第一章 旅の三人 1
それは、風が唸る日のことだった。雪の白も濃い日のことだった。
冬という季節は白い色と仲が良いもので、地面が白雪に隠されるなんてことは当たり前のことであり。それは子供たちにとっては有難い玩具であり、大人たちにとっては有難くない仕事の邪魔ものであった。
雪も過ぎると、せっかく育ててきた畑の土に良くない影響が出る。
雪は強かった。なにをしてくるわけでもない。けれども、人は雪に勝てそうになかった。
山間の名も無き小さな農村でも、それは同じことである。
小さいからこそ、むしろ雪害には悩まされの毎年であった。
近くの街までなら、歩いて昼間の四分の一の距離。一日で行って帰ってこられる距離だった。
だがそれも他の季節に限る。細い山道が雪化粧で姿を隠してしまえば、どこが道か、どこが川か、どこが崖かも分からない。足に絡みつく雪は重く冷たく、その脚を凍らせる。
近くの街まで昼間の四分の一が、半日、一日、運次第では一生の距離に生まれ変わる。
それが、冬という季節。それが、雪の白というものであった。
子供達には楽しい玩具で、大人達には恐ろしい怪物であった。
冬の間に村で起きる全てのことは、村の中で全てを解決しなければならない。
それは、衣食住に始まり、病気や災害、魔物の相手を含めてのことであった。
そこでノルデン王国の村々には、冬の間の生活の世話を代価として、冒険者たちに逗留してもらう慣習が存在していた。
人は雪に勝てないが、魔物たちはときおり雪にも勝利してしまうのだ。
そんな、いざという時のために、生活の世話を対価として冒険者に逗留してもらう。そんな慣習がいつの間にやら出来ていた。長々と続くノルデン王国の、いつ頃から始まった習いかも分からない慣習であった。
これは冒険者にとっても有難い話である。
なにせ、どこもかしこも一面の雪景色。そんな中を好んで出発したがる冒険者は少ない。
雪は強く、魔物も強い。冷たくかじかんだ手で握った剣は、いつもの力を発揮できず、凍え震えた手で引かれた弓は、矢をどこに飛ばすかも分からない。
魔物だけでも強敵だというのに、雪までも相手にしろとなれば無理難題もいいところ。
街中で身銭を切って冬を乗り切るか、村の中で生活の面倒を見てもらうか、これは冒険者たちにとっても悩ましい問題であった。大抵は、好みと実力と所持ギルムで決まる。街の中にありながら、遊ぶ金が無いというのも中々に辛いものだ。
こうしてカール達の住む山間の村に、今年は三人の冒険者が逗留してくれた。
逗留するのが慣習なら、彼等の冒険譚に子供たちが目を輝かせるのも慣習だった。
戦士の大男は、そのいかつい風体に似合わず言葉がスラスラと流れ出る男で、子供達の耳を大いに喜ばせてくれた。
魔法使いの細身の彼は、そんな戦士の大男の話に尾ひれが付き過ぎて、正体不明の大法螺話になるのを止めてくれた。
狩人の彼は寡黙で、言葉で多くを語ることは苦手だったけれど、楽器を弾き鳴らすのは得意だった。
カール、マイト、リーベレッテにとっても、その年は大当たりの一冬であった。
見上げても見上げても、その先端が見えない石壁があるという。「嘘だぁ」と子供達。
どれだけ眺めても、向こう岸が見えない大きな池があるという。「嘘だぁ」と子供達。
南へ南へ旅を続けると、冬でも雪の降らない土地があるという。「嘘だぁ」と子供達。
「いや、全部がホントだぞ? 坊主ども」
「うん、残念だけど本当なんだよ。今日は嘘を吐かないから困ったもんだ」
南へ南へ旅を続けた三人は、そこで強敵である夏と出逢った。
冬でも雪が降らないほどに寒くならない代償は、夏には日陰でも汗の止まらない太陽。
その土地に住む人々が言うことには、「まだまだこれから暑くなる」ときたものだから、三人は揃ってその土地から逃げ出した帰り道らしい。次は北へ向かい過ぎたのだと極端な三人旅であった。
子供たちは、「嘘だぁ」と連呼しながらも、先を、もっと先をと貪欲に求め続ける。
大人たちは、もはや土地に縛られてしまった自分の身を想い、話半分に求め続ける。
あまり流血や暴力の話を好まない女性たちは、狩人の彼が紡ぎだす音の色に酔いしれて、可憐なドレスを身に纏い、豪奢な舞踏会を頭の中で開催していた。踊るダンスは村祭りのそれであったが。
そんな、当たり年の、とある一日のことだった。
村の中の道が白い分には冒険者が泊まる村長の家まで向かうのも、それ程に大変なことではなかった。だが、村の中の空まで白い日には、少し辛い。さらに風が強まり吹雪となると、これはもう子供達にとっての大冒険だ。だから親が止める。
カールは家のなかで大人しくして、新しい話を聞けないことに寂しさを感じながらも、昨日聞いた冒険譚を繰り返し思い返しては楽しんでいた。
高い高い石の壁、大きい大きい塩水の池、暑い暑い空の日差し。
頭の中のそれは実態と程遠いものであったが、面白ければそれで良かった。
たとえば、三つの目を持った、白い毛をした大きな猿。
その大きな牙は子供を食べるにはちょうどよく、大人を食べるのにもちょうどよい。――夢想の中の化け物が、その日、村を襲った。
空も、大地も、その合間も、全てが白に包まれて、見張り番が魔物を見つけることに遅れた。
ようやくにして見つけた時には遅かった。激しく警鐘を打ち鳴らせども、ゴウゴウという吹雪の鳴き声がそれを虚しくも掻き消す。
村の壁の一角が破られて、白い魔物の一群は既に侵入を果たしていた。
鐘の音すら掻き消す吹雪の鳴き声は、大人の悲鳴すら簡単に掻き消す。
気が付いたときには手遅れに、雪崩のごとく白い大猿の群れが村を襲い、飛び出した三人の冒険者たちが、それぞれに白い大猿を迎え討った。
何事かあれば村長の家に迎え。その言葉だけを頼りに逃げ惑う村人たち。
それを追い駆ける三つ目の大猿。カールの短い足は、半ば雪に埋もれながらも、必死になって走った。だが、白く大きな猿にとって、雪の高さなど関係しなかった。
五か十か、大猿の一群がカールの一家を襲い、そして、紅蓮の業火に飲み込まれた。
魔法は、いつだって子供たちを喜ばせる最高の玩具だった。何せ爆発するのだ。何度もお願いして見せて貰った≪火炎砲弾≫。その連撃が吹雪の中を貫いて、轟音とともに白い世界を赤く染め上げた。
真白の世界が赤く塗りつぶされる光景に、思わず見とれ立ち止まったカールは、その首根っこを父に掴まれて、引き摺られるようにして村長の家まで連れていかれた。
村長の家の前では大男の戦士が待ち構えており、なぜだかマイトも棒切れを片手に待ち構えていた。
「子供はまた作ればいい。大人から入れ、子供はここに残せ」
なんて無茶苦茶だと思いながらも、村長の家もまた村人全員が入れるほどの広さではない。その冷徹な判断に大人たちは従う他なかった。「そうか、なら契約はお終いだ。俺たちは誰も守らない。三人だけで生き延びることにしよう」と脅されては従う他なかったのだ。
村長の家の屋根の上、魔法使いの彼が、何発も、何十発も火炎の砲弾を放っていた。吹雪を貫き、白い闇を切り裂き、轟音が一つ鳴るごとに白い猿の群れが消えた。
昨日、楽器の弦を弾きならしていた指が、弓の弦を鳴らすごとに、静かに一匹ずつ、大猿たちはその眼の一つを抉り貫かれて死んでいった。
戦士の彼が大剣を振るたびに、必ず一匹の大猿が斬り捨てられ、ときには横薙ぎに複数の大猿が斬り捨てられた。
そんな彼等の姿は、まさしく冒険譚のなかから飛び出してきた英雄そのものの姿であった。
大猿の数は解らない。けれど、村の中央に位置する村長の家にまで辿り着けた村人たちに被害は出なかった。被害と言えば、外に放り出され、身を寄せ合っていた子供たちの霜焼けくらいなものである。
魔物。サンジュアルジャン。群れ単位で発生する大陸北部特有の魔物であり、彼らに襲われた村はまず助からないのだと、後々になってから知った。時には、ちょっとした街でさえ滅ぼす恐ろしい魔物だと神官のテイラーが春になってから調べ上げたのだった。
十は居たと思う。五十は確実に。もしかすると百を数えたのかもしれない。
それをたった三人で片付け、さらには村を救った大英雄たち。けれども、その顔は少しばかり悲しげなものだった。被害は、出た。死人が、出た。お話の中の英雄たちの光に隠された、影のなかの血の流れを、その日、カールは見てしまったのである……。