08.血色のドレスの女
僕が「誰かいるのか?」と問いかけた後、森の中からの視線は感じなくなった。
覗きに来た変質者だったら、見つけ次第エリーが魔法を打ち込んでフィニッシュなのだが……。もしも、視線の主が僕達を狙うような強いモンスターだったら話は別だ。
「この辺りって、観光客多いの?」
「町からも結構離れてるし……更衣室とかの施設も無いから……あんまり来ないと思うよ」
ここに来るまでに誰ともすれ違わなかったことから、人間である可能性は低い。だが、ここまで上手く隠れるということは、知能は高いはずだ。警戒しておく必要があるだろう。
と、その時。
「きゃっ!」
バシャッという音がした方に目を向けると、海に入っていないのに何故かずぶ濡れのルナ。
「エリーちゃん……やめて……」
「私、青属性魔法だってできるんだからね!」
エリーが自慢げに、ルナに向かって魔法で水鉄砲を連射している。赤と黄属性以外の魔法も使えることには感心した。でもその行動にはがっかりだ。
「カズヤも、覚悟っ!」
その声と同時に、僕に向かって水の弾丸が放たれる。エリー、僕の特技を忘れたのか。
逆演算してみると、いつにも増して魔法の式が簡単なものだった。もしかして魔法使いなら誰でも覚えるような初級魔法的なものなのだろうか。じゃあ、全く感心しないのだが。
僕は手を前に突き出し、青く輝く逆魔法で水鉄砲を撃ち抜く。逆演算にも大分慣れてきた。
「カズヤ君……逆演算……できるの?」
「うん、まあ……」
そういえば、逆演算はかなり珍しい能力だってエリーが言っていたな。でも、確かあの時「今まで1人しか会ったことがない」と言っていた。誰なのか気になるから今度聞いてみよう。
「カズヤ君……ちょっと勝負しない?」
「勝負?」
ルナは片手を広げ、先程と同じように剣を出した。今回は1本だけど。
「逆魔法で……この剣を消せたら、カズヤ君の勝ち……できなかったら私の勝ち……ね」
「分かった」
僕は首を縦に振り、彼女が握っている緑の剣に意識を集中させる。エリーの魔法よりもかなり複雑なものだったが、逆演算はできた。だが魔法の式を読み取り、逆魔法化をしようとしたその瞬間……魔法の式が変化した。
再度、魔法の式を読みもう一度逆魔法化を試みるも、剣の魔法の式が目まぐるしく変化していて逆魔法を構築できない。
「……私の勝ちかな」
「うん、僕の負けだよ。魔法の式が定まっていないんだけど、どうして? 見た目は変わってないのに」
僕の質問を聞いたルナがクスッと笑った。そこまで変なことでもないと思うのだが。
「あのね……最初に逆演算した式を……そのまま逆魔法化すれば……消せたんだよ?」
「えっ?」
彼女の言っていることの意味が全く理解できなかった。魔法の式が変化したら、それに対する逆魔法の式も変化するはずだが……。
「例えば……魔法の式を『x』っておいたとすると……この『魔法の式の値』は?」
何か数学っぽい説明だ。魔法の式が「x」なら値はそのままだ。
「『x』だよね」
「うん……。じゃあ、魔法の式が……『x+n-n』だったら……どうかな?」
そしたら「n」が消えて、値は「x」なのでは……あっ。
「式は変わっているけど、値は変わってない!」
「そう……魔法の見た目は式の値に依存するから……。実は逆魔法も……値が同じなら打ち消せるんだよ」
さっき言っていた「そのまま逆魔法化すれば消せた」というのはそういうことか。ルナは式の値を固定したまま式だけを変え続けていたというわけだ。魔法って奥が深い。
「ごめんね……ちょっと遊んじゃって」
「いや、知らなかったから為になったよ。ありが……」
僕の言葉はガサっという背後からの音で掻き消された。振り返るとそこに立っていたのは、赤黒いドレスに漆黒のマントを付けた金髪の女性。その目は血のように赤かった。
どう見ても海に来る恰好では無いし、さっきの視線の主はこの人だろう。絶対に関わらない方がいいタイプの人だと、僕の脳が即座に判断を下した。
「貴様、名は何というのだ?」
その変質者はルナの方を見てそう言った。初対面で「貴様」を使っていることが、どうもしっくりこない。
「わ、私は……る、ルナっていい……ます」
「先程の魔法の剣、見せてもらったが二刀流とは驚いた。そこでだ、余と剣で勝負してみぬか? 勿論、当たる直前で止めるから怪我をすることはなかろう」
一人称が「余」なのか。それなら「貴様」も納得が……いや、いかないな。
今、覗いていたことをサラッと認めたようだが、なぜルナと勝負をするのか。剣の腕にかなりの自信があるのだろうか。
「別に……いいですけど……何も……渡すものなんて無い……ですよ?」
「うむ。特に何かを賭けるつもりは無い。余は純粋に、剣で勝負したいだけなのだよ」
ルナは「それなら……まあ」と不安そうな声で言いながら立ち上がり、両手を開いて2本の剣を作り出した。
それを確認したドレスの女性も右手を開くと、ルナのよりも少し長い深紅の剣が出現した。この人も魔法の剣を使うようだ。
「ちょっと、何してんの!?」
海で遊んでいたはずのエリーとアキが、砂浜に上がってきていた。そりゃ、仲間が変な人に絡まれていたら見に来るものだろう。説明するのも面倒なので、スルーすることにした。
「そこの男よ。開始の合図を頼む」
「えっと、じゃあ……始め!」
僕の合図と同時にルナがバっと飛び出し、女性の正面から突撃した。ルナが目が追い付かない程の速さで2本の剣を振っているが、女性はそれを全て1本の剣だけで的確に弾いている。
剣の本数といい、あの体力といいルナが有利だと思っていたのだが……。
「この人……強いっ!」
「貴様の力はその程度か! なら、そろそろ終わらせようではないか」
その言葉を言い終える前に、女性は一瞬にしてパッと姿を消した。
「あれ……消えうっ」
気づけば女性がルナの腕を背後から押さえ、喉元に剣を当てていた。姿を消しておいて純粋な剣の勝負と言えるのだろうか。
「負け……ました……」
それを聞いた女性が押さえていた腕を放すと、ルナは砂の上に崩れ落ちた。同時に、2本の緑の光も消えてしまった。
「その……あなたのお名前も……教えて貰っても……」
確かに、相手に名乗らせておいて自分が名乗らないのはおかしい。まさか「名乗りたくない程ヤバい人なのでは」とも考えたが、それなら呑気に人前に出てくることも無いと思う。
「そうだな、驚くなよ。余の名はグレイス=テケレズジーヌ=ルルリョグランヤ=キャリニー=エル=バツノシーニル……」
「あなたがグレイス=テケレズジーヌ=ルルリョグランヤ=キャリニー=エル=バツノシーニルなの!?」
名前、長過ぎませんか。そして、何故エリーはそんなにスラスラと言えるのだろうか。その驚きようからして、もしかして有名人だったりするのか?
だが、それに続く彼女の自己紹介は予想の斜め上を行くものだった。
「魔王軍第一騎士団騎士団長、そして魔王軍三将の一人のヴァンパイアだ」
先程までずっと人間として見ていたのだが、もはや人間では無かった。ヴァンパイアってあの人間の血を吸う……。しかも今、「魔王軍」って言っていたような……。確実に関わってはいけない存在だった。
「余が戦った中でもかなりの腕だった。貴様、ルナと言ったな、。覚えておこう」
そう言い残し、ヴァンパイアのグレイスは先程と同様に、一瞬で消えてしまった。
「ま、魔王軍三将だなんて……何であんなのが……」
そういえば、「魔王軍三将」という言葉は初めて聞いた。騎士団というのは昨日も戦ったのだが。
「その三将って何なの?」
「魔王軍三将っていうのはですね、魔王の側近の中でもトップ3の強さを誇るモンスターのことです。そして、あのグレイスというヴァンパイアは剣技にも魔法にも長けていて、魔王軍騎士団のトップでもあります。まあ、ちょっと変わっているところもありますが……」
アキが少し声を震わせながら、丁寧に説明してくれた。レグイドはグレイスの部下に当たるという訳か。ということはまさか、今のはレグイドを倒した僕達を殺しに……。
「……グレイスは人を殺しません」
「えっ?」
魔王の目的は人間を滅ぼすことだったはずだ。その側近であるはずのグレイスが人を殺さないなんて……。
「彼女はヴァンパイアですから、人間の血を吸う必要があります。そこで、自分の城に討伐にきた冒険者達の首に齧り付き、気絶する程度のところまで血を吸っては近くの安全な森に寝かせているそうです。別に、血を吸いつくして殺す必要はありませんから。何人かの冒険者がそう証言していますし、実際にグレイスによる人的な被害は何一つありません」
「そうなのか……」
自分が生きるために必要な最低限の分しか吸わないヴァンパイアか。魔王軍の中にも優しいモンスターがいるとは……いや、でも血を吸ってるのだから優しくはないな。トマトジュースとかで満足してくれたら良いのだが。