06.文学少女の想い出(下)
何度か学級委員の仕事を重ねるうちに、私は仕事を任されるのが楽しみになった。少しでも、数八と話せるからだ。
だが、さらに私達を近づけるきっかけとなる事件が起きたのは中間テストの結果が返された日の放課後だった。今回、先生に頼まれたのはこれまたアンケートの集計だった。あの後席替えがあり私の机の方が教卓に近かったので、私の机とその隣のを寄せて使うことにした。
「ねえ、テストどうだった?」
テスト返却後の恒例行事「友達と点数の教え合い」だ。ちなみに人生で初めてやってみた。
「別に、普通だけど」
数八はそう言って各教科の点数の一覧表を渡してきた。あ、できれば口から聞きたかったな。受け取った紙を見た私は絶句した。数学Ⅰ100点、数学A100点、化学100点、物理100点、生物100点……現代文8点に古典が6点!?
「国語何があったの!?」
「それ、いつものことだから。ちなみに襟井はどうだったの?」
「いつものこと」が気になるが、今は私が教える番だ。鞄からテストの結果を取り出し突き出す。他人に成績を教えるの、結構緊張するんだね。
「どれどれ……現代文と古文が満点!? すごいな。あれ、数学がどっちも……ふふっ」
数八が笑う原因は一瞬で特定できた。数学Ⅰと数学Aが共に……4点なのだ。
「しょうがないでしょ! それでも一生懸命勉強したの! 一問しか合ってないけど……」
その時、数八の口から出た言葉は予想外のものだった。
「数学、教えようか?」
「え、いいの? じゃあ……私も国語教えてあげるよ」
よし、何とか数学の単位は取れそうだ。そう確信した。まあ数八としては狙い通りなのかもしれないが。私の中でのカズヤのイメージがグンと上がった。だが次の一言でガクンと落ちることになる。
「ところで、そのノートに書かれてるのって……その、襟井の趣味なの?」
そう言った数八が指しているのは私の机の上にある紫のノート。このノートは……私が主に数学教師の授業中の内職で使っている「小説を書く用」のノートなのだ。実はラノベにハマってから自分でも書いてみたいと思うようになり、ネット小説サイトに投稿しようと毎日少しずつ書き進めていた。
「もしかして、見ちゃった?」
「あ、うん気になったから。この前襟井が席を立っている時に」
そうだった。この男にはデリカシーなどこれっぽっちも無いんだった。平然と女の子のノートを勝手に開いてしまうのだ。
「主人公の設定が矛盾してるところあったし、ちょっと妄想が激しすぎr」
「あーあー! もう言わなくていいから!!」
自分の書いた小説に冷静にコメントされるのがこれ程恥ずかしいものだとは……ああ、何であんな際どいシーンを入れたんだ私は!
ずっと言おうとしていたけど言い出せなかったこと。今なら、数八になら言える気がした。
「数八、あのさ……」
「何?」
言いかけた以上、後戻りはできない。もうどうにでもなれ!
「わ、私……同好会を作って、これを書きたいの!!」
数八は無駄に頭の回転が速いからか、これだけで言いたいことを察してくれたようだ。この学校は部活動をかなり推進しており、2名以上の生徒が居て、内容が既存のものと被っていなければ同好会を作ることができ、さらに10畳ほどの部屋を貸してくれる。同好会室は隣の棟の4階にズラリと並んでいて、放課後になるといつも賑やかだった。その後、結果を残したりすると部活に昇進できる。よく考えたら凄いサービスだ。
つまり、私が言いたかったのは「数八に入ってほしい」ということだった。
「いいよ。後で書類を出しに行こう」
「え、ホントにいいの?」
「ついでに国語教えて貰えるなら喜んで」
合理主義の数八にしては意外な答えだった。あ、でも放課後に教室で教えるよりは集中できるってことなのかな。分かんないや。
仕事を終えて書類を職員室に運び、同好会担当の先生に申請書を貰い、2人のクラスと名前を記入する。そしてその日のうちに提出した。
「えーと……『文芸同好会』ね。いいよ。はいこれ鍵。一番端の部屋ね」
文芸同好会は一瞬で審査を通過した。一番端とは何とも言えないが……まあ数八と歩く時間が増えるからいいや!
部屋の中は勿論何も無かったので、廊下に並べられた余った机と椅子を2つずつ運び込んだ。数八は最終下校時刻まで添削に付き合ってくれた。
次の日は、私が数八に国語を教えた。特に古典の理解力の無さには驚いた。せめて3時間で助動詞2つは覚えて欲しかった。
次の次の日は、数八が数学を教えてくれた。一日で二次関数を習得したかったが、不可能だった。グラフさん、動かないでください。
次の次の次の日は、最後まで談笑した。数八って名前の由来、「お父さんの好きな数が2の3乗だったから」なんだって。数八自身は「2の10乗の方が好き」らしい。うん、ちょっと意味分かんないかな。
それから、私たちは放課後に集まって色々なことをした。小説を進めながら勉強を教え合ったり、時にはファミレスにも行った。放課後に友達とどこかに寄るのも私にとって初めての経験だった。数八は単に親が帰って来ないからと言っていたが、誘ってくれて嬉しかった。お会計は別々だったけど。
でも楽しい日々はいつか終わりが来るものだった。
夏休み前の最後の同好会の活動日、期末テスト最終日の放課後のこと。午後の時間を全て同好会に使えるこの日、私達は遂に小説を書き終えたのだった。およそ12万文字。1か月半をかけて綴られた文章を記したノートは6冊に達していた。
「良かったね。小説、間に合って」
「うん、ありがとう! あ、でもこれパソコンで打ち込まなきゃ……でもこれくらい、自分でやらないとね!」
「あ、そう。まあ、もし終わらなそうなら手伝うよ」
この小説は7月締め切りのコンテストに出すつもりだ。アシスタントとして数八のことを「2の3乗」とでも書いておこうかな。喜ぶかは分からないけど。
本当はもう少し一緒に話していたかったが、数八に今日が好きなラノベの最新巻の発売日だと伝えたら、「早く買ってきなよ」と言われた。そんな訳で今日は同好会を切り上げて早めに帰ることにした。
「じゃ、また今度!」
「うん、またね」
期末テストの採点期間として、生徒たちには明日から3日間の休みが与えられている。私は鞄にノートを突っ込み、手を振って部屋を出た。廊下はとても静かだった。そりゃ、試験後に活動する同好会なんて文芸同好会くらいか。
ふと窓に目を移すと、白と黒の不思議な模様の蝶が1匹、枠に止まっていた。私が近づこうとするとパッと羽を広げ、天井あたりをひらひらと舞い、少しずつ階段の方へと向かっていた。
首を上に向け、夢中でそれを追いかけた。私をどこかへ連れて行ってくれそう。そんな気がしたのだ。だが、その夢も儚く散る。
「えっ……」
私の右足は宙に浮いていた。直後、頭に強い衝撃が走る。階段から落ちたことに気づいたときには、目の前に赤い液体が広がっていた。おそらく、この時こそ人生で一番後悔した時だろう。
もっと早く伝えていれば良かったな……私の気持ち。
遠のく意識の中、もう永遠に伝えることができないであろう気持ちを、私は必死に声に出した。
「数八……大好き…………」
約束、守れなくてごめんね。でも、またどこかで会えたらいいな。