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学生服の少年少女は今日も前線で戦います  作者: 彩雨カナエ
Chapter.3 もう三将とは関わりたくない
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11.ステイルメイトなのです

 上履きと床が擦れて出るキュッキュッという音が、誰もいない静かな廊下に響く。足を止め、5年3組の教室の扉に手をかける。


「おはようございます」


 教室の扉を開けても声は帰って来ない。そりゃそうだ。登校時間まではあと1時間もある。早い時間に家を出発し、校門の前で、開錠される前から待機して教室に一番乗りするというのが習慣の1つになっていた。


 教科書とノートを机の引き出しにしまい、ほぼ空になったランドセルを後ろの棚に入れる。そして、愛読しているチェスの解説本を開き友達が来るのを待つ。今日は家に置いてきたが、気分次第では小さめのチェスセットを持ってくることもある。その日はずっと、先生を警戒しないといけないが。


 しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。私と同じように、2番目に来る人も毎日同じ生徒だ。ガラッと開かれたスライド式の扉の前に立っていた女の子は、こちらに手を振っている。


「おはよう、愛騎ちゃん」


「おはようございます」


 黒城(こくじょう) 実乃梨(みのり)さん。奇跡的に1年生の時から、つまり5年連続で同じクラスになっている、私の大の仲良しだ。そして、大事なチェス仲間でもある。

 確か2年生のとき、私がランドセルに付けている駒のキーホルダーを指差して「これなぁに?」と質問されたのが、親密になったきっかけだったはずだ。ちなみに、その駒というのは勿論白のナイトである。

 その後、実乃梨さんもチェスに興味を持ってくれて、今では私と同じくらいまで強くなった。


「ねえ、今日ってチェス盤持ってきてる?」


「あ、すいません。置いてきちゃいました……」


 何故か敬語癖がついてしまっていて、大親友の前でもそれが抜けることはない。最初の頃は実乃梨さんに「タメ口で喋る練習」をさせられたこともあったが、すぐに諦めてくれた。

 すると彼女は背中からランドセルを降ろし、中にあったものを引き抜き見せびらかしてくる。


「新しいチェス盤買っちゃった!」


「おお、折り畳みできる……しかもマグネット式ですか!?」


 物にもよるが、折り畳み可能でマグネット式のチェス盤はそれなりの値段はする。おこづかいを何か月分貯めれば買えるのだろうか。計算結果に絶望する未来が読めたので、やめておく。


「放課後、1回やらない?」


「いいですよ。容赦しませんからね」


「もちろん! こっちも本気でいくから!」


 放課後にチェス勝負をすると約束してしまった日は、どの授業も頭に入らなくなる。頭の中の盤で駒を動かし作戦を立てていたら、いつの間にかチャイムが鳴っていたなんてよくあることだ。


 そして迎えた放課後、私たちは学校からすぐのところにある公民館に移動した。本当は学校でやりたいのだが、安全地帯が未だに見つけられず、いつも仕方なくここで遊んでいる。


 実乃梨さんがランドセルから新品のチェス盤を取り出し、中にしまわれた白と黒の駒を2人で並べていく。マグネットのお陰で、駒達は盤上で綺麗に整列していた。


「この吸いつき感……たまりませんね」


「でしょ? 私、ハマっちゃって昨日6時間くらい駒をくっ付けて遊んでたんだよ!」


 その楽しみ方はちょっと理解しかねる。


「私が白ですね……えっと、これで」


 右側のナイトを手に取り、左前に進める。「Nf3」、私が一番好きな手だ。別に、得意だとか強いとかではない。ただ、ナイトが好きだから。


「また『レティ・オープニング』なの? 好きだね、それ」


 そう言って、実乃梨さんは黒いポーンを前に出した。何度もこの手を指しているのもあってか、対策は万全なのだろう。


「そっちがその気なら、私はこれでいきます」


 ナイトの横にポーンを動かす。たった2手でも、彼女に私のやりたいことが伝わったようだ。


「『バルツァ・システム』……これ使うの初めてじゃない?」


 そう、私が実乃梨さん相手にこの定跡を使うのは初めてだ。「バルツァ・システム」は「レティ・オープニング」が変化したもので、センターでの争いがより顕著になる。

 コンピューターやオンラインで対戦するときは普通に使ってきたが、彼女に対しては一度もない。というか、攻撃的な手を殆ど使っていない。


「ちょっと予想外だったけど……負けないんだからね!」


 数分後……。


「クイーンをここですっ!」


「愛騎ちゃん強すぎるよぉ……うーん、それじゃあ……あれ?」


 何か間違えてしまったか? でも、この局面で悪手であるとは思えないが……。


「あっ……」


 私の動かしたクイーンは他の駒と合わせて、唯一動ける状態にあったはずの黒のキングの周りを狙う形になってしまっていた。


「引き分け……だね」


 そう、「ステイルメイト」だ。チェックせずに、相手の全ての駒を動けない状態にするとステイルメイトとなり、引き分けで勝負が終わってしまう。負けそうになったとき、わざとこの形を狙って引き分けに持ち込む、なんて戦法も存在する。


 実乃梨さんはとにかく、私よりもルークの使い方が上手いのだ。チェス盤の角に潜む2つの城が一気に突っ込んできたら、防ぎようがない。

 だから、駒が減って動きの自由度が増す終盤戦にもつれ込む前に相手の陣形を崩す、というのが今回の私の作戦だった。


「すみません……私の不注意でした。いつもは、こんなことにはならないのに……」


「分かってるよ、もう。チェス終わったし、そろそろ帰ろ!」


「はい」


 帰る方向も同じ私達は、雑居ビルが道なりに並ぶ狭い路地を歩いていた。工事でもしているのか、工具の大きな音が聞こえてくる。外側には足場はあるが作業員がいないので、今の時間は内部の作業をしているのだろう。

 すると、歩きながら実乃梨さんが私の肩の辺りをちょんちょんと突いてきた。


「どうしたんですか?」


「ねえ、あそこの猫……何だか面白くない? ちょっと近づいてみようよ」


 彼女が指差す方向に目を向けると、道のど真ん中に白黒の猫がちょこんと座っていた。毛が白黒なのではなく、液体のように少しずつ模様が変化しているのに違和感を覚える。


「でも、あの猫何か変……あ、ちょっと待って下さい!」


 いつの間にか彼女は猫の方へ行ってしまっていた。それに気づいた猫は逃げようと、小走りでビルの壁に近づく。だが、意外と俊敏な実乃梨さんは見事に捕まえて、抱きかかえていた。その表情はとても嬉しそうだった。

 私も撫でてみようと、彼女に近づく。


「ガシャン!!」


 その時、鳴るはずの無い金属音が真上から聞こえた。誰も、そこにはいなかったはずなのに……。私が視線を上に向けると同時に、工事用の足場が外れた。


「危ないっ!!」


 咄嗟に、猫を腕の中に抱えた実乃梨さんを突き飛ばした。こうしたら、私に当たるのは避けられないと分かっていても。


 全身に走る、今までに感じたことのない程の衝撃。後頭部から背中にかけて金属の板が直撃したのだった。

 私の何倍もの重さがある足場とアスファルトに挟まれて身動きが取れないまま、意識が遠のいていく。


 ブラックアウトしかけの視界の先で、膝をついて崩れ落ちている実乃梨さんに、私はこう呟いた。


「最期ですから、言わせて下さい……」


 辺りの喧騒も、私の耳には届かない。彼女の姿も、殆ど掠れてしまっていた。


「今までありがとう……実乃梨ちゃん……」


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『学生服の少年少女は今日も前線で戦います』スピンオフ第1弾!!
『鍛冶屋を営む大男は今日も少しだけ働きます』
※「Chapter3-01.異世界では何の役にも立たない知識」までお読みになっている前提となっています。

彩雨カナエ Twitter @Rain_Nf3
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