序章 灰白色の城塞都市、ノイスカステル 2
灰白色を越えた先に溢れていたものは多彩なる色の波。
人にも色があり、建物にも色があり、露店にも色があった。
もちろん、三人にも色はある。ただしそれは自然の風味をそのまま活かした色味である。
麻糸を織った服は麻の白。
木綿糸を織った服は木綿の白。
野ウサギの皮をなめして作られた、冬用の防寒着は野ウサギ色をしていた。
山間の名も無き村でよく見る色といえば、木の葉と草の緑、大地の茶、石の灰、あとは空模様くらいなものである。あとは花の色が少々。だが、花の命は短い。
カールは色彩という言葉を知ってはいたが、なるほどこういうものなのかと右目で眺め、色というものを初めて心の底から楽しんだ。
赤なら知っている。夕焼けの色だ。夕焼け空を身に纏っている歩く人がいた。
青はもっと知っている。晴れた日の空の色だ。けれど、こんなに深い青は、花にしか見たことが無い。
リーベレッテの瞳からすると、街がお花畑に見えているんじゃないだろうかと考え横顔を覗いてみると、ちょっとばかり複雑そうな顔をしていた。これが乙女心なんだろう。
明日はノイスカステルだと意気込み着てきた一張羅のオシャレの服が、露店の幌になっている布地にすら鮮やかさで負けていたのだ。カールでさえ分かる苦い顔色が見られた。
マイトの瞳に映るのは、鮮やかな布地よりも食い物だったらしい。そもそも目よりも鼻の方が強い彼のことだ。花よりも腹が大事な男であった。さっそく腹の虫が芳醇な匂いを嗅ぎ分けオネダリを始めるのだが、『欲しがりません、稼ぐまでは』と三人で誓った約束をさっそく破るわけにもいかない。
リーベレッテは新しい服を諦め、マイトは肉汁滴る串焼肉を諦め、カールはカールでのんびりとした観光の時間を諦めた。一番に大事なものは職と食だ。それは、旅のあいだに決めた三人の約束事だった。
使えるギルムは有限だし、路銀のギルムを使い果たしてしまえば人生を使い果たしてしまう。
旅の間の税、税、税の連続は、三人の寿命を削る思いであった。
領主という生き物が、命を啜る化け物かなにかに思えるほどに幾度となくギルムを啜られた。
ノイスカステルの通行税が無料と聞いた時には、三人そろって胸を撫でおろしたものである。
買い物をしない客にも露店の主人たちは気前よく、冒険者ギルドへの道筋を指さしで教えてくれる。
「あっちの方。解らなくなったら、また別の人に聞けば良いさ」
「ありがとうございます」
街の人間と、田舎から出てきた人間では着ているものからして違った。
特に、身体の下半分を見ると、その違いがよく解るものらしい。
「ノイスカステルは石畳の道だろう? ズボンに泥跳ねがついてるなんてことは珍しいのさ。それから一つ注意だけど、ノイスカステルは清潔な街だ。だからね、野宿や立ち……おっと、お嬢さんの前で失礼。ようするに生活するために必要な汚いことをすると、すぐに衛兵が飛んでくるから気をつけるんだよ? それから牢屋に入れられて義勇兵になれって言われるのさ。前途ある若者には酷な話だよ。逆に言えば、義勇兵になりたければ野宿をすれば済むわけだ。ある意味では楽な話だね。この季節はまだ冷えるから、風邪になる前に見つけて貰えると良いけどね」
スラスラと言葉が流れるように出てくるのは、それだけ田舎者の相手に慣れているということなんだろう。こうした店主たちの優しさに導かれ、冒険者ギルドはもう目と鼻の先だった。
の、だけれども……。
「ねぇ、リーベレッテ? こういった場合はどう言えば良いのかな?」
「何をかなっ? もしかして、カールはトイレに行きたいのかなっ?」
「おう? 言われてみれば街中じゃしちゃいけねぇって言われると……街の外まで出なきゃなんねぇのか!? それは無理があるんじゃねぇか!?」
「宿を取ればそこにはあると思う。お店に入ってもそこにはあると思う。だから大丈夫なんだけど……。それをどう切り出したものかと思ってさ……」
「カール? 我慢は体に良くないよっ?」
「う、うん、僕は別に……痛い! 痛いよ、リーベレッテ! 爪で刺すのは痛いよ! ううう、マイト、お腹空いてない?」
「おう、もちろん空いてるぞ。なんだ? 冒険者ギルドに入る前に腹ごしらえか? だけどよ、それは後でも良いんじゃねぇのか? まずここは冒険者ギルドだろ?」
「痛いっ!! マイトっ!! 僕たちは今から冒険者ギルドに行くんだよ!? それなのに空腹で大丈夫なのかい!? 冒険者ギルドは何が待ち受けているか解らない男の戦場なんだよ!?」
「……カール、おめぇも言うようになったな。確かに冒険者ギルドは男の戦場だ。空腹で挑んで良い場所じゃねぇ!! よし、まずは腹ごしらえといこうじゃねぇか!!」
リーベレッテの爪がグリグリと何かを訴えるなか、カールは前後左右の食堂らしき建物に右目を走らせる。そして、『Aコース50ギルム、Bコース40ギルム』の文字を見つけ出し、血を見る前に店のなかへと飛び込んだのであった。
「いらっしゃいませー。Aコースは50ギルムで腹持ちするっす。Bコースは40ギルムでスープ増量っす。それからそちらのお嬢様がお望みの小部屋はあちらっす」
一瞬ですべてを推しはかってくれた給仕の彼女にカールは感謝した。リーベレッテはいそいそと小部屋に向かい、マイトは迷わずにAコースを注文する。いろいろと、お腹の具合が限界だったらしい。
案内された席に腰かけて、カールとマイトは二人そろって給仕の彼女の後姿を眺めていた。
「あれが……都会のオシャレって奴なのか?」
「僕も初めて見るから確かじゃないけど、たぶんセリアン族の人だよ。ほら、聖書の最初のほうにあったでしょ? 光の氏族、ヒューマン、エルフィン、セリアンって。あの頭から出てる二本の耳は本物のウサギの耳だと思う」
「じゃあよ、もしかして俺たちの着てるウサギのコートを見て気分悪くするんじゃねぇのか?」
「あぁ、そうかも、マイトはたまに気が利くね。脱いで隠しておこう。お店の中は暖かいしね。コートの下の服だけでもなんとかなるよ」
「たまにってなんだよ、たまにって……」
二人がいそいそと服に手を掛けていると、手早くAコースが三つ届いてしまった。
赤い瞳にウサギの耳、子沢山を象徴するような豊満な乳房の彼女が手慣れた手つきでヒョイヒョイとスープ皿をテーブルの上に並べて述べた。
「気にしなくていいっすよ? 自分はウサギのセリアンっすけど、自分たちも野兎喰うっすからね。まぁ、気にしてくれたこと自身は嬉しいことっす。べつに盗み聞きしたわけじゃないっすよ? 聞こえちゃうんっすよ。ウサギの耳はとっても良いっすからね?」
「あ、そうでしたか。……マイト、いつもみたいにいやらしい話をしちゃ駄目だよ?」
「いつのいつもだよ? カール、お前は隙があれば俺の評判を下げようとするよな?」
「マイトの身長が高いからだよ。評判を下げてバランスを取らなきゃ」
「おう、なるほどなぁ……蹴るぞてめぇ!」
テーブルの下で、正面切った脚同士の乱闘を始めると、ウサギのお姉さんに叱られた。
「ごめんなさい。スープが飛ぶとテーブルが汚れますね。お仕事を増やすのは悪いことでした」
「俺も謝るぜ。ところでよぉ、AコースとBコースの違いって何なんだ? ……何だですか?」
「スープにパンが入ってるか入ってないかっす。パンが入ってない分、スープが多めになるっすよ。今の時期は冒険者志望が多いっすからね、ほとんど原価処分っすよ。店長の優しさっす。路銀だけでもひーひー言ってる若者から金はとれねぇとかなんとか、男気ある店長っすよ」
「そいつは、ありがてぇ話だ。店長さんに感謝して食わねぇとな」
目の前に置かれたスープ皿には、干され過ぎた肉と、萎れすぎた野菜のスープの上に、カチカチになり過ぎた黒パンが浮かんでいた。言い換えるならば、冬の残り物シェフの気紛れスープである。
それは故郷の料理にもよく似ていた。
冬の前に色々と練りこんだパンを焼いてしまい、それを乾燥させて凍らせる。薪の火にかけて、スープに煮戻して食べるのだ。雪が融けても春の恵みはまだ来ない。冬の残り物として、田舎の村でも同じようなものを食べているんだろうなと想いが走ると、カールは少しばかり悲しくなってしまった。
良く言えば旅に出された。悪く言えば追い出されたこの身である。
それは、目の前のスープ皿にも似ていた。
村も一つの器であり、そこに溜めておける人の数は決まっている。
だから、スープが増えてしまえば、必ずこぼれだして、別の器を探す旅に出なければならない者が生まれてしまう。
小さな器の大きな宿命。
これが水なら零れたままで良いのだけれど、人となれば話は変わる。生きなければ。
そうして脚の戦争で僅かに零してしまったスープを見つめるカールの右目は、少しばかり悲しい色を宿していたのだった……。