第一章 旅の三人 2
魔物は死骸を残さない。
ときおり、ドロップアイテムという価値ある何かを残すだけである。
だが、人は違う。確かに冷たくなてしまった身体を残し、この世を去ってしまうのだ。
冬の間に村の中で起きることは、全て村の中で片付けなければならない。
人間の死骸は神官の手により清められなければ、ゾンビやスケルトンといったアンデッドという種の魔物として蘇える。そして、仲間であったはずの村人たちを襲うのだ。
だから、自分たちの手で肉を焼かなければならない。
だから、自分たちの手で骨を砕いて川に流さなければならない。
この土地に生まれ、この土地で育ち、この土地に還れないことは、悲しいことだ。
三人の英雄たちに頼めば、街まで神官のテイラー様を迎えに行ってくれたのかもしれない。
ただし、村が無防備になることが代償である。村長も長老組も選ばなかった。選べなかった。
そんななか、魔法使いの彼が見せた慈悲。
それは大変に物騒で、即物的で、とてもありがたい魔法、≪火炎放射≫。
炎と言えば赤だと思っていた。けれども彼の炎は青白く、村のはずれに掘られた穴、そこに並べられた村人たちの遺体を骨を越えて灰にしてしまったのだ。
「たぶん、これで大丈夫ですよ……。それでもまだ怖いなら、灰を川に流してください」
精神力をありたけに使い果たし、ふらつきながら、彼は遺された者たちにそう語った。
肉は還せなかった。骨も還せなかった。だが、灰だけでも還せた。それで十分だった。
少年のカールが魔法というものに憑りつかれたのは、その日からである。
マイトはマイトで英雄の背中から何かを感じ取ったらしく、戦士の彼に、「剣を教えてくれ、ください!」とお願いした。雪の降る中、しっかりとした棒を手に、しっかりと棒を振っていた。
カールもカールで負けじと魔法使いの彼に、「魔法を教えてください!」とお願いした。
「ごめん、無理!」
カールの魔法使い人生、第一歩目の七転八倒であった。
「なぜですか? ギルムですか? ギルムなら、テイラー様から巻き上げたギルムが600ギルムほどありますが、これじゃあ足りませんか?」
600ギルムと言えば、半月に一度はロバと共に街から行商に来てくれる、モス爺の飴棒が六百本も買える大金である。飴棒とは村の子供には定番の甘いお菓子だ。壺の中に入ったトロリとした甘い蜜を、細長い木の棒に絡ませる、モス爺の機嫌と気分で量が増減する不思議なお菓子だった。
男の子は二周、女の子は五周。なにか納得のいかないお菓子だった。
それが六百本、子供が持つには多すぎるギルムに魔法使いの彼は驚いたが、負けじとカールはさらに驚かされたのである。
「沢山ギルムを持ってるんだね? でもね、魔法使いになるには、もっと沢山のギルムが必要なんだ」
「それは、どれくらい、ですか?」
「最低でも、五十万ギルム……かな?」
言う方も、言われる方も、辛くなる絶望的な金額であった。
カールはその膨大過ぎるギルムの壁を前にして、事実、肉体が打ちひしがれた。
ギルムの壁に夢が打ち砕かれる少年の姿というのは、見ていて気持ちの良いものではなかった。だが、魔法使いの彼は現実をカールに見せてくれた。厳しさも優しさだ。幻想に溺れて死ぬよりも、現実に立って生きた方が良い。
彼が、淡々と事実を告げる。
「まず、魔法使いのクラスを購入するには五千ギルム必要なんだ。それに、魔法を購入するにもギルムがかかる。≪火炎砲弾≫なら一万ギルム。そして何より高価なものは、魔法の理論や構造式が詳しく書かれた魔導書。これが五十万ギルム前後。合わせると大体で五十万ギルムになるね?」
「お、お安く……お安くには?」
「ならないんだ。しちゃいけないんだ。魔法使いの一派、星見の塔の戒律でね。魔法に善悪はないけれども、人には善悪がある。だから、魔法を伝える者はよく選ばなきゃならないんだ。あとはね、魔法の研究開発費用って物凄くかかるんだよ。ある魔法を考え付いた、よし、天に祈って魔法を購入だ。でも、なんだか思ってたのと違う、だから改良だ。すると、また新しく魔法を購入しなおさないといけない。こうした実験を繰り返すたびに研究費用が嵩む一方だから、どうしてもお安くはならないのさ」
棒切れを振るだけで良いマイトに、カールは殺意すら覚えた。
話を聞くほどに、農村の村人から魔法使いへの道とは、あまりに険し過ぎるものであった。
魔法使いへの険しき道、それは読み書きと数の扱いに始まる。
雪という手ごろな紙と、棒という手ごろなインクがあったので、まずこれをカールは学んだ。日常の会話には出てこない専門的な用語が多く、これを学ぶことで代筆屋という仕事に就ける。数の扱いが出来るなら帳簿係も出来る。
こうしてギルムの壁に一歩近づいた。
本来ならば、その言葉や数の扱いを教わること自身が有料なのだが、子供の熱意に負けた魔法使いの彼が優しく教えてくれた。
次に、世界を構成する十二の要素を学ばなければならなかった。
物質界の四大要素、火、水、風、土。
星霊界の四大要素、生命、精神、時間、空間。
神聖界の四大要素、光明、暗黒、秩序、混沌。
魔法とはこれら十二の要素を組み合わせ、一つの構造式とし、それを天にギルムを捧げ購入して、初めて行使可能なものだったのである。教わることにもギルムが掛かれば、魔法を購入するにもギルムがかかる。それは、あまりにも険しい道程であった。
「例えば火。これだけの魔法を購入しても意味はないんだ」
「なぜでしょうか!? 魔法師匠!!」
「そうだね、燃え盛る炎を魔法で出したとしよう。その後はどうなるかな?」
頭をグルングルンと回転させると、カールの頭の中に答えが浮かんだ。
「足元に落ちて大火傷します!」
「うん、その通りだ。そこで、火に風を混ぜる。するとどうなるかな?」
「……≪火炎放射≫だ!! 魔法師匠!! ≪火炎放射≫の完成だよ!!」
「それじゃあ、そこから≪火炎砲弾≫を作りあげるにはどうすれば良いと思う?」
またもや頭をグルングルンと回転させるカール。
物理的にも回り始める姿は、師の笑いを誘った。
その場にある火を撒き散らすのは簡単だ、火を生み出しながら風で撒き散らせば良い。
だが、遠くで火を撒き散らす方法となれば極端に難易度があがる。
火も風も、放っておけば勝手に散っていってしまうものだからだ。
「≪火炎放射≫を秩序で作った殻に閉じ込めて投げつけます。そうすれば、ぶつかったところで≪火炎放射≫が発生して爆発します。火自身にも秩序を加えて、魔物以外は焼かないよう式に組み込めば、魔物以外は傷つけないで済みます」
「…………え?」
魔法の師匠がカールの答えにうろたえた。飲み込みが、少しばかり早すぎた。
秩序という形而上の存在を掴みとるには、通常、数年の時を要するものだった。
まだ頭の柔らかい子供にとって、形而上も形而下も、どちらも同じものだった。
「間違い、ですか?」
「いや、正解なんだけど……参ったな。まさか改良した僕の≪火炎砲弾≫の構造式を当てられるなんて。そういえば、サンジュアルジャンを退治したときに使ってたんだっけ。魔物だけに効くようにって……あれだけの爆発でも人には無害なんだよね。自分で作っておきながらだけど、不思議な魔法だよ。不思議だからこそ魔法なのかな?」
飲み込みが早く、手ごたえがあれば教え甲斐もあるというもので、一冬だけの弟子カールは魔法使いの彼を師匠として二か月ほどの手解きを受けたのであった。いつか、お金持ちになったその日のためにと……。