13.プロモーションなのです
目が覚めると私は、辺り一面真っ黒な空間の中にいた。一瞬、目を瞑ったままなのかと疑ってしまったが、自分の体だけはしっかりと見えている。
結局、私は死んでしまったのだろうか。足場が上から落ちてきて、頭に当たって……奇跡的に一命を取り留めた、何てことはないのだろうか。そんな淡い期待を抱いてしまう。
「ないよ」
声の主は、いつの間にか私の背後に立っていた。光を反射して輝く銀色の髪を靡かせる、赤い目をした女性。光源も風も見当たらないのだが。
「君は死んだよ。だから、ここにいるの」
「そ、そうですか……えっと、あなたは……?」
急に現れた見知らぬ人に、「死んだ」と宣告されても信じられない。というか、それ信じたくない私がいる。生きて、また実乃梨さんとチェスがしたいから。
「まあ、信じてくれないかもしれないけど……私は女神のテディ」
職業「女神」によってさらに胡散臭さを増しているが……でもさっき、しれっと私の頭の中を読んでいたような……。そうなってくると、信じざるを得ない。
じゃあ、やっぱり私は……死んじゃったのか。
「ここで一つ、提案があるんだけど……」
彼女は口元に人差し指を当てて、怪しげな雰囲気を漂わせながらそう言った。
「提案……ですか?」
「そう。異世界、行ってみない?」
そんなぶっ飛んだ提案を突きつけてくるテディさん。でも女神なら可笑しくはないのか……?
最近、そんな感じの小説が人気らしいが、私は読んだことがない。というのも、私の本棚にあるのは教科書等を除けば、チェス関連の書籍だけだ。
「チェスができるなら行ってもいいです」
それが異世界に行く第一条件だ。チェスが無い世界に行かなきゃいけないなら死んでやる。って私、もう死んじゃってたか。
ちなみに第二条件は、最低限度の生活を保障してくれることかな。と、憲法の一部からとって知的アピールをする。実際問題、私一人じゃお金稼ぎようが無いし。
「そういえば君、チェス好きだったね。流石に異世界にチェスがあるかは何とも言えないけど……なら、君にチェスができる魔法を授けるよ」
「魔法とかはよく分かりませんが、それならオーケーです」
どんな形であれ、チェスができることが分かり即答する。それなら、異世界に行っても楽しくやっていけそうだ。
「チェス盤を強く思い浮かべてごらん? そしたら、駒の動きを言ってみて」
テディさんに言われた通りにすると、私の目の前に、水色に輝く64マスに区切られた四角形と32個の駒が現れた。これだけでもびっくりしたが、「Nf3」と呟くと、右側のナイトがポーンの上を飛び越えて、独りでに左前に進んだのにはそれ以上に驚いた。
「普通の小学生が、魔法使いにプロモーション……何て面白いでしょ?」
「確かに、ポーンからクイーン並みの変化はありますね」
自身のポーンを相手側の最奥の列まで持っていくと、キング以外の好きな駒に変わることができ、これをプロモーションという。
相手の駒を取る時以外、前にしか進めないポーンでも、頑張れば最強のクイーンにだって成れるのだ。
「じゃあ、そろそろお別れだね。あ、これ渡さないと……ほいっ」
「わっ!」
テディさんがポケットから取り出し、こちらに投げてきたものを慌ててキャッチする。両手を広げてみると、そこにあったのは黒いルークのキーホルダー。
間違いない。私が実乃梨さんの誕生日にプレゼントしたものだった。
「一緒にいた女の子がね、泣きながら君のランドセルにこれを付けてたよ。意識を無くした後だったから、私の手元に来ちゃったけど……」
「実乃梨さん……ごめんなさい……」
私の目から零れた涙が、2色のキーホルダーを濡らす。最後の勝負が、よりによって私のミスで引き分けに終わってしまったことが、悔しくてたまらなかった。
でも、今となってはどうすることもできない。私は死んだのだから。制服の袖で涙を拭い、意を決して立ち上がる。
「私を……異世界に連れていって下さい!」
「覚悟はできたみたいだね。それじゃ、向こうに送るよ」
彼女がこちらに手を振るとすぐに足元の見えない床が抜け、体が空中に放り出される。底の見えない闇のトンネル。重力に身を委ね、新たな世界への期待を胸に、ゆっくりと目を閉じた。
「これで2人目か……次はどんな子にしようかな」