10.チェックメイトなのです
目の前の小さな女の子が僕を見つめている。当然、僕は小さい子の扱いに慣れていない。
「まあ、確かに暇だけど……」
「やった! じゃあ遊んでください!」
女の子は、僕達が座っていたところと通路を挟んで反対側の席にちょこんと座り、こちらを向いて手招きしている。僕は立ち上がり、女の子の向かい側に座った。丁度暇だったし、付き合ってあげてもいいか。
「それで、遊ぶっていうのは……」
「これです!」
彼女そう言って、僕達の間に置かれた小さなテーブルの端に右手の人差し指を置いた。
「ボード展開!」
その声と同時に、テーブルの上に18本の光の線が走り、64マスの見事なフィールドが形成される。これも魔法なのだろうか。
「チェスっていうんですけど……」
「ああ、ルールは分かるよ。やったことないけど」
一応、ルールについては申し訳程度に覚えている。だが、実際に触ったことは一度もない。
「えっ……」
どうやら、とても驚いている様子。チェス未経験ってそんなに驚くことなのか。
「チェス……知ってるんですか? 分かる人初めてです!」
違った。そうか、異世界でチェスのルール知っている人なんて、僕みたいに転生した人くらいだろう。あ、ということはこの子って……。
「もしかして……僕みたいに異世界転生した?」
「そ、そうです!! 同じ境遇の方に会えるとは!」
僕は偶然にも転生した直後にエリーと会ったけど、この子は初めて会ったようだ。魔法でチェスボードを作れる程だと、異世界での生活はかなり長そうだ。
「アキっていいます。『愛』に騎士の『騎』って書いて愛騎です……お父さんがとにかくナイト好きだったもので」
お互い、父には苦労させられますね。正直、8より1024の方が断然良いと思う。名前が数千二十四になるのは困るけど。
「でも、私も一番好きな駒はナイトなので、この名前結構気に入ってるんです」
あ、そうなんですか。何か申し訳ないです。
「僕はカズヤ。別に呼び捨てでいいよ」
「いえ、年上ですから……カズヤさんで」
何処ぞの女子高校生さんと違って、この子はとてもしっかりしている。エリーに礼儀でも叩き込んで欲しいものだ。
「えっと、手番は……」
この手のゲームは大抵の場合、先手の方が勝率が高い。勿論勝ちたいのだが、大人げないので後手を選択した。
「じゃあ私が先手ですね」
すると、32個の駒たちが一斉に出現した。僕の駒は藍色、アキのは水色だ。
「うーんと……ポーンをe4へ! あ、先に言っておきますがリザインは禁止ですよ」
その命令通りにポーンが指定されたマスに移動した。ゲームまでできるのか。魔法って凄い。僕の初めてのチェスは、まさかの駒を手で触らないチェスとなった。
リザインとはつまり負けを認めること。多分、「チェックメイト」って言いたいだけだと思う。
「ポーンを……e5かな」
ちなみにこの時の僕は、自信に満ち溢れていた。先を読むのは昔から得意で、過去に二人零和有限確定完全情報ゲーム(オセロ、将棋、囲碁、チェス等)で負けたことは一度も無い。
「ナイトをf3へ」
「それなら、ナイトをc6に移動」
それからお互い一歩も譲らず、盤上の駒は徐々に減っていった。この時点では互角だったのだが、アキの次の一手で僕の予想が狂い始める。
「んー。クイーンをf2に動かしてチェック!」
僕のキングを狙っているクイーンを取れる駒も、また間に挟んで防御できる駒も無く、仕方なくキングを横に動かす。
「予想通り……ナイトをe3へ。またチェック!」
「うっ……キングをc1にするしか……」
そして、開始からたったの10分で勝負は幕を閉じる。
「クイーンをe1へ! チェックメイトなのです!!」
僕のキングは味方のせいで逃げ道を失い、あっけなく詰んでしまった。ごめんね、キング。君のことは1週間は忘れないよ。
「えへへー。私の勝ちー」
自分より小さな女の子に、いとも簡単に二人零和有限確定完全情報ゲーム連勝記録を止められてしまった。無念だ。
この笑顔の前で、負けた言い訳などできるはずがない。
「あの……えっと……」
アキはもじもじしながら、何か言いたげな顔をしていた。
「どうしたの?」
「その……私をカズヤさんのパーティに入れてください!!」
まず、アキが即戦力となるのは確実だろう。確認しなくとも、ある程度の魔法は使えるはずだ。そして、小さい子を1人のまま放っておくのは、流石の僕でもダメだと分かっている。勿論、僕は考えられるうちの最善策を選ぶ。
「うん、大歓迎だよ」
「やったー! これからよろしくお願いします!」
「でも、アレにも言っておかないと……ん?」
さっきまで椅子にもたれかかっていたはずのエリーの姿が見えない。チェス中にどこかに行ったとは思えないし……。
「カズヤさん! テーブルの下で誰かが寝ていますよ! ぱ、パンツ見えてます……」
こうしてエリーは無意識のうちに、新たな仲間に痴態を晒したのだった。うん、このことは本人には秘密にしておこう。