09.時計と列車とJSと
エリーの返事を聞いたミアは肩に掛けているバッグから2枚の紙切れを取り出し、僕達に差し出してきた。
「それでは、こちらが4時ちょうど発の始発列車の切符になります。くれぐれも寝過ごしたりしないように」
そう言ってミアは一礼し、階段を降りていった。彼女から受けとった切符には「ノナテージ→ホルネ遺跡」と書かれている。あ、この町ノナテージっていうんだ。初めて知った。
それよりも気になったのは、時間を「時」で表していること。部屋の壁には確かに見慣れた時計が掛けられている。日本と時差はあるかもしれないが、「1日=24時間」という点は同じようだ。
ここで疑問が生じる。何故、時間の表し方が異世界間で一致しているのか。また、どうして時計という道具が存在しているのだろうか。
エリーから返ってきた答えはあまりにも突飛なものだった。
「私達が居た世界で捨てられたり壊されたものが『死んだ』判定されて異世界に来ちゃったんじゃないの? 少なくとも私はそう考えてるわ。大体その列車引いてるのは蒸気機関車だもん」
でも意外に正しい理屈かもしれない。日本には「九十九神」という「長く使った道具に魂が宿る」みたいな考え方があるから、「もの」が転生してもおかしくはないだろう。多分。
時計も蒸気機関車もそうやって伝わってきたと考えれば納得がいく。それにしても異世界の人、よく蒸気機関車の動かし方分かったね。
「じゃあ、私シャワー浴びてくるね」
そう言ってエリーは浴室に消えていった。
遂にやってきた、誰にも邪魔されない僕だけの時間。だが、ある重大なことに気づく。暇つぶしができないではないか。仕方なく、曲線作って楽しむことにした。
まずは媒介変数表示で「x=cos(4θ+π/2),y=cos(5θ+π/2)(0≦θ≦2π)」。うん、相変わらずリサジュー曲線はカッコいいね。この軌道で魔法撃ったらどうなるのかな。あ、自爆しちゃうか。
次は極方程式で「r=sin3θ」。正葉曲線はやはり可愛い。式がシンプルなのがまた良いよね。よく考えてみたらこれも自爆する軌道だけど。
だが、幸せな時間はエリーの一言によって終焉を迎える。
「あ、タオル忘れたあああああああああああああ!!」
折角、魔法の軌道を考えてたのに全部飛んじゃったよ。さらば、美しい曲線たち。また立式してあげるからね。
「カズヤ、ドアの上からタオル投げてくれない?」
「え、面倒だから自分でやって」
彼女にタオルを届けることで僕には何のメリットもない。よって、わざわざ僕が動く必要はないだろう。
「はぁ!? 裸のままそっちに出て行けと?」
「別に気にしないから、どうぞご勝手に」
「いや私が気になるから!!」
この硬直状態は10分以上続き、最終的に僕が挫折する形で終わった。次に同じことがあったら絶対に持っていかないと心に決めた。
だが、事故は起こるものである。
僕がシャワーを浴びて浴室を出ようとしたときあることに気づく。
「あ……タオル忘れた」
まあ、いっか。とそのまま出ていったらエリーの手から放たれたタオルが僕の顔面にクリティカルヒット。え、何か悪いことしましたか?
23時、エリーはベッドでぐっすり眠ってしまった。あと出発まで5時間あるが、このまま起きていることにした。目覚まし時計がない以上、寝てしまうのは危険だと考えた。寝過ごしたら交通費を請求されかねない。僕は例の暇つぶしをすることにした。
それから4時間が経過して午前3時。案の定、ベッドで寝ていたはずの彼女は床でうつ伏せになっていた。そういえば、ドスッて鈍い音がしてたな。あれ、エリーがベッドから落ちた音か。
普通に肩を叩いても絶対に起きないと分かっている僕は、背中をグッと強めに押してみた。
「う゛……すぱげってぃたべたぁい」
寝言よ、そう来たか。てっきりまた死人が出るかと思っていたよ。ちなみに、この後起きるまで同じことを4回やった。夢とはいえ、犠牲者は計3名。誰かは分からないけど、ご冥福をお祈りします。
宿泊費は前払いだったから、部屋の荷物を纏めてそのまま駅に行くことにした。扉を開けるとドアノブに、ミアから事情を聞いたであろう受付のお姉さんが作ってくれたお弁当が2つ掛かっていたので有難く頂戴する。一応、朝食付きであの料金だったからね。
駅のホームには、立派な蒸気機関車と客車が停まっていた。改札はなく、車内で車掌が切符を切りに来るらしい。毎朝改札にカードをかざしていたから何だか新鮮だ。
当然ながら車内は空席だらけだったので、僕達はクロスシートに向かい合わせに席った。エリーのことだから、窓の外を見ながら喋りまくるのだろう。
「まだ眠いから寝る。おやすみ」
ねえ、流石に曲線作り飽きたんだけど。え、本当に寝ちゃうの?
時計の短針が4を指すと同時に機関車の汽笛が鳴り響き、列車が動き出す。これ、物凄い騒音じゃないですかね。
発車から3分程で石の壁を抜けると、景色が一気に開けた。昼間とは違う姿を見せる夜の草原を走り抜けていく。線路から少し離れたところにはちらほらとモンスターの影が見える。流石に列車には攻撃してこないと祈りたい。
そんなことを考えながら車窓を眺めていると、右腕にちょんと何かが触れた気がした。
「あの、今……暇ですか?」
振り返ってみるとそこに居たのは、青い帽子を被った大人しそうな小学生くらいの女の子だった。