第一章 旅の三人 10
騒がしくなったのはそれからである。
家長が亡くなるということは、建屋の柱が無くなるも同じこと。雪融けの春から先は、家族全員が父に頼ることなく生きていかなければならない。家族のみんなが困っていた。
その答えは、長老組の年長者たちが持ってきた。
長男が家屋、家財、田畑、牧畜、それら一切を相続し、次男は万が一のために家に残り、小作人として新しい家や田畑を持つ算段を立てる。
三男以下は、「まぁ、男なんだから自分たちでなんとかしろ」という具合である。
長男次男の兄たちは既に聞かされていた話らしく、驚くことも無かったのだが、驚きを隠せなかったのは三男、四男の兄たちである。
カールは、元々が蚊帳の外であったため、あまり驚くことも出来なかった。
それから物の道理を長老組、そして村長から諭された。
田畑を五つに分ければ五人の貧乏人が生まれるだけだ。
家屋は五つに分けることなんてできない。家財も牧畜もそうだ。
まさか、一つの家屋に五組の夫婦が棲むわけにもいかないだろう。
残される母親はどうなる。姉妹の嫁ぎ先の面倒を見るのは誰だ、それは長男だ。
次男はそれを支えながら万が一の際は長男の代わりを務めるために村に残り、新しい自分の家を持つ算段を立てるのだ。三男以下は、その頑張りの邪魔にしかならないのだと諭された。
一つ一つの物事に正しい道理の凍える血が通っており、誰もが納得せざるを得なかった。
裸一貫で追い出されるわけでもない。それでは死んでしまう。
街々を旅する路銀と、職にありつくまでの生活費くらいは渡された。それに、自分の衣服や持ち物くらいは持ち出しても構わない。そうでなければ寒さで死んでしまう。
こうして三男、四男の兄と、五男のカールは家と村を旅立つことに、追い出されることに決まったのである。それが雪融けの二か月前のことだった。
それぞれの兄達が忙しく準備を整える中、カールは独りぼんやりと考えていた。
田畑が無くても自分には魔法があり、土饅頭の家なら幾らでも建てることが出来た。田畑に頼らずギルムを稼ぐ手立ても持っていた。
だから、この村の外れになら残っても良いんじゃないかとすら考えていた。
だけど、やっぱり駄目らしい。長の兄が苦く悲しい笑みと共に首を横に振った。
カールは、カールを恐れる人々を恐れるあまりに、村から遠ざかり過ぎていた。
最後の抑えである父までも失い、長兄にはそれを覆すほどの発言力はなかった。
旅立ちは、村人たちにとっては、厄介者を追い出すための良い機会でもあった。
そうして雪解けの春を迎え、カールにも旅立ちの日がやってきた。
カールは旅の荷物を背負いながら、村のすぐ外で立ち止まり、生まれ故郷を眺めていた。
それは、いつか見た光景だった。
旅立ちの日、誰もがみんな、一度ならず村を振り返って眺めていた。
カールは今まで見送る側として、様々な表情を見送ってきた。
今日は、カールが見送られる側に回っただけのことである。
村の土地で生まれ、村の土地で育ち、村の土地に還ることのできた人間は幸いだ。そうでない者たちは、こんなにも愛する故郷を捨てて出て行かなければならないのだから。
ただ、カールが長々と立ち止まっていた理由は、もう少しだけあった。
それは、家族に対してちゃんとした別れを告げられなかったことである。
朝の陽射しが昼の陽射しに変わっても、ちゃんとした別れを告げられそうな気配はいまだに見えなかった。誰も、見送りには出てきてくれなかった。それが答えだ。
旅立ちの朝。色々なことに疲れ果てたカールの母がボソリと口にした、「父さんが死んだのもアンタの呪いのせいなんじゃないのかい?」という言葉にカールは荷物を掴み、そのまま家から逃げ出した。
気の迷い、弱気が吐かせた言葉だと思いたかった。……けれども、本心だったらしいことを中天の太陽が指し示してくれていた。
こうしてカールは諦めた。自分自身、何について諦めたのかよく解らなかったが、何かを諦めて旅に出たのである。行き先は、決まっていない。
自分の左眼の魔眼を受け入れてくれる、そんな優しい場所に心当たりは無かったのである。