第二章 教官の試練場 7
カールとリーベレッテの二人旅が始まったころは、雪解けと程遠くはない季節。土は随分と沢山の水を含んでぬかるんでいた。ぬかるみに足を取られないように、二人はその一歩一歩を大地に刻み付けながら歩いた。リーベレッテの足跡をしっかり残しながらの旅は続いた。
山間の名も無き村の他に人間の社会をまったく知らなかった二人。
まさか、街に入るのにもギルムがかかるとは思いもしなかった。
仕方なく支払い、街のなかで宿を探し始めると、さらに困惑した。一つ一つの宿で値が違う上に扱いも違う。田舎から出てきた二人向けのボロ宿に泊まると、寝具の中では添い寝してくれた蚤やシラミが優しく抱き着いて来てくれて、二人で酷い目にあったものだった。
さらに良心的な宿では、人攫いの紹介までもしてくれた。子供の二人旅、銀の髪をした美しい少女と、おまけの眼帯を着けた下僕。寝付いたところをガチャリと起こされ、踏み込んできた男たちはカールの無詠唱による魔法によって吹き飛ばされた。
リーベレッテという輝く銀の髪、宝物を共にしながらの旅の意味をカールは思い知らされた。
それから、村と街の違いについてカールは思い知らされた。まず、世の中の理屈がとても違った。吹き飛ばした男たちは、「ただ部屋を間違えた」だけの被害者らしい。これから衛兵にこっぴどく叱られるそうだ。それから、修繕費用を主人には笑顔で請求された。
もちろん、快くカールは支払った。それから、どうして鍵のかかった自分たちの部屋に、彼等が都合よくも間違えて入れたのか尋ねた。だが、宿の主人は知らぬ存ぜぬとなかなか口を割らなかった。終いには衛兵を呼ぶと口にしたので、もう二度と口を割る必要がないように手伝ってさしあげた。
上の歯は骨の一種。下の歯も骨の一種。横の歯も骨の一種。だから、その全てを骨で繋げた。上も下も横も全て一つの歯になったなら、その口からもう二度とくだらない言い訳が紡ぎだされることも無いだろう。
なんだ、自分の旅の用意はとても正しかったんじゃないかとカールは安心した。
ここは町だ、村ではない。つまるところ、容赦すべき友も居ない。カールの魔性が剥き出しにされ、嗤っていた。――災いを、自分には関係の無い災いを望み続けていた彼の願いが、ついに叶ったのだ。
だが、リーベレッテは逆に顔を蒼褪めさせていた。
彼女は村から逃げ出し、街の雑踏の中に隠れ、自分にできる仕事を探しながらノンビリと旅の路銀を稼ぐつもりであった。ただし、そんなに都合の良い仕事などなかなかに見つかるものではなく、カールのギルムに頼りきりではあったが。
だが、自分という存在がカールにまで脅威を与えたその事実に、彼女の方から真実を語り始めた。こんな危険を呼び込む予定では無かったのだ。
彼女の思い描いていた旅はもっと牧歌的なものだった。
「ごめんなさい、カール」
「なにがさ? 悪いのは向こうだよ?」
「違うの……悪いのは、きっとわたしなのっ!」
銀の髪を振り乱すその姿は、初め目にするリーベレッテの顔であった。
悲しみとも違う、怒っているとも違う、カールには理解の及ばない、なにかの昏い感情。
「なにがあったのさ、はっきり話さないのはリーベレッテらしくないよ?」
「あのね、聞いてくれかな? そして、わたしを見捨ててくれないかなっ?」
そうしてリーベレッテが口にした言葉は、驚きだった。
「カールが知らない話。去年の秋のことなんだけど、わたしにご領主さまの館に奉公にあがるよう勧めがあったの。そうしたらマイトが怒って、麦だけじゃなくて女まで寄越せって言うのかって……。飛び火って言うのかな? マイトの怒りが村中の男の人みんなに燃え移って、ご領主さまに叛旗を翻せって……。それで、わたしは村を逃げ出したの。カールにくっついて、そのまま逃げ出したの。ごめんなさい、ずっと隠してきて……。ずっと頼りにしてきて……」
あまりにも驚き、その話が可笑しくて、カールは嗤っていた。
彼女は自分の為に旅に出たのではなく、村を守るために逃げ出してきたのだ。
リーベレッテに魅了された男たちの炎の熱が、カールには手に取るように分かった。その怒りは、人攫いが飛び込んできたときのそれで、宿の主人が口を割らなかったときのそれだった。
「あの人達は、ご領主さまのお使いなんじゃないかなっ?」
「なら、礼儀正しくまずはノックをするべきだったね。女の子を口説きたいのなら、まずは口で話すべきだよ。ご領主さまの館の寝台に横になり、股を開いておとなしく寝てろってさ……」
貴族の傍流の傍流になるのやら、お手付きのメイドのお手付きのメイドの血筋になるやら。
それはとてもとても興味深い話であったが、カールには試させるつもりなどなかった。
「カール。きっとね、村ではカールと私が駆け落ちしたって話になってると思うの。わたしは、ご領主さまのもとに素直に向かうから……」
「リーベレッテがご領主さまのもとに向かうから、先に領主を殺しておけって? わかったよ、そうする。そうしよう。きっとそれが良い。これはまた……とっても面白くなってきたね?」
カールはニッコリと、心の底からの笑みを浮かべた。
災いがあった、敵がいた、なら、すべきことはただ一つだ。
複雑だと思っていた自分の心が意外にも、とてもとても単純であることにカールは驚いたくらいである。ゴブリンと領主の区別さえつかない程に、心は滾っていたいた。そもそも奴らに違いなどあるんだろうか?
「カール!! 冗談じゃないのよっ!? 相手はご領主さまだって解らないのかなっ!?」
「解かってるよ。でもね、僕の三人の師匠たちなら必ずこうしたと思うんだ。見たこともない、会ったこともない、そんな奴に仲間の一人を差し出すくらいなら、三人揃って戦って死んだ方がマシなんだよ。きっと、マイトも同じ気分だと思う。領主が出てこようと、王が出てこようと、きっとそうした。だから僕だってそうするよ?」
「カール!! 解ってよ!!」
「解かった。それじゃあ、これから先の僕は人攫いだ。リーベレッテを力尽くでノイスカステルにまで連れて行く。村のために犠牲になるのは一度で十分。二度も三度もリーベレッテにつらい思いなんてさせない。それにさ、リーベレッテを犠牲にした村で、みんなが幸せになれると思うの?」
「だって……だって!!」
「ノイスカステルは大きな街だ。それに、王族が直接支配する直轄地だ。そこまで逃げ切れば、いくら領主でも簡単には手を出せない。さらに神官になれば神殿が守ってくれる。さらに冒険者になれば冒険者ギルドが守ってくれる。リーベレッテはとっても正しい判断をした。これで誰も血を見る必要はないんだ。力が足りないなら、僕らが幾らでも貸す。きっとマイトも動いているはずだよ」
「マイト、も?」
「マイトも今頃は頭を冷やして、慌てて走ってるはずだ。あれでも村長さんの息子だよ? きっとリーベレッテのために動いてる。そのうち大金をもって現れるんじゃないかな?」
リーベレッテの姿は領地の中を西へ東へ、北へ南へ、狩人の師匠の教えが役に立った。
雪解けとともに動き出した冒険者たちにお願いした。銀色の髪をしたとっても可愛い娘を見たという話を、ただ立ち寄った酒場でしてもらうこと。ただし、領地のなかの色んな街の名で。
なんとなく冒険者の方が察してくれたところもあった。ノイスカステルに着いてから解ったことになるが、冒険者とは基本的に貴族が嫌いなものであり、法螺話は大の得意だった。
金色の髪の少女を見かけたなんて大法螺話まで聞こえはじめて、領内は大混乱だ。
最悪だったのは、女装した侍女のカールと男装した貴族の騎士リーベレッテ様の姿をマイトに見られたことだろう。腹の底から笑われたので、ちょっとした血を見る喧嘩になった。
リーベレッテの爪が二人の顔に二人に突き刺さるようになったのは、それ以来になる。
†
大冒険の果てにたどり着いた城塞都市ノイスカステル。神官さまに感謝されるどころか、むしろ感謝を強いられているのはなぜだろう。カールには、とんとその理屈が解らなかった。
神官さまの仰ることだ、きっと女神さまの尊い教えが背景になっているに違いない。
ちなみに、神官が堕落しきると背信者という珍しくも特別なクラスになれるそうだとカールは耳にしていたのだった。




