三章
Side・A
耳障りな音が響き、重い扉が開かれる。
いつも思う事だが、早々に取り替えるべきだ。
しかし、ユウコは首を縦に振らない。以前に尋ねた時は趣がどうとか、何かしらのこだわりがある様だった。
平成生まれのマユミには理解が追いつかないワビサビのセカイ。
ノリカが聞いたら怒りそうな、そんな事は置いておいて、扉が開いたらすべき事が彼女にはある。
「いらっしゃいませっ!」
お客様を招き入れる、歓待の挨拶だ。
来店したのは、綺麗な長い黒髪がよく似合う線の細い女性。年の頃は20代後半といったところか。
招き入れたユウコが親しげに話しかけているので、どうやら顔見知りの様だ。おそらくは同級生だろうと、マユミは考えた。
「あら、珍しいわね~。オヒトリサマですか~?」
ナオトをからかう時にも見せる、オモチャを見つけた子供の様な笑顔。
どうやらノリカの友人でもあるらしい。
「天にツバしてますわよ……。それより、席に案内して頂けませんか?」
日常茶飯事なのだろうか、諦観の滲む声音だ。
「つれないわね~。こっちよ、サユリン♪」
アラサーでサユリンは若干イタい……。
そんな態度が顔に出ていたのか、アラサーの鋭い視線が平成生まれを捉えた。
「……さぁ、シゴトシゴト」
慌てて仕事に戻り、誤魔化すマユミ。
ちなみに、サユリも一桁台ではあるものの平成生まれなのだが、意識してると思われたくないので、あまり公言しない複雑な心理があった。ホント面倒くさい……。
「やめなさい、恐がってるわよ。大人気ない……」
「あなたにだけは言われたくありませんっ!」
丁々発止。当人達は認めないであろうが、意外と気が合う二人だと、横目で見ていたマユミは感じた。
Side・B
「ランチセットのBでお願いします」
サユリが5種類あるメニューから、ショートパスタのペンネにミートソースを絡めたボロネーゼを選んだのは、幼少期に食べた味が、ただ懐かしかったからだ。
選んでから、「昔と味が違いますわ」とユウコに嫌味の一つでも言ってやろうかと考えたが、自己嫌悪に陥っただけで終わった。
「かしこまりました~。……ところで、何しに来たの?」
応対していたノリカが、魔女の顔で問いかけてくる。
「お昼を食べに来ただけですよ。……ついでに、彼の様子を確認しようかと」
言いながら、調理場で働くナオトを見やる。彼はまだ、サユリが来店した事に気付いてない様子だ。
「ふーん……。まぁ、いいけど」
言外に管轄外であるとクギを刺すノリカ。
個性豊かな魔術師をまとめる協会は、規則に厳しい。
料理を待つ間、店内の様子を伺うサユリ。
時刻は正午に差しかかり、GW4日目のランチタイムは賑わいを見せ始めている。
「お待たせいたしました。ご注文お伺いいたしますっ!」
嫌味の無い笑顔で接客するのは、あどけなさを残しに残した女性、マユミだ。
協会では『例の少女』と呼ばれ、写真付きのプロフィールにも目を通した事があるので間違いない。胸囲が自身の数値よりも大きかった事はサユリの記憶に新しい。
マユミの事を『ナオトを振り回している元凶』と見なす彼女の双眸は、自然と鋭くなり、魔術師としての顔を覗かせる。決して、バストサイズについての僻みからではない……はずだ。
「……おっと、いけませんね。またシワが増えてしまうところでした」
眉根をほぐしながら、呟くサユリ。気を取り直して、他のメンバーを窺う。
「いらっしゃいませ。2名様ですね、ご案内致します」
入り口付近で、来店した客の応対をしているのはユウコ。凛とした態度が店の雰囲気をグッと引き締め、コラッジョでの食事に特別感を与えている様に思う。
「あれ?ユウコが調理場に居ない……?」
今更ながら疑問を抱く。
それから、自然と調理場の方に目を向けると、ナオトと目があった。
惚けた表情のナオト。目から鱗とばかりの顔だが、いささか驚き過ぎな感がある。
目が合ったからには、何かしらのリアクションが必要だ。サユリはいつもの人好きする笑顔をして見せる。
それには、ナオトも笑顔で応え、仕事へと戻っていった。女子の社会を器用に生きてきた彼女の妙技、その威力にサユリは絶大な自信を持っている。なので、ドヤ顔をしている事は大目に見て欲しい。
「ターヴォラ・ディエチのパスタ、あがりましたっ!」
不意に、耳慣れない声が店内に響く。
そちらを見やると、金髪の美丈夫がパスタの皿を手に、デシャップから顔を覗かせていた。
「あー、彼が例の異世界人ですね……」
「そうよ~。中々のイケメンでしょ?……それにしても、独り言はオバさん化の兆候よ、気を付けてね♪」
笑顔で肯定し、嫌味も付け足してくるのはノリカ。サユリが文句を口にするより先に、テーブルにパスタの皿を置いて、彼女は去って行く。心得たものだ。
残されたサユリは、行き場の無い怒りを、食欲を満たすことで紛らわすべく、手を動かし始めた。
「……美味しい。昔と変わらない味ですわ!」
知らず、また独り言を漏らすサユリ。
パスタを口にしての言葉だった。
Side・A
ノイズが酷い、目が回る。
うまくオーダーを聴き取れないし、時間が経つのが早い。
あれ?今なにをしてたんだっけ?
オーダーの紙が追加され、目の前にズラリと並んだそれらに、ナオトは自身が糾弾されているかのように感じていた。
知らず、手が止まる。頭も働かない。焦りが募る。
今日こそは……。と、思っていたのに。
俯き、何かを諦めかけたその時ーー
「ターヴォラ・トレの前菜、お願いします!」
隣でリアムの力強い声が聞こえた。
「あっ……。ゴメン、リアムさん……」
弱々しく謝罪を述べるナオト。
忙しいのはお互い様なのに、足を引っ張る自分のフォローをさせてしまい、罪悪感が押し寄せる。
「私達はいわばチーム、助け合うのは仕事の内です。……あなたの職業はなんですか?」
手を休めず、問いかける。
「料理人……」
言葉尻を濁すも、間髪いれずに答えるナオト。その様子に満足し、頷いてから、再び口を開くリアム。
「ならば、向き合うべきは一つです。顔をあげて、よく見なさい」
言われて、ホールを見渡すナオト。
「ターヴォラ・トレのお客様は、週に一度は来店なさる常連さんです」
リアムに促されるように、顔を向ける。
入り口付近、窓際の2名掛けテーブルには、人の良さそうな老夫婦が座っていた。
運ばれて来た前菜の説明をノリカから受けているようだ。
リアムは続ける。
「ターヴォラ・オットのお客様は、男性の方が偶に来店なされますが、本日は女性のお連れ様もいらっしゃいます。このお店を気に入って頂けているようですね」
店内の奥にあるテーブルを見ると、確かに男性の方には見覚えがあった。
「いつもは、スーツ姿だった気がする……」
「そうですね。ちなみに、ターヴォラ・ディエチの女性は見覚えがありません。ナオトはどうでしょうか?」
最後にそう問いかけて、パスタの茹で上がるタイマーに呼ばれたリアムは、持ち場へと戻っていった。
ナオトは先程からしている様に、顔を店内中央の席へと向ける。すると、そこに居たのは見知った顔、大家のサユリだ。
いつから居たのか、全く気付かなかった。
目が合うと、彼女はいつもの笑顔を見せてくれる。
それに応える様にナオトも笑う。
自然とそれが出来た。
久しぶりの笑顔を作る表情筋が、ぎこちなくなっていることを実感すると共に、笑えたことに安堵もした。
リアムの伝えたかったことを理解できた証だから。
「ターヴォラ・オットのドルチェお願いします!」
活力の漲る声を響かせ、ホールスタッフを呼ぶナオト。もう、不安や迷いは感じられない。
取り戻した動きで、次々と溜まっていたオーダーを片付けていく。
いや、違う。そんな、くだらなくて身勝手な考え方をしてはいけない。
期待に応えるべく料理を作り出していくのだ!
その先にある、お客様の笑顔の為にーー
「ターヴォラ・ディエチのパスタ、あがりました!」
パスタBの皿をデシャップに置きながら、リアムが声を張る。
その際、ナオトを一瞥し、彼の瞳に本来の輝きが戻っていることを確認すると、器用にウインクをして見せた。それがサマになっているのだから、溜息しか出てこない。
「……はぁ。やっぱりイケメンはチートだな。男のオレでも惚れちまいそうだよ」
愚痴をこぼすナオト。その様子を見て、リアムが口を開く。
「いつもの調子が戻ってきた様ですね。それでは一緒に、お客様を笑顔に変えていきましょう!」
いつもの微笑みの中に、どこか楽しさが滲んでいる表情のリアム。つられてナオトも相好を崩す。
「バベーネ!」
親しみに、信頼と尊敬を込めての返答だった。