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一章

 過ごしやすい気候と大型連休が重なり、渾然一体となって現金の嵐を巻き起こす。その名もゴールデンウィーク。

 世間一般ではテンションが上がり過ぎて、はち切れんばかりの週になるわけだが、例外……というよりかは弊害みたいなものも当然ある。

「ついに、この時期が来たか……。上等だぜ!」

 着用しているコックコートの袖から、握りこぶしを覗かせ、並々ならぬ覚悟を固める青年が一人。少年の様な顔立ちからは少し意外な程、逞しい腕をしていた。

「ユウコさん、ナオトはどうかしたのですか?」

「うむ、去年は完膚なきまでにうちのめされてたからな」

 シンクの前でレタスをちぎる、ナオトと呼ばれた青年から少し離れた作業台。

 そこで、野菜の切り出しをする手を緩めず、隣で同じく切り出しをするモデル体型の美人シェフ・ユウコに声をかけるのは、金髪碧眼の男・リアム。彼もまた、人目を惹くほどの美丈夫だ。


 春らしい陽気から徐々に気温が上がり、初夏の色を帯びてきた5月の初め。

 場所にもよるが、飲食店にとって年間で一番の繁忙期ともなり得るGWが目前に迫っていた。

 ここ、イタリア料理店『コラッジョ』もまた、例に漏れず怒涛の一週間、その渦中へと巻き込まれることになる。

 軽重も様々な事情、思惑と共にーー



 Side・A


 都市開発の進む住宅街の中にあって、中々に年季の入った木造アパート。その二階の一室から覗くカーテンが、勢いよく開かれた。

「天気よし!相手にとって不足なし!」

 窓の外を眺めながら、少し頭の弱そうな台詞を元気よく吐き出すのはナオト。

 朝日の差し込むワンルームには、殺風景な程に余計な物が無く、普段の言動からは想像もつかない程に整理清掃が行き届いている。

 唯一、天井に貼られた美少女アニメキャラだけが、異質な存在感を放ち、そこに彼の本質を垣間見せていた。


 前述のアパートからコラッジョまでは自転車で10分程度の距離なのだが、気合いの入った今日のナオトは、始業の1時間前であるところの午前8時現在、アパートの階段を駈け降りていた。

「あら?おはようございます。今日は、お早いのですね」

「おはようございます。大家さんも、朝早くからご苦労様です」

 駐輪スペースに足を向けたところで、庭いじりをしていた女性に声を掛けられたナオト。

 大家と呼ばれているが、実際はその娘で、守屋サユリという。

 年の頃は20代後半、長く艶やかな黒髪が良く似合う、大和撫子を体現した様な印象の女性だ。

「それじゃ、行ってきます!」

  「はい、行ってらっしゃいませ」

 元気よく言って、通勤用のクロスバイクを走らせたナオト。見送るサユリの人好きする笑顔を、彼は密かに出勤前の活力源としていた。


「おはようございます!」

「おはよう、ナオト。今日はいつもより早いじゃないか」

 コラッジョに着き、出勤の挨拶をするナオト。それに応えるのは、ノートパソコンを相手に事務仕事をするユウコ。

 彼は働き始めてから此の方、出勤時にこの光景を見なかった日がない。

「おはようございます。ナオト」

「リアムさん、おはよう」

 バックヤードから、サロンを着けつつのリアムも現れる。

「今日は早いですね。良い心掛けですが、コーヒーを淹れましたので、一息ついてから仕事を始めましょう」


 かくして、GWの初日が幕を開けるーー



「ターヴォラ・トレ・プランツォ・ビー・ドゥエ・ペルファボーレっ!」

「「「バベーネ!」」」

 滑舌よく、イタリア語でキッチンに注文を通すのは、ホールスタッフのマユミ。

 それに応えるキッチンスタッフの中には、もう魔術の呪文と聴き間違える者はいない。


 例年通り、GW初日のランチタイムはウェイティングもでる程の大盛況となった。

 しかし、去年と違っている事もある。経験を積んだナオトとマユミがしっかりと戦力となって、現場を動き回っているのだ。

「二人とも、頼もしいわね~。去年は大変だったけど……」

 感慨深げに口を開くのは、ソムリエールのノリカ。去年の惨事を思い出してか、後半は声のトーンが低い。

「そうだな。しかし、それ以上に彼だな……」

 ノリカに同調しつつも、目線を後方のストーブ前へと向けるユウコ。

「ディエチのパスタとドゥエのリゾット二つ、お待たせしました!3分後にオットのセコンドが仕上がります!」

 そこでは、五つのガスコンロと二つのオーブンを巧みに操り、リアムが次々と料理を作り出していた。

「良い拾い物をしたよ。父に感謝をしたのはいつ以来かな」

「英雄さん、何処で何してるのかしらね~?」

「どうだかな……」


 雑談に加え、余談まで入る程には、今年のコラッジョは順調な滑り出しを見せていた。



 Side・B


 GW初日の朝。いつもより早く『監察対象』を見送る事となった彼女は、空を見上げながら苦い表情を浮かべ、呟く。

「ほんと……彼にとって重要な日は、憎らしいくらいに良い天気ね……いつも」

 その言葉からは、嫌悪の感情が色濃く伺える。

 彼女が、その元凶とも呼べる存在について思考を巡らせ始めた頃、不意に声を掛けられた。

「どうしたの~?朝から酷い顔して、シワが増えるわよ~。サユリン♪」

「余計なお世話ですっ! ……まったく、朝から貴女に会うなんて、ついてませんね……ノリカ」

「あら、失礼ね~。それじゃ、お仕事行って来ま~す。サユリンまたね~♪」

 手を振って別れを告げる、アラサーの同胞。

 後ろ姿を恨めしそうに見やりつつ、顔に手をあてシワを伸ばす。

「以前の貴女ほど、酷い顔ではないはずですよ……」

 そう呟いた時の、『サユリン』こと守屋サユリの表情に映し出された感情は、憐憫か義憤か……あるいは嫉妬か。

 いずれにせよ、ナオトには決して見せることのない、魔術師としての一面である。



 Side・A


「お疲れ様でーすっ!」

 マユミが乾杯の音頭をとる。

 時刻は23時の少し手前。仕事終わりの一杯は飲食店の特権だが、普段はユウコの硬い性格からか、こういう事はしない。今日が特別なのだ。

  「マユちゃんもナオくんも、二人とも良い動きしてたわよ~♪」

 赤ワインのグラスを手に、若い二人を労うノリカ。

「ありがとうございます!明日も頑張りますよっ!」

「そうですよ。まだGWは始まったばかりですからね」

 マユミとナオトが、それぞれに応える。因みに、未成年の彼らの手にはジュースが握られている。勇者がアルコールを飲ますはずがない。

 次に口を開いたのは、その勇者だった。

「皆、この調子でGWを無事に乗り切ろう」

 グラスを傾け鼓舞するユウコは、どうやらビール党の様だ。

 その終始を、笑顔で眺めるのはコーヒーを片手にしたリアム。

 しかし、その胸中が複雑なものであろう事は、想像に難くない。


 リアムが世界の真実、その一端に触れたのは先月の初めのこと。

 異世界からの突然の転移に始まり、ショッピングモールを半壊させる事件との遭遇を得て、勇者や魔術師、神に等しい力の存在を知る事となる訳だが、その際に揺らいだ自身の存在意義やら何やらで不安定となった精神、それを保つことに忙しい毎日を送る羽目になる。

 つまり、この件に関して、掛け値なしに一番の被害者である。


 とはいえ、帰り方がわからない以上は日本で生活せねばならず、ユウコの世話になっているのがリアムの現状だ。

 以前に「手に職をつけておけば、異世界でも食っていけることが証明されたな」とユウコに真顔で言われた際は、流石のリアムも苦笑しか出来なかった。

 そんなことを考えていると、顔に出ていたのかマユミに声をかけられる。

「どうしたんですか?浮かない顔をしてますよ」

「なんでもありません。今日は忙しかったので、少し疲れただけです」

 気を取り直して、うそぶくリアム。

 記憶の改竄されたマユミとナオトに、憂いは見せられない。リアムなりの矜持だった。

「リアムさん、すっごく頑張ってましたからね!料理の評判も、とても良いんですよっ!」

 それを額面通りに受け取って、マユミが声を弾ませる。事実、リアムの料理は常連客をして満足する程の出来栄えだった。

 この会話には、ノリカも同調する。

「そうなのよね~。なんでも、ユウコの料理に味が似ているらしいのよ~」

「へぇ~。常連さんが言うなら、余程の事なんだろうな」

 時に厳しいコラッジョの常連客を、身を以て知るナオトが感心する。

「あぁ、その事でしたら……。私が駆け出しの頃に、料理の手ほどきを受けたのが、ヒデオ殿だからではないでしょうか?」

 一拍置いてからの語り出しには、異世界事情をコラージュする意図が伺える。リアムは気配りの出来るイケメンなのだ。

「そうなのか?初耳だな」

 ユウコが反応をすると、リアムが言葉を続けた。

「えぇ、大変お世話になりました。特にワイルドボアを捕獲する際には、不覚を取った私を庇ってくださり、感謝してもしきれません」

 彼なりに努力はしているのだが、実は頻繁にボロが出ている。リアムは残念なイケメンでもある。

 しかし悪気があるわけではないので、ネタとして捉えられている間は結果オーライというのが、ユウコとノリカの見解だ。

 つまり、続く二人の台詞が変わらぬ内は、世界は順調に廻っているという事である。


「「リアムさん、また言ってるー!」」


 陽が落ちてからも寒さを感じなくなって久しい5月の初め。

 本日もコラッジョは平常運転の様相を呈していた。

 しかし、世の中は諸行無常。

 事態が急変したのは2日後、GW3日目の事だったーー



 Side・B


「どういう事か説明して頂けるかしら?」

 字面こそ丁寧ではあるが、その実、並々ならぬ怒気を内包しての言葉だ。

 というか、全く隠せてない。見かけによらず、昔から感情の制御が苦手なタイプだったなと、スマホで繋がった相手・守屋サユリの事を考えているのは、ノリカ。

 言い淀んでいると、重ねての言及。

「聞いていますか⁉︎先ほど観測された因果律改変の詳細についてですっ!」

 一部の人間からは大和撫子で通っているサユリだが、旧知の仲が相手では、口角泡を飛ばす。

「え〜っとぉ……。ナオくんがポカしちゃって〜、それを見兼ねたマユちゃんが無意識に助けちゃった?みたいな〜?」

 曖昧な説明をするノリカ。電話相手が苛立つ気配を感じつつも、取り立てて説明する様な詳細は無く、逆に何故サユリが御立腹なのかを図りかねている様子。

 実は小規模の改変はよくあることで、『そっち』の心配はあまりしておらず、今まさに起こっている『こっち』の問題にノリカは傾注していた。

 なので、いつもの様に軽口を交えつつ、サユリとの会話に区切りをつけたのは、致し方なかった。

「ゴメンね〜。ちょっと立て込んでて、また改めて連絡するわ〜。因みに、あんまりイライラしてるとお肌が荒れちゃうわよ、サユリン♪」

「……なっ⁉︎余計なお世話様でございますっ!」

 スマホの画面を叩き割る勢いで、終話ボタンを押すサユリ。暗くなった画面に映るのは、日付変更5分前を表す数字と自身の姿。その小作りな顔の眉間にシワが寄っているのを見留め、溜め息を一つ。

「はぁ……。お風呂にでも入ろうかしら……」

 そう言って、フェイスパックを手に浴室へと足を向けたサユリ。


 暫くして、アンチエイジングを終えた彼女は心機一転。

 とある決意を固めていた。



 Side・A


 切っ掛けは些細なことだった。

 調理場と接客スペースを繋ぐデシャップで、デザートの皿を一瞥したマユミが困惑する。

「ちょっと、ナオトっ!セッテのドルチェはパンナコッタじゃなくて、ティラミスだよっ!」

「あっ……。ワルい!直ぐに用意するっ!」

「もぅ〜、しっかりしてよねっ!」

 経験の浅いナオトにおいて、さほど珍しく無い一幕。

 しかし、GWに際して気合いの入った今の彼にとって、空回りし始めるのに十分な出来事だったようだ。


 何事も転がり始めると早いもので……。

 その後も大小様々なミスを連発し、その日の営業終了後には、ナオトはすっかり意気消沈していた。

「……お先に失礼します」

「あぁ、お疲れ様。今日はゆっくり休みなさい」

 普段と変わらぬ調子のユウコと、重い空気の残る3人。

「大きなクレームにならなかったのは幸いね〜」

「ナオト、大丈夫かな……?」

「試練の刻ですね、彼を信じましょう」

 GW2日目はこうして後味の悪い終わりを迎えたーー


「おはようございます!」

 明くる日の朝、いつもの調子を取り戻したかの様に見えるナオトだが……。

「おはよう、ナオト。今日も忙しくなるぞ」

 例によって、事務仕事をしながらのユウコが応える。

「昨日は済みませんでした。挽回します!」

 言ってから一礼し、バックヤードに向かうナオト。ユウコは、その背中を感情の読み取れない表情で見つめている。

「空元気といったところでしょうか……」

 2つ持ったコーヒーの片方をユウコの前に差し出しながら、リアムが口を開く。

「不安や迷いが見て取れるな。曲がりなりにも勇者でね、そう言った感情の機微には聡いのだよ」

 冗談を交えて、ユウコも同調する。

「しかし、人の成長とはこうした事を乗り越えた先にこそ、在るとは思いませんか?」

 何故かそれには応えず、コーヒーカップを口に付けるユウコ。その様子を見たリアムが言葉を付け足す。

「少なくとも……私はそう願っております」


 GW3日目のランチタイムが始まり、程なくして異変が起こった。

 そもそも、ナオトが陥っているのはスランプといった類のものであり、本来であれば短期間で都合良く改善される性質のものでは無い。

 そう、本来であればーー

「ナオくん!ターヴォラ・セッテのアンティパストが先よ!急いで‼︎」

「……っ!すみません、直ぐに用意します‼︎」

 昨日と同じ、凡ミスをしたナオト。

 しかし、直ぐにミスがミスで無くなる。

「ノリカさん、ターヴォラ・セッテのお客様が、知り合いの方が来店されたので、同じテーブルに移りたいと仰っています」

 割り込んできたのはマユミ。彼女は言葉を続ける。

「その際、知人の方と同じタイミングで料理を出して欲しいとの事です」

「……わかったわ。席移動をして差し上げて、マユちゃん」

 逡巡し、指示を出すノリカ。束の間、不気味なものを見る様な表情を浮かべていたことに、ナオトもマユミも気付かなかった。

「聞いてたわね、ナオくん。セッテの料理は保留よ」

「は、はいっ!」


 この後、滞りなくランチタイムが終わり、現在は昼食後の小休止。

「ユウコ。……さっきの気付いた?」

「あぁ、改変が行われたな……。まぁ、想定内のことだ」

 多くを語らず、ただ視線をテーブルで予約確認作業をするマユミへと向ける、ノリカとユウコ。

 側ではリアムが2人の会話を無言で聞いている。彼の表情は険しく、その端正な顔立ちに眉根が寄ることは珍しい。


 決定打といったものは無かった。

 ただ小さなヒットを繰り返し、得点を重ねていっただけだ。

「いや、いいんだよ!私が食べたかったのはコチラの料理だったんだ、ありがとう!」

 料理を間違えれば、客の側が間違えていたことになり……。

「凄く絶妙なタイミングで料理が運ばれてきて、大したものね〜!」

 料理の遅延は、かえって好意的に捉えられる。

 ナオト当人が困惑する程に不自然な出来事が続き、好調なはずのディナータイムにあって、コラッジョの面々は一様に表情が硬い。

「ナオト!今日は調子がいいねっ!」

 唯一、満面の笑みを浮かべるマユミの存在が、酷くアンバランスで不気味なものの様に皆には感じられた。


 僅かに湿り気を帯びた外気が店内に入り込み、代わりにニンニクやハーブの香りが、重厚な扉の開け放たれたコラッジョのエントランスを通じて、夜の街に溢れ出す。

「ありがとうございましたっ!」

 上機嫌なマユミが最後のゲストを見送り、その日の営業が終わりを迎える。

「今日はお店が上手く回って良かったですねっ!」

 片付けをしながら、ノリカに話しかけるマユミ。問われた彼女はぎこちない笑顔を見せて応える。

「……えっ?そ、そうね〜」

 その会話に、テーブルを拭き上げていたリアムが突然、口を挟む。

「それは違いますよ、マユミ。問題にならなかっただけで、ミスは幾つも有りました。それは紛れもなく私達の落ち度です」

 いつも柔和な彼の表情が、この時は確かな真剣味を帯びていた。そして、更に言葉を重ねる。

「そうは思いませんか?ナオト」

 調理場に顔を向け、問いかけるリアム。

 身体をびくりと震わせた後、絞り出すように口を開くナオト。

「……わかってるよ。運が良かっただけで、昨日と何も変わっちゃいない」

「ならば良いのです。明日からまた頑張りましょう」

 そう言ってから、いつものように微笑み、片付けへと戻るリアム。

 ナオトは表情の窺えない俯いた姿勢で、調理場の清掃を続けた。


「……お先に失礼します」

 時刻は午後11時半。その時計の針と同じ角度で会釈をして、退勤の挨拶を述べるナオト。最早、誰の目にも覇気が無いことがわかる。

「あぁ、お疲れ様。明日もよろしく頼む」

 されど、いつもと変わらぬ態度を崩さないユウコ。相変わらず真意の計りかねる表情だ。

「このままでいいの?」

 ナオトの出て行った扉を見つめて、隣で日報を書いている店長に訪ねるソムリエール。

「……。この件は彼に任せるつもりだよ」

 問われた彼女は、筆を止め、視線だけをリアムに向けて応える。

「でも……」

「適材適所というヤツだ。私には他にやるべき事があってね……。そうだな、君には話しておくべきか」

「どういうこと?」

 魔女に向き直った勇者。しかし、不意に横槍が入る。

「……あっ。ごめんユウコ、電話が掛かってきちゃった。少し待ってて……」

 言ってからスマホを耳にあてがい、席を外すノリカ。残されたユウコは、気にした様子もなく業務へと戻る。

 彼女の目下の敵はGWであり、その他の出来事に関して、勇者には役不足であるらしい。



 Side・B


 彼女には負い目があった。

 当の本人は気にしてなどいないのだが……。それでも本来であれば自身の役割だと勝手に思い込み、罪悪感に苛まれていた。

 程度は違えど、その時と同じ状況に置かれたナオトに贖罪を見出したサユリには、昨夜の憔悴しきった様子の彼を、看過出来るはずもない。

「おはようございます。いってらっしゃいませ」

 軒先を箒で掃いていたサユリは、いつもの様にナオトの出勤を見送った。

 昨日の朝は空元気を見て取れたが、先程はそれも無い。いよいよ深刻だ。

「……さて、準備を始めましょうか」

 いざとなれば交戦も止む無し。不退転の決意でもって、支度を始めるサユリ。

 彼女がまず初めに取り掛かったのは、武器の手入れ。具体的には顔に乳液をつけ、下地を塗り、その後にチークやアイシャドウを控えめに施す。最後に艶感のあるリップを付けて、アラサー戦士サユリン♪メイクアップ☆

 ……そう、化粧である。

 古来よりの、魔術的・儀式的な意味合いを含んだものではなく、外出前の女性の嗜みとして極一般的なもので、女の武器。


 程なくして、戦闘準備を終えた彼女はアパートの門をくぐり、いつもナオトを見送る方へと足を向けた。

 地元ではそこそこ有名なイタリア料理店『コラッジョ』へと続く道にーー

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