新米コックと見えざる手
広葉樹の葉から差し込む陽光に、長い金髪を煌めかせ、長身痩躯のその男は歩みを速めた。
探し物をその青い瞳に映したからだ。
「まさか、3日も掛かるとはな……」
「リアム様が言いだしたんですよ!天然のポルル茸を取りに森へ行こうって!」
リアムと呼ばれた美丈夫の少し後ろから少女が抗議の声を上げる。
「すまんな、しかしお前も乗り気だったではないか……マノン」
どこか釈然としないながらも謝罪を述べるリアムに、その腰辺りまでしかない小さい身体をいっぱいに使いマノンは地団駄を踏み、叫ぶ。
「こんな事になるとは思いませんでしたー!」
煩そうに顔を顰めながらも、確かに見通しが甘かったかもしれないとリアムは内心で反省する。
しかし、実際には予想以上に甘い見通しであり、やはり先には立たないのが後悔というものであると直後に実感することとなる。
天然のポルル茸は五千ゴルート/kgはくだらない高級食材である。
その価値はボルド王国民の平均年収が三万ゴルートである事と比較すると理解しやすいだろう。
では、なぜ高級なのかというとその味と希少価値もさることながら、一番の要因はーー
「ぎゃー‼︎リアム様ー‼︎なんとかしてくださーい‼︎」
「煩い。とにかく走るんだ」
余裕があるのかないのか分からない会話を交わす二人。
その背後をワニの様な、しかし似て非なる生物が、地鳴りの如き咆哮をあげて追い立てる。
ワニもどきの名前はクレイドラゴン。主食がポルル茸というなかなかのグルメだ。
まぁ、つまりは縄張りを荒されて御立腹なのである。
名にドラゴンを冠するだけあり、知能は低いが地味に強い。
ギルドの討伐ランクはBで、素人がどうこうできる相手ではない。
「だから冒険者を雇いましょうって言ったんですよー‼︎わかってますか⁉︎バカ師匠!」
「随分な物言いだが……。すまん、非は認めよう」
リアムはそう言うなり身を翻し、クレイドラゴンに相対する。
「時間を稼ぐ、先に行け」
その容姿に見合うだけの男前な台詞を口にした。
「かしこまりっ!どうかご無事で!」
逡巡も憂いもなく、いっそ晴れやかにマノンは言い放つ。
彼女はその可愛らしい容姿を神様に返上したほうがよさそうだ。
脱兎の如く遠ざかるマノンを横目で見やり、リアムは独りごちる。
「料理以外のことも教育すべきだったか……」
そこから先をリアムは憶えていない。意識が途切れ、気がつくとそこはーー
海も山も無いが、レイクのおかげでベッドタウンとしての知名度は最近あがってきた感のある埼玉県は越谷市。
駅前通りを右手方向に数分進んだ先には、赤いレンガが印象的な建物。
地元ではそこそこ名の知れた老舗イタリア料理店『コラッジョ』が佇んでいる。
ベージュを基調とした、暖かみを感じさせる色合いの外観。
先代店主の人柄に良く合っていたとは常連客の言だ。
「おはようございます!」
その軒先では清掃の為に開けっぱなしの店内に向けて、出勤をアナウンスする青年が一人。
少年のあどけなさを残した顔立ちを除けば特筆すべきことのない容姿の彼は、通勤用に背負っていたリュックを手に持ち替えて店内に入って行く。
その際、リュックの付属品が朝の陽射しを反射する。
何かのアニメキャラがプリントされた缶バッチだった。
「おはよう、ナオト。電車が止まっているらしいが大丈夫だったのか?」
ショートカットの似合う、モデルかと見紛うスタイルの女性がナオトに応えた。
意志の強さを感じさせる、赤みがかった茶色い瞳が特徴的な美人だ。
「遅延してましたけど、電車は動いていたので然程影響はありませんでしたよ」
店内の奥、裏口近くにあるロッカールームへ向かいながらナオトは返す。
「レイクタウンの方ですよね?」
「そうだな。原因不明の爆発とニュースでは言っていたが、物騒だ。客足に影響が出ない事を祈ろう」
言いながら開いていたノートパソコンと書類を片付けて、キッチンへと移動するユウコ。
ナオトもロッカールームで着替えを始めた。
「今月のコースにある桜のソースってどうやって作るんですか?」
まもなく仕込みを始めた二人、ランチのサラダに使うレタスをちぎりながらナオトが話しかける。
「白ワインソースをベースに桜のリキュールを使う、今日納品されるはずだよ」
ラザニア用のベシャメルソースを仕込みながら答えるユウコ。
「それにしても、二人がきてから一年になるのか……」
「あっという間でした」
仕事の話にときおり世間話を交えながらのコミュニケーション。
『コラッジョ』ではいつも通りの光景だ。
根が真面目な性格の二人は、意図して会話を続けないとすぐに無言で仕込みに没頭してしまう。
というか、時計の短針が10を指す少し手前の今、まさにその状況になっていた。
そんな空気にどこか心地良さすらを感じている雰囲気の二人。
それも無理からぬ事情が顔を出したのはちょうどその時だった。
「おはようございまーす!」
美少女が現れた。
「なんだか今日も空気が重いですね〜、一足飛びに梅雨前線が発達中ですね!」
やかましい美少女だった。
「おはよう、マユミ。今日も元気そうで何よりだ」
「おはよう、春一番。おかげさまで四月が帰ってきたよ」
各々が先程の微少女、マユミに挨拶を返す。
「うるさいナオト!……って、ユウコさん!聞きましたっ⁉︎例の爆発事件‼︎」
「あぁ、それならーー」
桜も満開になり、日中はだいぶ暖かくなってはきたが、まだまだ上着を手放せない四月の初め。
多くの日本人にとっては出会いの季節であろう春。
去年の今頃、例に漏れずナオトとマユミがユウコと出逢った春から、今日まで変わらない『コラッジョ』での朝の一幕。
しかし、この日を境に『今日まで変わらなかった』に更新されることとなる。
春が運んできた新しい出会いによって。
年季の入った重い扉が軋みながら押し開く。そこから人の良さそうな老夫婦が微笑みながら外へと出てくる。
「ありがとうございました!またお待ちしております!」
言いながら二人に向けてお辞儀をし、満面の笑みで見送りをするマユミ。
その含みのない笑顔は彼女の美点の一つであると、ユウコがいつしか言っていた。
「まぁ、確かに……」
ランチタイムの最後の客が帰った今は、3時過ぎ。
「ノーゲスでーす!」と店内にアナウンスするマユミを見ながら独りごちるナオト。
「なぁに、ナオくんてばマユちゃんの事見つめちゃって〜」
緩くウェーブのかかった長い髪を一つにまとめた、色気のある女性がナオトをからかう。
「三次元の女性には興味ありませんよ、ノリカさん。因みにマユは二次元になっても対象外です」
「ぶれないわね〜、でも意外とお似合いだと思うけれど」
「おいソムリエール、ナオトで遊んでないで仕事をしろ。日伊物産がワインのインポーターと来てるぞ」
助け船のユウコが入口を親指で指し示す。
「は〜い」
適当な返事をしながら業者の方へ向かうノリカを横目に本題を話すユウコ。
「賄いを兼ねてコースの試作をする。手伝ってくれ」
「了解です」
こうして無事にランチ営業が終わり、いつもの様に休憩を挟んでディナー営業を迎えるはずだった。
しかし、その日はちょっと違っていた。
「きゃー‼︎ユウコさーん‼︎大変です〜‼︎」
裏口にゴミを捨てに行ったマユミが悲鳴をあげた。
「何事だっ‼︎まさか……ヤツか⁉︎」
「どうしたんだよ……Gか⁉︎」
各々が同じ様な想像をして裏口に向かう。
悲しいかなゴキブリは飲食人の絶対悪である。
「うわっ⁉︎」
「……ふむ。どうしたことか」
驚くナオトと硬い表情のユウコ。
「どうしましょう⁉︎救急車ですか⁉︎呼びますね⁉︎」
取り乱すマユミの足元には、見慣れない衣服を血に染めた男性が一人、うつ伏せに倒れていた。
「まぁ待て、見たところ日本人では無さそうだが……」
落ち着いた様子で男の元へ寄り、慣れた手つきでバイタルチェックを始めるユウコ。
圧巻の大人力に開いた口の塞がらない二人。
「衰弱はしているが、致命傷は無さそうだ。応急手当ののち、少し休ませてから事情を伺って警察に連れて行くか判断しよう」
方針を示すユウコに、すぐさま抗議の声があがる。
「え〜っ⁉︎大丈夫なんですかっ⁉︎みるからに怪しいじゃないですかっ⁉︎」
「一理あるが、見たところコイツの衣服はコックコートだと思われる。そんな格好のヤツがウチの店裏で倒れていたら……な?」
「まぁ、そうですね……」
珍しく歯切れの悪いユウコに渋々うなづくマユミ。
「もぅ〜大声なんて出しちゃって、……って、あらまぁ」
然程驚いた風でもないノリカが顔をだす。少しおばさん臭い言い回しだと場違いにも思うナオトが嘆息する。
「……休憩は、無しかな」
「デザートの苺のティラミスでございます、只今コーヒーもお持ち致しますね♪」
慣れない新メニューと無くなってしまった休憩の影響もあり、多少慌しい立ち上がりになってしまったディナータイム。
しかしながら、幸か不幸か、はたまた事件の影響か……。
客足は思う様に伸びず、最後の皿を提供し終えた今は、午後9時。
「あの男性、ノリカさんばっか見てますよね、彼女さんちょっとむくれてますよ」
「またか……。ノリカのヤツは分かっててやっている節がある」
「まぁ、ファンも多いですけどね」
「なおのことタチが悪い」
「……。ゲストには、もっと料理を楽しんで欲しいです」
「浮気させない程に魅了できる料理を目指そうか」
アイドルなマユミとセクシーなノリカの二枚看板で『コラッジョ』はイタリア料理店ながらも男性の固定客が割りかし多い。
料理人として駆け出したばかりの、気概に溢れたナオトからすればあまり面白く感じられないのは若気の至り。
因みに、そんな彼に温かい目を向けるユウコのファンも少なくない。
ユウコの居住スペースのある二階からドタバタと足音が聞こえ、間も無くマユミが階下に向け叫ぶ。
「ユウコさん!意識が戻りましたよ‼︎」
「……分かった。すぐに行く」
締めの作業をしていたユウコが表情を引き締めて応え、三人連れだって階段を登る。
「はやくっ!はやくっ!」
興奮した様子で部屋の扉を覗きながら手招きするマユミ。余裕が出てきたのか、不謹慎にも少し愉しんでいる模様。
「お前なぁ……」
呆れるナオトを追い越し、躊躇なく部屋に入るユウコ。それに三人が習う。
その際チラッと見えたノリカの横顔がニヤけているのをナオトは見とめ、「あんたもか……」と内心で独りごちる。
「初めまして、私は剣崎勇子。日本語は通じるのかな?」
寝かされたベッドから上半身だけを起こしたリアムにユウコは冷静に言葉をかける。
肌寒い春の夜、ディナーの熱気をいまだに残した『コラッジョ』の店内で、異世界交流が始まった瞬間である。
重い瞼を無理矢理に押し上げる。
意識を失う直前までクレイドラゴンと相対していた記憶はあるが、不思議と今は安全な状態にあるとリアムは感じていた。
そんな彼がようやく覚醒した頭で、その青い瞳に最初に写したのはーー
「あっ!起きたっ‼︎」
「……マノンか?」
先程薄情を露呈したはずの弟子の姿だった。
「違いますっ!誰ですかソレっ⁉︎」
違うらしい。
「とりあえずちょっと待ってて下さい!……ユウコさ〜ん‼︎」
慌ただしく部屋の外へと出て行くマユミを見やりながら思案する。
「マノンではないのか?」
気にするところを履き違えていた。イケメンが台無しだ。
自己紹介をするユウコを前に、リアムも言葉を紡ぐ。
「リアム・ジェラルジュ、此度は助けていただいた様で感謝する」
「普通に喋っているわね〜、日本語」
「フランス人かと思ってましたよ」
「 あっ……ホントだ……」
ノリカが呟き、ナオトも同調する。
因みに先程、慌てているとはいえ普通に日本語で会話をして疑問にも思わなかったマユミは恥ずかしそうだ。
「第二母国語の日本語が主流ということは……。つまり此処は日本なのですか?」
部屋の中を見回しながらリアムは問いかける。
「そうですよー、リアムさんは何処の国から来たんですか?」
切り替えの早さが美点の一つであるとユウコに言われたことのあるマユミが応え、質問を返す。
「ボルド王国、セントラルの出身です」
当たり前のように話すが、皆一様に釈然としていない。
彼の聞いたことない国ね〜、国連未加盟国かしら?いまどき王国なんて珍しいわね〜」
意外と常識のあるらしいノリカが疑問を口にする。
「第二母国語が日本語の国なら、学校で教わっててもおかしくないはずですしね〜」
これまた意外にもマユミがまともに意見する。
そんな埒のあかない会話をぶった斬ったのはリアムの次の一言だった。
「して、私の元いた世界『カエルレウム』にはどうすれば戻れるのですか?この異世界『日本』から……」
「「「………」」」
押し黙る一同、沈黙を破ったのはホールスタッフの二人。
「ナオトと同じ病気の人だっ‼︎」
「ナオくんと同じ病気の人ね〜」
変に納得する二人に厨二病が赤面しながら抗議する。
「ちげーよ‼︎一緒にすんな!」
認めたくないものらしい、若さ故の過ちというものは……。
会話には参加せず、 そんな様子をユウコはやけに静かに眺めていた。
「……。すまないが皆、席を外してもらおうか。二人だけで話がしたい」
そして重い口を開くーー
「つまり、日本のアニメ文化に憧れてフランスからやって来た、ヒデオさんの知人の厨二病罹患者ってこと〜?」
ノリカが整理して確認をとる。
話を終えたユウコが、リアムの境遇を説明してからのことだ。
残る二人も目でユウコを促す。
「 あぁ、料理人同士どこかで出会っていた様だ。迷惑な話だが無下にはできん、しばらく預かるのでよろしく頼む」
ユウコに頼まれては三人に否はない。
「礼儀正しい人ですし、構いませんよ!」
「気が合いそうですし、構いません」
「イケメンだしね~、構わないわ~」
各々が各々な理由で了承を示す。
「ありがとうございます」
頭を下げて感謝を口にするのは、ボルド王国・王室付き特等料理人リアム・ジェラルジュ……改め、フランス出身・厨二病罹患者の残念系美青年リアム・ジェラルジュ。
日本での生活があんまりな肩書きで幕を開けた。
純度の高い蒼い炎が揺らめき、いつくもの火柱が立ち昇る。
顎から滴り落ちる汗を袖で拭い、端正な顔立ちを苦悶の表情に歪めながら身構える。
満身創痍の男の前に再びその少女が現れたからだ。
厳しい状況は互いに変わらぬ筈なのだが、しかし少女は笑みを浮かべ近づいてくる。
その可愛らしい顔に見合わず、経験した修羅場の数が違うようだ。
「ターヴォラ・ドゥエ・プランツォ・アー・トレ・ペルファボーレ!」
少女が気力を振り絞り叫ぶ、これが最後になる事がわかっているからだ。
「バベーネ‼︎」
少女の言葉の持つ力によろめきながらも、防護壁を展開するかのように叫び返す。
そう、「かのように」であるーー
ランチタイムのラストオーダーを聞き届け、三人分のスパゲッティーニをボイラーにいれながらユウコは呟く。
「ふむ……。今週はランチAに片寄っているな」
先程の二人、リアムとマユミに比べ幾分か余裕のある表情だ。
「以上でラストオーダーですっ!よろしくお願いしますっ!」
「バベーネ」
うっすらと汗を滲ませ、疲労の色は窺えるものの、落ち着いた様子でイタリア語の「了承」を意味する言葉を返すのはナオト。防御系の呪文ではない。
リアムが『コラッジョ』に来てから三日が経ち、週で一番忙しい土曜日を迎えていた。
今はそのランチタイムの終盤、午後二時半。
もともと料理人ではあるが王室付きであった為、街場の飲食店での慌ただしさに慣れないリアム。
『ゲスト』というモンスターに『オーダー』という攻撃を受けている様な錯覚に陥りながらも、足手まといにならぬ様に奮闘していた。
「ノーゲスで〜す♪」
疲労を微塵も感じさせない様子でノリカがアナウンスする。
「……っ!ノリカさんはバケモノか⁉︎」
「年の功ってヤツでしょ?」
驚愕の表情を浮かべるリアムと聞かれたらヤバイ冗談を言うナオト。
「バケモノは失礼ね〜、それとナオく〜ん♡き・こ・え・て・る・ぞっ♪」
冗談が冗談では済まなくなった瞬間である。アラサーに年齢の話題は禁物だ。
そんなこんなで、意外と日本の生活に馴染み始めたリアム。
次の定休日にはナオトとマユミに街を案内してもらう予定も決まっていた。
「どうかな、週末の『コラッジョ』は?」
ユウコに話しかけられながらも、皿を洗う手を休めずに素直な感想を述べるリアム。硬い性格が窺える。
「討伐ランクDのコボルトの群れに襲われている感覚に近いですね」
「……そうか。君が言うのならそうなのだろうな」
この場合、どう返すのが正解なのだろうか?と歯切れの悪い返答をしながら思うユウコ。
「完成度の高い世界観……っ!厨二力が計り知れない!」
傍らでは本物の厨二病が圧倒されていた。楽しそうで何よりである。
ランチタイムとその片付けが終わると、アイドルタイムに入り賄いを食べるのがいつもの『コラッジョ』。
食事をしながらの世間話は貴重なコミュニケーション構築の場である。
「レイクタウンにワニが住み着いてるらしいですよ、怖いですねっ!」
マユミいわく、情報源は常連客らしい。
「居るわけないよ、冗談だろ?」
否定的なナオト。ノリカとユウコも懐疑的だ。
「確かにね〜、ちょっとね〜」
「流石に10m級では誇張し過ぎな感があるな……」
そんな会話にリアムも加わる。
「ワニとはどんな生物なのですか?」
一同、しばしの沈黙。初めに口を開いたのはナオトだった。
「水辺に生息する無翼タイプの小型ドラゴンです。成体だと体長は10m程にもなります。鋭い牙を持ち、人も襲います」
「……なるほど、セベクの眷属に近いな」
「会話がなりたってるっ!キモっ!」
「せっかくのイケメンが台無しよね〜」
真剣な表情の男性二人に生温かい視線を向ける女性陣の構図だ。
「そういえば、明後日の予定にはレイクタウンも入っていなかったか?」
ユウコがマユミのたてた休日プランを思い出す。
「水辺に寄らなければ大丈夫ですっ!」
「……そうか」
言いながらユウコは、楽観的な性格もマユミの美点の一つに追加することにしといた。
世間一般のイメージとは裏腹に、春は意外と雨が多い季節だ。
前日までの天気予報でも月曜日は傘マークが並んでいたはずだった。
「いつも助かるよ、晴れ女。いや〜おめでたいね」
にやけながらナオトが口を開く、一言多いのはいつもの事。
「うっさいっ!厨二っ!」
良い事なのだが、度が過ぎるとなんでもコンプレックスとなるのが人間というものだ。マユミにだって悩みはある。
「リアムさん、言われてるよ」
「あんたに言ってんのっ!バカっ!」
初めは間に受けて仲裁に入っていたリアムだが、暫くして平常運転だと理解してからは微笑ましく見守る様になった。
因みに、厨二という言葉をリアムは「異世界転移者」の総称だと誤認しており、ナオトのことは転移の際に記憶障害を起こした同郷の徒であると勝手にプロフィールを補完していた。
残念がこじれると手に負えないという見本がここにある。
毎週月曜日は『コラッジョ』の定休日。
予定の入っていたユウコとノリカを除いた三人は、予定通り市内観光をしていた。
「とはいえ、見るものなんて特にないけどさ……」
肩を落としながら呟くナオト。マユミも同調する。
『レイク行って、この時期だと川沿いの桜を眺めればいいんじゃないかなって思っちゃう』
レイクタウンへ向かう為、駅の改札をくぐる。
越谷の魅力について頭を悩ます二人を他所に、興奮を隠せない様子のリアム。
「ついに電車に乗ることができるのですね、楽しみです!」
怪訝な表情でナオトに尋ねるマユミ。
「フランスって電車なかったっけ?」
「いや、あるだろ……。違う世界の話じゃないか?」
「あー……それかっ!任せたっ!」
勝手に納得した二人。マユミは丸投げする。
「これが電車!鋼鉄の大蛇を使役して、その腹の中に入り込み移動手段とする!なんという発想!なんという技術力!」
「わかったから!落ち着いてよリアムさん!」
「ナオトが適当な説明するからっ!ゔー…周りの視線が痛い〜」
しばらくしてから乗り込んだ車内での一幕。
そこそこな乗客を抱えた車内にて、「羞恥で人は死ねるのではないか」と本気で思えるよう意識改革がなされた二人は、少し大人に近づいた。
平日にもかかわらずそこそこな賑わいをみせるショッピングモール、その多くは子連れの母親とカップルのようだ。
駅から来て入館したので、三人は今「kaze」のエントランスにいる。
「今着ている服ってヒデオさんのおさがりなんですよね?」
通路を横一列に並んで歩く三人、迷惑にならない程度には客足はまばらだ。
向かって右側に位置するマユミが隣のリアムに話しかける。
「えぇ、身に余る光栄です」
なぜか感極まるリアム。
「どういう関係性なんだよ」
考えるのも面倒だと言わんばかりに吐き捨てるナオト。
「えーっと……まずは、リアムさんの服を見繕ってくれってユウコさんに頼まれていたので、そちらを済ませましょうっ!」
話を先に進めるマユミ。
まともに取りあっては怪我をすると学習したようだ。リアムとの会話にだいぶ慣れてきた感がある。
数分後、三人が入店したのは有名な海外発・衣料品ブランドの量販店。
「見たまんまの外国人体型なので、サイズ感が合うと思いますよっ!」
というマユミの適当なアドバイスを受けて現在に至る。
まぁ、分かりきってはいたがリアムは何を着ても様になった。
「イケメンとは『魅了』の『チート』持ちである……」
なのでナオトが腐るのも無理からぬこと。気持ちはわかる。
「どんまいっ!」
「ほっとけっ!」
じゃれる二人。見ていたリアムは温かい感情が湧き、微笑む。
その様子を見留めて、マユミが疑問を口にする。
「どうかしましたか?」
「いえ…実は私には弟子が二人いるのですが、お二人に少し似ていましてね」
どこか遠い目でリアムは「懐かしく感じていたのです」と続けた。
「そこまで言うなら会ってみたいな、いつか紹介してくれよ」
「それねっ!」
決して簡単ではないことを軽い調子で口にする二人。
事情を知らないとはいえ、さも当たり前といったその調子に感化され、内心で抱えていた不安や葛藤が晴れていくのをリアムは感じた。
「えぇ、もちろん」
昼食を挟み、その後も買い物を続けた三人。
今は休憩できるカフェに向かっている最中。
珍しく微笑みを崩さないリアムに声をかけるマユミ。
「買い物、楽しそうで良かったです」
すると、彼女の予想とは少し違った返答が返ってきた。
「いえ、君達と一緒にいる事が楽しいのです」
思わぬ不意打ちに赤面するマユミ。こっぱずかしい事もイケメンが言うと様になるもので、破壊力が半端ない。やはりチートだ。
「しかし、「晴れ女」とは言い得て妙ですね」
「?」
続けた言葉の意味がわからないマユミは首をかしげる。
「あっ、わかりますか?」
ナオトが会話に加わる。
「なんなのよ!もうっ!……ってか「晴れ女」言うなっ!」
むくれるマユミを横目にリアムが真剣な表情で呟く。
「なにかしらの上位存在から加護を受けているのか?……あるいはこの世界特有の未知の理がーー」
そんな様子を眺めながら二人は嘆息する。そして声を揃えて、
「「また始まった〜」」
諦念と親愛のいり混じった言葉を口にした。
「たいしたものではない」と言いはするが、実際に見に行ってみると存外見応えがある。
元荒川の土手に、淡い色合いで下からライトアップされる夜桜は中々に幻想的だ。
軒を連ねる屋台が雰囲気をぶち壊しにするわけだが……。
去年の今頃『コラッジョ』の面々で花見をした時のことをリフレインしていたナオトが、隣に座るリアムに話しかける。
「リアムさんは今までに桜を見たことあったの?」
手にしたコーヒーを一口啜り、問われてリアムは答える。
「えぇ、ボルド王国・中央区にある王城の庭園に植えられているのを拝見したことがあります」
「そっかぁ、フランスにも桜ってあるんだねっ!」
場の空気を忖度して会話を拡大解釈&脳内補完しながら進めるマユミ。
人間関係における適応能力の高さも彼女の美点の一つだとユウコはいつしか言うであろう。
三人がまったりとした時間を過ごすのは、モールの外に隣接された某有名カフェチェーン。フラペ○ーノを注文するには少しまだ肌寒い。
「この後はユウコさん達と合流して、北越谷で花見をするんですよー」
マユミが今後の予定を述べる。
季節感には忖度しない主義らしく、彼女の前にはフラ○チーノが置いてある。
甘味を前にした乙女には、全ての言葉が力を失うのだ。
事態が急変したのは、時計の針がL字を形どる午後三時のことだ。
「あっ、ユウコさんから連絡きた……。展示会が終わったから帰って来るってさ」
ナオトの携帯にメッセージが届く。
「嫌な予感がする、何か変わったことはないか?……だってさ、不吉だなぁ」
続けた言葉にマユミが反応を示す。
「えっー!ユウコさんの予感って的中率高いもんね!」
「そうなのですか?」
「そうそう、こないだなんてーー」
噂をすれば影がさす。
リアムの問いに応えようとしたナオトの言葉を遮るかたちで、それは起こった。
「ヴォー‼︎‼︎‼︎」
地鳴りの様な咆哮が轟く、続いて爆破音のようなものと悲鳴がアウトレットモールの方から断続的に響いた。
「きゃっ!なになに⁉︎」
「何かのイベントにしては穏やかじゃないよな……」
「……っ⁉︎この咆哮、まさかっ⁉︎」
各々が口を開くなか、リアムは立ち上がり、騒ぎの渦中に向かって走り出した。
「ちょっと!リアムさん⁉︎」
「えぇっ⁉︎ナオト、どうするのっ⁉︎」
「行くっきゃないだろっ!」
言うなり、リアムを追いかける二人。
二人には訳の分からぬままで状況は急転直下する。
休日が平日だけとはいえ、いつ足を運んでも閑散としていたレイクタウンのアウトレットモール。
しかし、この時は悪い意味で賑わいを見せていた。
……いや、今の表現は悪趣味に過ぎる。撤回しよう。
響き渡る悲鳴・怒声・怪物の咆哮は「阿鼻叫喚」という言葉を連想させる。
続いて視界に入った破壊されたモールの様相は、かつて映像で見た阪神・淡路大震災をナオトに彷彿させた。
「……っ!なんだよこれ‼︎」
リアムを追った先に見た光景に圧倒されるナオト。
悲しいことに彼の憧れていた非日常は現実には彼の望んでいた形では現れなかった。 「……」
追いついたマユミも言葉も無く立ち尽くす。
「……リアムさん、何処だ?」
気を取り直したナオトが、逃げ惑う人達の激流を掻き分けながら歩を進める。
「ナオトっ!待って!」
慌てて追いかけるマユミ。程なく二人はリアムを見つける。
更に不可解な光景と共にーー
『カエルレウム』において、一般的に魔術とは上位存在の力を借りて理を操作する技術のことである。
よく混同されがちだが魔法とは上位存在の行使する力そのもののことを指す。
では、モンスターの扱うそれは何かと言うと、実は魔法である。
理由は単純で、モンスターとは何かしらの上位存在の眷属だからだ。
彼らはその権能の一部を与えられている。
「光の化身フィクス、我が信仰を糧に権能を示せ!収束せよ!ブークリエ‼︎」
両手を突き出し叫ぶリアム。
眩い光が前面に集まり、迫っていた石材の弾丸を辛くも防ぐ。
それも束の間、再び弾丸が飛来する。
地力の差もあるが、それ以上に魔法と魔術の最大にして致命的な違いである『詠唱の有無』が戦況を決していた。
「……っ!」
すんでのところで身体を倒し、石材を回避する。
速射性能の差で防戦を余儀無くされているのが現状だ。
「勝ち筋は見えんが、自分で蒔いた種だ。仕方あるまいっ!」
度重なる追撃。
射線を外す回避でやり過ごしながら、彼にしては珍しく愚痴をこぼす。
なんとか振り切って、半壊したモールのコンクリート塀に身を隠すと、打開策を模索する。
戦闘職の魔術師ではない彼の力では頑強なクレイドラゴンに致命傷を与えられないのが、問題点だ。
「さて、どうしたものか……」
悪い事は続くもの。問題点が優先順位を変えたのはその時だった。
「なっ!ワニ⁉︎いや……クレイドラゴンか⁉︎」
「キャーッ‼︎ゴジラっ!」
見知った顔が二つ最悪のタイミングで現れた。
「……ちっ‼︎」
彼が悪態を吐くのも珍しい。それほどに事態は切迫していた。
ちゃんと映画を観た事は無いが、怪獣といえばゴジラ。
日本人として当然の発想でもってその名をマユミは口にする。
「キャーッ‼︎ゴジラっ!」
直後、光の矢がゴジラことクレイドラゴンの顔面に直撃する。
と同時にリアムの叫ぶ声。
「ナオト!マユミ!……こっちです‼︎」
クレイドラゴンの怯む隙に駆け寄り、合流する三人。そのまま物陰に身を潜める。
「二人共、無事で良かった」
息を整え、リアムが口を開く。
「もうっ!こっちも心配したんだよっ‼︎」
「そうだよ。急にいなくなるもんだからさ」
二人も批難の声をあげる。チラリとクレイドラゴンを見やり、リアムは手短に説明をする。
「アレは私の世界のモンスターです。どうやら一緒に転移したらしい、責任を取る必要があります」
「もう疑いの余地は無いよな……」
「厨二はナオトだけだったんだね」
「うるせーなっ!今言うことか⁉︎それっ⁉︎」
やや緊張感に欠ける会話をする二人。半ば呆れながら微笑むリアム。
「二人といると不思議とどうにかなりそうな気がしてきました。……状況を打開します、手を貸して頂きたい」
不敵に笑うリアム、反転攻勢に打って出る‼︎
国道4号線を走る真っ赤なビートルの車内。
スマホの画面を見つめ、隣で愛車を運転する、ウェーブのかかった長い髪が似合う女性に声をかける。
「あとどれくらいかかる?」
「あと五分くらいかしらね~」
時間を気にするわりに、あまり焦りをみせない落ち着いた様子の会話。
ショートヘアの似合うモデル体型のその美女は事も無げに相槌をうつ。
「そうか」
小柄な体格を存分に活かし、機敏に動く身体を左右に振りながら疾走するナオト。
「……っ!こっちだ化物!立ち仕事舐めんなよ‼︎」
危険を承知で挑発し、誘導する。足腰には自信があるようだ。
「あと少しだよっ!頑張って、ナオトっ!」
イベントスペースのある広場と二階から声援を送るマユミを視界にとらえ、ラストスパートをかける。
「……もうちょいかっ!脇腹いて〜」
やはり運動不足は否めない。社会人になるとこんなものだ。
そして、ついに誘導ポイントへとクレイドラゴンを誘き出した。
それと同時に詠唱を終えて待機していたリアムが叫ぶ。
「アルク‼︎」
先程と同じ光の矢が放たれる。
一度効かなかった攻撃を避ける素振りはやはり無い。
不敵に笑うリアム。
慌てて持ち場を離れるマユミ。
脇腹を押さえて倒れ込むナオト。
そして、光の矢がクレイドラゴンに中る直前、ガスボンベが間に滑り込んだ。
急激な大気の膨張が生み出す音を爆音と言うらしいが、あまりに近すぎるとただの衝撃波でしかない。
前々から見通しが甘いと自覚していたリアムではあるが、やはり今回もまた後悔しているようだ。
「……ガス残量の違いか?」
想定以上の爆発に巻き込まれ、地面に仰向けに倒れるリアム。
身体は痛むが致命傷ではない、勝利を確信して若干余裕を伺わせる発言も出る。
「おーいっ!みんな無事〜っ⁉︎」
遠くでマユミの声が聞こえる。
「……無事じゃない、明日は筋肉痛だ」
ナオトも余裕がありそうだ。
ひとまずの決着を迎え、騒ぎをどう収束するかを考えるべく合流した三人、しかし直ぐに早とちりした自身を恨むこととなった。
瓦礫を押し退けながらクレイドラゴンが立ち上がったからだ。
「ウソだろっ!」
「……こんなことって」
驚愕する三人。
無慈悲にも放たれる瓦礫の弾丸。
新たに幕を開けた、絶対絶命の状況。
しかし、その物語は長くは続かなかった。
「遅くなってゴメンね〜、間に合って良かったわ〜」
三人を穿つはずの凶弾は消え、いつもどおりの間延びした声で話しかけるノリカの姿がそこにあった。
「システムコマンド・プロテクト・アーティファクト・エクステンド♪」
眼前に迫る瓦礫を、展開した防護壁で完封する。
彼女が口にした言葉は解放する力の形に指向性を持たせるためのものであり、意志を込めた力ある言葉ではない。
すなわち「魔法」である。
「遅くなってごめんね〜、間に合って良かったわ〜」
振り返り、その女性は間延びした声をかける。
「「「…ノリカさんっ⁉︎」」」
予期せぬノリカの登場に驚愕する三人。
しかし、その理由は別の所にもあった。
「……はしたない」
「おいおい、流石にないだろ……」
「……コス……プレ?」
TPOをわきまえず、脱力する三人。
眼前には、魔法少女風の露出過多なコスチュームを着たアラサー。
破壊力は推して知るべし。
「それ以上言ったら〜、こ・ろ・す♡」
押し黙る一同。沈黙は金である。
「まったく、緊張感が足りんな。後で説教だ、覚悟しておけ」
声のする方を見やると、右手に持った剣の血振りをしながら、ユウコがこちらに近づいてくるところだった。
その背後には両断されたクレイドラゴンが倒れている。
「ユウコさんまでっ‼︎」
「どうなってるんだよ……」
「流石ですね」
驚愕するマユミ、判然としないナオト、納得のリアム。三者三様のリアクションである。
かくして、事件は釈然としないながらも一応の解決をみせるーー
リアムが来た日の翌朝。
身仕度を整えたユウコがリビングに顔を出すと、リアムが朝食の準備を丁度終えたところだった。
「おはようございます、ユウコさん。失礼ながら台所をお借りしました。一緒にいかがでしょうか?」
「おはよう、早起きだな。昨日も言ったが好きにしてもらって構わないよ。せっかくなので頂こうか」
物心ついた頃には母親がなく、仕事で忙しい父と二人で暮らしていたユウコにとっては久しぶりの他人の手料理。
どこか父の味に似た懐かしさを感じながら終えた朝食後のブレークタイム。
「噂に聞こえた以上に高度な文明ですね、日本は」
「私も『そちら』の話は父に聞いただけで、詳しくは知らないのだが、違う技術が発達しているのだろう?」
「魔術のことですね?しかし、その恩恵は万人に与えられたものではありません」
「そうなのか?」
「えぇ、例えば夜闇を照らすこのようなランプ。街中を照らしめるほどには普及しておりません」
電灯を指差しながら応えるリアム。
「なので『カエルレウム』の民は皆、早寝早起きなのです」
先程のユウコの言葉を引用する、意外にも冗談が言えるらしい。
その時、付けっぱなしのテレビから越谷の地名が出てきて顔を向ける二人。
例の爆発事故のニュースを伝えているらしい。
「大事になってしまい、申し訳なく思います……」
「なにっ⁉︎君の仕業なのか⁉︎」
突然のリアムの独白に、珍しく勢い込むユウコ。
話を聞くに、見慣れぬ自動車の接近に恐慌をきたしたリアムは、撃退するべく放った魔術によって隣家のガスボンベを撃ち抜いたらしい。
越谷は未だにプロパンガスが主流の地域がある。
「怪我人がなく、安心しております」
「……。反省しているようなので、これ以上は不問としよう。それにしても、君も魔術が使えるのだな」
警察に連れて行っても、病院で頭の検査を勧められるだけなので、話を変えることにしたようだ。
「聖剣の勇者の御前でお恥ずかしいのですが、手習い程度に……」
「そ、そうか」
甲張り強くして家押し倒す。
よくわからないタイミングで恥じ入るリアムと、面喰らうユウコ。
アラサー女子に「聖剣の勇者」は痛すぎた。
さて、 朝からヘビーな厨二トークを交わす様にみえる二人だが、ユウコは冗談は言わないタイプの性格だ。
つまり、この会話は全て事実に基づいていることになる。
コーヒーに口をつけながらユウコは昨夜の会話を反芻する。
「剣崎英雄を知っているか?」
「えぇ、もちろん。かの勇者の名を知らぬ者は『カエルレウム』にはおりません」
「やはりそういうことか……。ひとつ提案があるのだがーー」
このやりとりの後、リアムはフランス人になった。
「私達の事情もある程度は伝えておくべきか……。折を見て話そう」
ユウコが言いながら立ち上がり、空になったカップをソーサーと共にシンクへと片付ける。
しかしながら、リアムが『事情』とやらを聞かされたのは、この日から四日後のことだった。
『晴れ女』のおかげか、風も穏やかななかで慣行することのできた花見。
ライトアップされた夜桜はやはり綺麗で、建ち並ぶ屋台も相変わらずだ。
ただし、「晴れ女」当人は花や団子より気になることがあるらしい。
「ちゃんと説明して下さいねっ‼︎」
「右に同じ」
乾杯の音頭をとった直後、待ってましたとばかりに切り出すマユミ。
ナオトも同調する。
タフな一日の終わりにユウコが話し始めた。
「つまり、リアムさんの世界……『カエルレウム』でしたっけ?で、ユウコさんのお父さんがかつて勇者をやっていて……」
説明された内容を咀嚼しながら確認をとるマユミ。
「その力を引き継いだのがユウコさんなのか……。そんで、リアムさんとあのモンスターが仲良く連れだって異世界転移っと……」
言葉尻をとってナオトが続けた。
「じゃあ、ノリカさんは何者なんですか?」
未解決の疑問を口にするマユミ。
「魔法熟女だろ……。って、痛いっ!やめてっ‼︎ごめんなさいっ!」
茶化すナオトに鉄拳制裁するノリカが答える。
「リアムくんの世界に魔術師がいるように〜私たちの世界にも魔術師はいる、それだけの話よ〜」
言ってからユウコを一暼したノリカは、彼女が首肯するのを確認すると再び口を開いた。
「システムコマンド・プラクティス・フォース・マインド」
突如、ナオトとマユミに向けて魔法を行使するノリカ。
意識を失い、倒れる二人。それを支えるユウコ。
「……っ!なにをっ!」
突然のことに困惑するリアム。
あまり物事に動じない彼は、今日だけで1年間分くらい驚いている。
「まぁ落ち着け、リアム。事情があると以前言っただろう、今からそれを話す」
横に寝かせた二人に上着を掛けながら、
「都合が良すぎるとは思わないか?いろいろと……」
ユウコはそう切り出した。
桜もすっかり散って、足元にその余韻を微かに残すのみとなった四月も二週目。
毎度のことながら儚さを感じずにはいられないのが日本人。わびさびである。
地元で評判のイタリア料理店『コラッジョ』は、只今ランチ営業の真っ最中。ピークタイムを迎えて慌ただしい様子だ。
「ターヴォラ・ドゥエのドルチェお願いますっ!」
焦ってはいるが、それでも笑顔は崩さずに厨房に声かけをするマユミ。
「バベーネ!」
それに応えるのはナオト。
根が真面目な彼はいま、営業中にしか見せない真剣な表情をしている。
そんな二人を見て、わびさびを感じているのは日本人ではないリアム。……というか地球人ですらない、異世界人だ。
「これで良かったのでしょうか……?」
つぶやくリアム。ユウコがそれを拾う。
「情けない話だが、ただの大人の事情だ。二人には申し訳無く思うよ」
昨晩にリアムが聞かされたのは、信じがたいことに『神』の存在とその所在についてだったーー
「正確には『神』に等しい力を有する『上位存在』らしい」
ユウコが言葉を続ける。
「マユミ自身の力か加護なのかはわからないが、彼女にとって最良の結末に向かって世界は動いている」
リアムを見やり、反応を伺う。
「思い当たる節はあります。確かに今日は出来すぎていました」
理解を示すも、『しかし』と言葉を付け足す。
「なぜ記憶を改ざんする必要があったのですか?」
それに応えたのはノリカだった。
「彼女が非日常を受け入れてしまったら~、世界が歪んじゃうでしょ~?」
「君の世界も消えてしまいかねない」
ユウコが補足する。理解が追いつかない様子のリアムに、更に言葉を重ねる。
「カエルレウムの母国語はこちらの世界ではフランス語という。物理法則に違いも少ない。極め付けはクレイドラゴン……ナオトは奴を見てすぐに、そうだと理解した」
ここまで聞いてユウコの言わんとする事に思い至るリアム。
「……ナオトの想像する異世界を、マユミが創り出した……のですか?」
ユウコが首肯する。
「それでは私は……っ!私達の世界とは……っ!」
困惑するリアム。当たり前だ、自身の存在そのものが根底からひっくり返る話である。
そもそも、彼は初日を除いて元の世界に帰りたいと思ったことがない。
更に言えば、ずっとここに居たいとさえ感じていた。不自然な程に……。
リアムの思考をさえぎり、ノリカが口を開く。
「あまり深く考えないことね、それだけデタラメな力なのよ」
それは珍しく間延びしない、真剣味を帯びた声だった。
場面は再びランチタイム。
「最善を尽くしたと割り切るしかないよ」
自身に言い聞かせる様にリアムに声をかけるユウコ。
次いで、吐き捨てる様に口を開く。
「まったく、嫌な大人になったものだ……」
ユウコらしくないが、それ以上に勇者の台詞とも思えない。
こうして、日常を無理矢理に取り戻した『コラッジョ』。
気概に溢れる新米コック、笑顔の絶えないサービス見習い、色気の漂うソムリエールに才色兼備なシェフ。
そして、そんな彼らを見やり、微笑みながら一人呟くのは新しい仲間のリアム。
「まぁ、間違っては……いないようですね」
時刻は午後三時、最後のゲストを見送りマユミが頭を下げる。
「ありがとうございました!またのご来店お待ちしておりますっ!」
散った桜の代わりに春らしい暖かさが訪れ、仲間を一人増やした『コラッジョ』は新しい季節へと走り始めた。