序章 灰白色の城塞都市、ノイスカステル 7
月は、凍えるほどに美しく輝くという。
カールが作った無粋な光が消え去ると、女神ノワールの恩寵である月光が、静かに部屋に降りたった。明り取りの窓から姿をのぞかせる月はたしかに美しく、カールの心を惑わせる。
儚い銀は、太陽の下よりも、月明かりの下でこそ輝く花であった。
良く言えば貴族の傍流。普通に語るのならばお手付きのメイドの血筋を引いた少女の髪は銀色を見せ、青い月の光の下では、男を狂わせる何かを秘めていた。もしもこれで口元から涎を垂らしていなければ、カールの心もどうにかなっていたかもしれない。
右隣の寝台にはリーベレッテが、左隣の寝台にはマイトオストが泥のように眠っていた。
一つ前の街から昼間の半分を歩きづめ、残る半分はノイスカステルに捧げ切り、身体はクタクタに疲れ果てていたのだろう。明日から始まる訓練学校のことを思い、ただ、興奮だけで動いていたらしい。
左右の寝息をしっかりと確かめてから、カールは顔の左半分を覆った眼帯代わりの布切れをほどき始める。そうして解かれると、ようやく冷たい空気に晒された肌が、心地よく感じられた。
旅に出て良かったと思える、数少ない幸せの一つであった。
故郷。山間の名も無き村に住んでいた頃には、四六時中、この布を着けさせられていたものだった。慣れはした。だが、鬱陶しいことには変わりなく、せめて眠りに就く時くらいは外したいと、不満を胸の内に抱え続けていたものだ。
火傷の跡か、病気の跡か、とにかくそのように見せて隠し続けた布切れの下の左眼は、呪われていた。それは、神の呪いであるという。知りたがり過ぎた魔法使いが、神の領域を侵した罪の証だという。ならばいっそ、「聖書のように焼いてくれれば良いものを」とカールが呟いたところで月光のノワールは応えない。
カールの左眼に宿った紫紺の魔眼、≪天座主の瞳≫。
それは、この世で最も忌まわしい魔眼だとされている。
誰が一番と定めたのかは知らないし、他の魔眼と出逢ったこともない。ともすれば、この世で最も忌まわしい魔眼とは、複数あるのかもしれないとすらカールは考えていた。
ノイスカステルまでの道中、幾度となく天下無双や世界最高を見てきたものだ。唯一、世界で最高だろうと思えたのは、このノイスカステルの灰白色の石壁のみあったが、石壁の高と己の魔眼を比較するのはおこがましいというものであった。
いわく、この魔眼は人間の秘密を暴き出してしまうものらしい。
いわく、この魔眼は世界の秘密を暴き出してしまうものらしい。
いわく、いわく、いわく……。
山間の名も無き小さな村には手に余る、そんな魔眼であることだけは確かであった。
「そんなに大したものでもないんだけどね……」
右隣の寝台で涎をダラダラと垂らし、朝には一生懸命に隠すことになるだろうリーベレッテに紫紺の輝きを向けたなら、確かに彼女の秘密を暴き出してしまう。
・ステータス情報
名前:リーベレッテ 年齢:15 性別:女性
レベル:1 クラス:神官 アライメント:光/中庸/善
生命力:13/13 精神力:28/28 状態:睡眠中
筋力:8 体力:11 敏捷性:12 知覚力:14 魔力:22
ギルム:14,312
スキル>> 神聖魔法
タレントスキル>> 誘うもの
彼女の能力が解かる。レベル、クラス、スキルにギルム。これだけ解れば悪事には使えるだろうが、そこまでだ。見た者を傷つけたり苦しめたり出来ない。これの何処が、この世で最も忌まわしい魔眼を名乗る資格を持つのか、それを持たされた当人であるカールですら首を傾げるところであった。
忌まわしいというなら、リーベレッテの持つ≪誘うもの≫の方が余程に忌まわしいスキルであった。尊き血筋を現わす銀の輝きに、月光に映える可憐な花。さらに、無力な少女の身が加われば、それは立派すぎるほどに忌まわしい呪いであった。
カールは小さな頃を覚えている。髪が綺麗な可愛い女の子。ちょっと我儘で、オシャマで、意地っ張り、あとはモス爺に気に入られていた。たったそれだけの女の子だった。
リーベレッテの全てが一変したのは、少女が女性としての芽生えを始めたころ、≪誘うもの≫が目覚めた。そして村中の男達を魅了してしまったのだ。
リーベレッテに男たちから向けられる視線は、恋情と情欲。
リーベレッテに女たちから向けられる視線は、嫉妬と憎悪。
男たちがリーベレッテを見詰めるとき、女たちは男たちを見詰めていた。意中の男性が他の女の方を向いてしまうということは、大変に辛いものらしい。彼女の居場所は、男の中にはもちろん、女の中にも無くなってしまった。
そんな未成熟な乙女の心に突き刺さるのは、無思慮な視線の数々。
男であれば嬉しいはずのそれも、か弱い女の身にしてみれば呪いに他ならず。
そうして彼女が村の外れで落ち着けそうな場所を探していると、神に呪われた子として既に独りぼっちの先輩であった少年と自然のうちにであうことになる。こうして独りぼっちが二人ぼっちになった。
カールがリーベレッテと親しくなったのは、その頃からということになる。
独学で魔法を学び続けていたカールは、リーベレッテの≪誘うもの≫に抵抗できた数少ない男性の一人だった。あとは、街の神官のテイラーさまくらいのものである。
そして、カールは独りぼっちよりも辛い、二人ぼっちの時間を過ごした。
≪天座主の瞳≫には、リーベレッテの苦しみの元凶がハッキリと見えていた。
けれど何一つ出来ることが無かった。
見えなければ苦しむことも無かった。
この世で最も忌まわしい魔眼とは、カール自身にとって最も忌まわしい魔眼だった。
それだけでも十分だというのに、二人ぼっちの世界にさらに乱入してきた馬鹿が居た。
それは、カールの左隣で眠る馬鹿である。
・ステータス情報
名前:マイトオスト 年齢:15 性別:男性
レベル:1 クラス:戦士 アライメント:光/秩序/中立
生命力:30/30 精神力:8/8 状態:睡眠中
筋力:18 体力:18 敏捷性:14 知覚力:13 魔力:2
ギルム:28,297
スキル>>
タレントスキル>> 英雄幻想
嫉妬と友情の狭間で苦しみぬいた魔力2の馬鹿が、リーベレッテを賭けて決闘を申し込んできたのだ。こうして随分と賑やかになり、さらにカールは苦しむことになった。
それは、「マイトの恋愛感情は偽物なんだよ」と二人の親友に向かって告げられる程に、カールという少年が残酷ではなかったからである。
かつて魅了された魔法。少年の末路に待っていたものは、無力な魔法と呪われた眼。
初恋の少女の苦しみを、見せつけられながらに救えない、無力な魔法と呪われた眼。
・ステータス情報
名前:カールグスタフ 年齢:15 性別:男性
レベル:2 クラス:村人
生命力:22/22 精神力:274/274
筋力:13 体力:15 敏捷性:20 知覚力:25 魔力:87
ギルム:35,538
スキル>>
目蓋を閉じさえすれば誰にでも見えてくる自身のステータス。
だが、他人のそれが見えてしまうということは少年にとっての苦しみであった。秘密は秘密であるべきだった。知りたがり過ぎた少年への神罰は、見たくないものを見せつけられる、神に呪われた魔眼であった。
きっと、この世で最も忌まわしい魔眼は複数あるのだろう。
それは、本人にとって最も忌まわしい魔眼になるのだろうとカールは考えていた。