11.これからは普通の女の子として
コツンコツンと革靴で歩く音が通路で反響し、分厚い扉から漏れてくる。内側からは開けられないその扉に、外から鍵が挿し込まれカチャンと開錠された。
ノックの音と共に、比較的高めな男性の声が発せられる。
「王女、夕食をお持ちしました」
銀のプレートを片手に持ち、ピシッと背筋を伸ばして立っている彼は、専属の執事であるティル。私がこの部屋で生活し始めてから、身の回りの世話を殆どやって貰っている。
「今日もメニューは?」
「焼いたお肉と、野菜の盛り合わせです」
こんもりと盛られた多すぎる野菜の山を見て、明らかな悪意を感じながらも渋々受け取った。
「済みません。ナイフを忘れてしまったので、取りに戻ります」
そう言って部屋から出て行き、カチャンと再び扉に鍵を掛けて立ち去るティル。
私が怒らないからと言って、平気で忘れ物をするのはどうかしてると思う。なんせ、私は王女だからだ。でも、身分など気にしないで接してくれるのが嫌では無かった。
取り敢えず、フォークだけで野菜の山に手を付ける。
その時だった。上の方から鈍い爆音が轟き、地下室まで大きな振動が伝わってきたのだ。
すぐに、爆発であることは理解できた。でも、どうして……。
続けざまに起こる地震によって、ティーカップが倒れて机に紅茶がぶちまけられ、棚のグラスが落ちてガラス片が床に散乱する。
このまま鉄の扉が歪んで開かなくなったら……。
「誰か! 誰かいないの!!」
こちらからは絶対に開けられない扉を必死に叩く。手が赤くなってきても、どんなに痛くても、涙を零しながら叩き続ける。
お願い、誰か……助けて!
カチャン。轟音の中でも、その音だけは鮮明に耳に入ってくる。
何年もここに閉じ込められていたからか、いつの間にか鍵を回す音に希望を感じるようになっていた。
「王女! 早く逃げましょう!!」
私がうんと頷く前に、ティルはぐっと腕を掴んで駆け出した。王女の腕を強引に引っ張る執事。そんなシチュエーションに感情が高ぶる。
やはり私はティルのことが……少し気になっていたのかもしれない。
蝋燭の消えた暗闇の階段を必死に駆け上がる。
部屋から出たのは何年前だろうか。ここまで大きく体を動かすのも数年ぶりだ。
躓いて転びそうになっては、ティルが支えてくれる。私がドレスの裾を踏まないように、慎重になっていることに気が付いた彼は背中と足の下に手を回し、抱えて……所謂お姫様だっこの状態で階段を上ってくれた。
ここまで地下深くに閉じ込められていたのか。そう思える程、長い階段の先にあったのは想像以上の……まるで地獄のような光景だった。
敷かれた真っ赤なカーペットがメラメラと火柱を上げて燃え、枠に装飾が施された大きな窓のガラスは熱で粉々に砕け散っている。
窓の外に見えた数年ぶりの王都も、火の海と化していた。あちこちから炎が上がり、その度に喚声と悲鳴が聞こえてくるのだ。
「何、これ……」
「ぼうっとしている暇はありません! 早く出口を探さないと……っ!!」
幾つかの柱を失った天井が耐えられるはずも無く、一気にヒビが入り崩落したのだった。
舞い上がった粉塵によって視界が遮られる。
「早く……逃げ……て……」
足元から聞こえてきたのは、苦しそうなティルの声。私はすぐにしゃがんで、ひたすら手を振り回す。
中指の先が何かに触れた時、灼熱の炎の中で、それとは違った温かさを感じた。
「ティル! そこにいるのね!」
彼に触れた場所に、顔をぐっと近づける。だが、ようやく目に映ったその姿に絶句した。
瓦礫の下敷きになり、頭と右腕しか自由が利かなくなっていたのだ。痛みに耐えながら頭を上げた彼は、最後の力を振り絞ってこう言った。
「私はあなたの執事です……ですが……最後に1つ……ワガママを聞いて……頂けますか?」
所詮私と彼は、王女と執事という主従関係。結ばれるなんてことは無かった。そういう運命だったのだ。
この絶大な力によって、そんな関係すらも壊されてしまうというのか。理不尽な話だ。
「私の代わりに……これからは普通の女の子として……幸せに暮らして下さい……」
そう言い終えた瞬間に、彼の伸ばしていた腕は力なくドサッと床に着く。緩んだ手の中には光る何かと紙切れが握られていた。
『この城の執事であることを示すピンです。僕だと思って、持っておいて下さい』
そんな彼の声が、どこからか聞こえた気がした。
それら2つを握りしめ、涙を堪えながらもう一度、地下へと引き返した。
邪魔な引き裾を破り、歩きづらい靴を脱ぎ捨てる。
思えば、私はティルに何でもやってもらっていた。だから今度は……私が返す番だ。
鍵が開いたままの重い扉を開け、部屋のクローゼットを乱暴に開け放つ。昔、ねだって買って貰ったローブに着替え、ブーツに履き替えた。
数年間会えていない第一王女、つまり姉との写真が目に入る。小さいころは、城の中で遊びまわっていたのに……。
でも、これからどうすればいいのだろう。そう思った時、彼が持っていた紙切れを思い出した。
『脱出ルート』
紙の上部に大きく書かれたその5文字に衝撃を受ける。下には私の部屋の間取りと、その壁の1ヶ所に赤い線の入った図が載せられていた。
その場所をノックしてみると、図が示す意味がよく分かる。明らかに周りとは音が違った。つまり、この先に空洞があるということだ。
最後の最後まで、ティルに助けて貰ってしまった。自然と、我慢していたはずの涙が溢れてくる。
雫で濡れた紙切れとピンをローブのポケットに突っ込み、壁に向かって思いっ切り、王女とは思えない程の本気の蹴りを入れた。
疲れていたのか、少し眠ってしまっていたようだ。
ノナテージの町が一望できる、ギルド2階の窓の前に突っ伏していた。
久しぶりに夢に見た、思い出したくもない記憶。そして、誰にも知られたくない記憶。
それでも、自然と手がヘアピンに伸びてしまう。
十字と菱形の重なった、王家の紋章をあしらったピン。彼が託してくれた服に付けるピンを、鍛冶屋に頼んでヘアピンにしてもらったものだ。
一度外して、眺め、また留める。彼のことを忘れないように。