04.孤独な少女の運命論
ピピピピッという至って平凡な携帯電話のアラームが、何の面白みも無い1日の始まりを告げた。かけられた布団を少しのけて、枕の上の頭を起こす。
目を覚ましたところで瞳に映るのは、飽きるほど見てきた無機質な部屋の真っ白な壁。色彩を求め、横のカーテンに手を伸ばす。だが、空は分厚い雲に覆われていた。
母が買ってきてくれた読みかけの小説を手に取り、栞を挟んでいたページを開く。最近の体調が良い日は、ずっとこの繰り返しだった。
丁度1章分を読み切り、再び栞を本に挟んでパタンと閉じる。いや、このまま読み続けた方がいいだろうか。自然と私の視線は、壁に掛けられたカレンダーに向いていた。
白ばかりの空間で、異様な存在感を放つ赤色の丸印。それを付けられた日が、もう明日に迫っていた。
今日が私の最後の1日になるかもしれないのだから。
皆が友達と遊び、勉学に励んでいるような時期の殆どを、病室で過ごした。
小学5年生の時のこと。6年生を送るための卒業式、その予行練習の日から私の人生が狂い始めた。
在校生による送辞へと進行し、今日に限って司会の代理をしている担任が「在校生、起立」と発言すると同時に一斉に立ち上がった。
長い話の終盤、そろそろ座りたくなってくる頃だった。
急に、足に力が入らなくなった。視界も徐々にぼやけていく。
この時は、ただの貧血だろうと思っていた。何かの会等で長時間立ちっぱなしだと、貧血で倒れる人がよくいるからだ。
だが、私が目を覚ましたのは保健室のベッドの上……ではなく、近くの大きな病院の病室だった。
脇で心配していた両親と、1日進んだデジタル時計を見て、すぐに分かった。そんな原因で倒れた訳ではないことを。
聞いたところによると、小学校から救急搬送された私は、長時間に及ぶ緊急手術の末、丸1日眠っていたらしい。
この時は医師も両親も、勿論私自身も、いずれ体調が回復すれば退院できると思っていた。でも、そんなことは無かったのだ。
数週間に亘って続いた激しい頭痛や吐き気に、何の前触れもなく突如として私を襲う、心臓を締め付けられているような痛み。体調が安定したと思っても、数日後に再びやってくるのだった。
そして入院は続き、小学校は無論のこと、中学校にも殆ど行けなかった。登校したのなんて、偶然にも体調が優れていた入学式くらいだろう。
友達なんて、出来るはずもなかった。
今思えば、人見知りやコミュニケーションが苦手な原因はこれなのかもしれない。
病室という空間に閉じ込められているのは、本当に憂鬱だった。自由に体を動かせないし、院内を移動するときは車椅子。
そんな面倒なことをするはずもなく、私は1人、ずっとベッドの上にいた。
すると必然的に、可能なことは限られてくる。その中でも、私が選んだのは勉強。
中学校に行けない分、同級生に差を付けられる手段は勉強くらいだった。
高校受験の頃には体調も回復するだろう。そんな淡い期待を抱いていたが、やはり運命というのは理不尽なものだ。
入試前日に、あの時と同じような眩暈に襲われて気絶。気が付いた時には2日も経っていた。その後1か月以上、絶望に打ちひしがれていた私は、毎日のように強烈な胸の痛みに悩まされ、到底外出できるような状態では無かった。
それから3年間、つまり小学校の時の同級生たちが高校生活を楽しんでいる中、孤独な私は必死に努力した。
そう、大学受験だ。
後悔だけはしたくなかった。「また試験の時に体調を崩したら」なんて考えて、何もしなかったとして、もしもそうならなかったら……絶対に後悔するに決まっている。
例えダメだったとしても、運命を受け入れよう。
そして私も18歳になり、少し不調ながらも外出許可を得られ、高校卒業認定試験に合格。
不思議と好調はずっと続くものだった。入試当日はまさに完全復活と言える程で、難なく終えることができた。
最後の最後で、運命の神は私に味方してくれた。そう信じたかった。
受かったのは、まあまあ知名度はあるだろう国立大学の工学部。心配といえば、女子がちょっと少なそうなことくらいだ。
やっと退院が認められ、長かった入院生活も幕を閉じ、私にも夢のキャンパスライフがやってきた。
今まで何もかもができなかった反動か、晴れて大学1年生になった私は、まるで籠から放たれた鳥のように、自由を満喫した。
母数が少ないのも有ってか、ちょっと性格の似た女の子と仲良くなれた。
私の話を聞いてくれた彼女は、「青春を取り戻そう!」と喜んで付き合ってくれた。遊園地やゲームセンターの他に、緊張して全く歌えなかったけどカラオケにも行った。
遊び過ぎて、1学期のテストで赤点を取りかけたのも、今となっては良い思い出だ。
楽しい時は流れ、長い長い大学の夏休みのこと。
列車に揺られながら、後方に流れていく景色を楽しんでいた。少し背を伸ばし、人生初の1人旅行に出かけてみたのだ。
鞄の中に詰め込まれた、暇つぶしの為に買い込んだ文庫本の1冊を手に取る。こんなゆったりとした時間が続けばいいなと思いながら、ページをめくっていく。
だが、順調に過ごせていた大学生活も、ここで終幕を迎えた。
急にやってきた、心臓をギュッと誰かに握られているような激痛に耐えきれず、落とした本が床に当たってページが折れた。人を呼ばなければと立ち上がろうとするも、足に力は入らないし……そんな勇気なんて無かった。
そしてまた、あの時と同じ病室に逆戻りという訳だ。
よりによって病気が再発するなんて、なんて運が悪いのだろう。
まあ待っていれば、いずれは治るだろう。そんな呑気なことを考えていた私に、医師から悲痛な宣告がされた。
「手術をしないと危ないかもしれない」と。
このままだと危ない、だってさ。
しかも、心臓に関するものだから手術の成功率は極めて低いなんて。失敗したら……死んでしまうかもしれないって。
酷い。酷過ぎる。どうして私ばかり、こんな目に合わなくちゃならないの……。
また、運命の神が助けてくれるなんて、そんな好都合なことあるはずが無い。
信じていたって、救われない。
何となくだけど、分かる。私は助からない。
最後に、いや、最期に……運命の神は私を裏切るって。
次の日、ストレッチャーに乗せられた私は、看護師たちの手で手術室へと運ばれていった。
そして全身麻酔によって、意識が遠のいていく。
数時間後の私は生きているのか、はたまた死んでいるのか。
誰も予想はできない。
でも、全ての未来を把握しているような者がいれば、結果も分かるのだろう。
部屋のカレンダーの今日の日付のところには、赤い丸の上から大きくバツ印が付けられていた。