菓子の詰め合わせ。
帰ったら新しいカップでお茶しながら、ゲームの続きするぞー。
目の前の通りを渡れば、家はもうすぐそこだ。
足取りも軽く、ウキウキ気分で横断歩道を渡り始めた私の耳にけたたましいクラクションの音が飛び込んでくる。
驚いて右を見ると、もうスピードで突っ込んでくる大型トラック。身動きも取れず、焦った表情を浮かべる運転手と視線が交わった瞬間、襲い来る衝撃。
一瞬の浮遊感の後、激しく道路に叩きつけられる。
朦朧とする意識の中、霞んだ視界の端に買ったばかりのティーカップのショッパーが映る。
あぁ、これ絶対割れたな。1回くらいはこのカップでお茶飲みたかった···。
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という前世を思い出したのは、今。
私が癇癪を起こして叩き割った東方伝来の白磁の壺を前に泣き崩れるお父様の姿を見た瞬間だった。
「わ、私の壺がー!!!!!」
金髪碧眼のイケメンが割れた壺を抱えて号泣する絵面、想像したことある?
めっちゃシュール。
30歳を過ぎたいい大人が壺一つで号泣する姿には正直ひいてしまうし、マニアを通り越して磁器狂いと言っていいほど磁器への愛が重たすぎるお父様のことをこれまでは気持ち悪いと思っていた。
が、ティーカップコレクターだった前世を思い出した私の胸に浮かんだ言葉はただ一つ。
正直、すまんかった。
そりゃ、苦労して手に入れたお気に入りのコレクションが壊されたら泣きたくもなるよね。
私だって、ネットオークションで死闘の末競り落としたお気に入りのティーカップが壊れようものなら、今のお父様みたいにこの世の終わりのような顔をするだろう。
しかも、私が割ってしまったのはお父様のコレクションの中でも特に貴重な逸品。
東方の大陸の幻の名窯と言われる窯の染付けの壺で、これ程の美しい白は他の窯では出せないとかなんとか。
もともとはお父様の友人の伯爵のコレクションだったこの壺を手に入れるため、お父様は我が領地の精鋭の兵隊300人と交換するという暴挙に及んだ。
普段は愛するお父様には甘々のお母様も、この時ばかりは怒り狂った。
8歳になったばかりの私と一つ年上のお兄様を連れて実家に帰ったお母様の怒りが溶けるまで、ゆうに半年はかかった。
今では仲直りし、万年新婚夫婦の雰囲気で見ているこちら側が胸焼けしそうなラブラブっぷりを見せつけてくる両親だが、この時はホントにヤバかった。
我が侯爵家を家庭崩壊の危機に陥れた曰く付きの壺とはいえ、親子喧嘩の勢いで割ってしまったのはまずい。
弁償しようにも、私のお小遣いで何とかなるレベルの代物では無い。
「ご、ごめんなさい。お父様」
とりあえず、まずは謝っておこう。弁償については後から考えよう。
「い、いいんだよ。それより、怪我は無かったかいマリアベル?」
プルプル震えながら必死に笑顔を作ろうとするお父様の姿に、余計居たたまれなくなる。
って、マリアベル?ん?
自分の名前に感じた違和感に、ふと視線を横に向けると大きな姿見に自分の姿が写っているのが見えた。
お父様譲りのハニーブロンドに、お母様譲りのサファイアブルーの瞳。派手な赤いドレスを来た美少女は、前世でプレイしていた乙女ゲームのスチルで見た悪役令嬢マリアベル・ダールトンの幼少期の姿そのままだった。
うっわ、ここスイ☆パラの世界じゃん。
遠のく意識の向こうで焦ったように自分の名前を呼ぶお父様の声を聞きながら、私はそのまま気絶した。