第一章 旅の三人 5
それは、カールもマイトもリーベレッテも等しく十一歳の秋の夜々中。
家畜たちがやけに騒いでいた。この気配は、とカールの父が農具である三つ又のフォークを片手に飛び出した。子供ほどの背丈、大人の胸元に届かない背丈の緑色の肌をした小人がいた。
オーグル族のゴブリンたちが丹精込めて育て上げた、麦の袋を持ち出そうとしていた。
ゴブリンたちは、普段森の中で暮らし、人里にまで降りてくることは滅多にない。
彼等は彼等で森のなかの恵みを食べて暮らしているのだが、冬を前にすると動き出す。
森の中で暮らす、つまり彼等は農耕をしない。狩った獲物や集めた木の実が足りないと、人里に降りてきて、無言のうちに畑の恵みをおねだりしていく。つまりは小さな泥棒たちだった。
「ゴブリンだぞぉぉぉ!! みんなぁぁぁ、起きろぉぉぉ!!」
寝ずの見張り番、ゲルザ爺さんがその声に目覚めて、警鐘を打ち鳴らす。
「やっぱりゲルザの爺さんは見張り番から外さにゃならん! まだまだ若いと張り切りながらこれだ!!」とカールの父は吐き捨てながら、自分の息子ほどの背丈になるゴブリンにフォークを突き出して追い払おうとした。
息子と言っても長男から五男まで居る。
ちょうど五男のカールほどの大きさに躊躇しながらも、枯れ草を集めるための尖ったフォークの先端を突き出した。いつもならば村人が出てきたところで逃げていった。だが、その日のゴブリンはいつもと違った。フォークの先端を、ひらりひらりと躱すのだ。
その年は冷夏だった、そのために森の恵みも少なく、畑の恵みも少なかった。そのため、ゴブリンたちも自分たちのなかの精鋭を送り込んできた。ゴブリンのなかでの手練れ、盗みの名手達を連れてきたのだ。
ゴブリンは魔物ではない。聖書の始めに出てくるように闇に近いオーグル族、その最下級の生き物だ。だが、善き隣人になれそうにはなかった。彼等は、当たり前のように畑の成果物を盗んでいこうとするのだ。
神官のテイラー様は、「彼等には農耕のことが理解できないのです。そこに生えているものと、育てられた野菜の区別がつかないのです」と仰っていたが、村人にすれば死活問題である。
そして、今年ばかりはゴブリンたちにとっても死活問題であった。
死活問題が二つぶつかれば、どちらかが活き、どちらかが死ぬ。
今年の彼等はもっとも悪しき隣人として、ゴブリンたちが集団で村を訪れた。
いつもならば少し脅せば逃げていく盗人。だが、今年は徒党を組んだ強盗団。
夜目の利くゴブリン。手には確かな武器である金属のナイフ。さらには身の丈相応の小さな弓まで持ち出していた。
カールの父のフォークが空を突き、木製であるフォークの爪の一本がナイフに折られて、初めて自分が死地にあることを彼は悟った。
子供でも、金属のナイフがあれば大人も殺せる。
気が付けば、後ろについてきていたカールが何かを呟いており、カールの父は子供を逃がすべきか、それとも目の前のゴブリンと戦うべきか、一瞬の判断に迷い、そしてそれはゴブリンの目にとって致命的な一瞬であった。
「我は求めるもの。魔を求めるものなり。天を青く染めるもの。ときには赤く染めるもの。地上を照らし影を生み出すものよ。いま一時のみこの地の天空にあれ。其は天にありて降り注ぐもの、≪天空の光明≫!!」
ゴブリンは夜に現れる。夜目が利くために、昼間の平原はむしろ眩し過ぎるのだ。冬の雪原などでは目が眩んで開けていられないほどになる。そして今夜は天が味方した。夜から昼に変わった村のなか、ゴブリンたちの目が白い闇に包まれる。
カールの父も瞬間、目を眩ませはしたが、それでも人の目はゴブリンのそれよりも早く真昼の光に対応した。眩し過ぎる光に目を抑えて苦しむゴブリン。よく見れば、何かの革の鎧すら着込んでいた。
だが、その頭には何も着けておらず、
「父さん! 突かないで!! 思いっきりぶん殴って!!」
子供の声援に応え、フォークが壊れる勢いでゴブリンの頭を殴りつけると、ゴシャっとした感触と、バキリと折れる音が続き、愛用の木製フォークが壊れてしまった。
だが、目の前にあったゴブリンの頭部はさらに激しく壊れていた。
「カール!? お前、いま何をした!?」
「魔法を使ったんだよ! それより早く次の武器を持って! ゴブリンは一杯だよ!」
「あぁ、そうだったな! あいつ等が目を眩ませているうちにボコボコに殴っちまえ!!」
こうして視界の利かない立場が逆転した。それだけで十分だというのに、
「くらえぇぇぇぇ!!」
木剣を名乗るこん棒が、背丈の小さなゴブリンの顔面を思い切りよく殴りつけていた。
さすがは次期村長マイトオスト。さっそくの初戦果を挙げていた。カールよりも育ちの良すぎる身体は、カールを相手に棒を振り回し慣れていた。この大きさの相手なら、大人達よりもむしろ上手に殴れるくらいだ。
ゴブリンの音を頼りにした短弓から放たれる闇雲の矢は恐ろしいものだったが、目を見開いた子供たちの棒手裏剣はさらに恐ろしいものであった。
子供の力では殺すには至らずとも、あとから駆けつけた大人達が、その手にした棒で殴り回して始末をつけてくれる。
さらに恐ろしいものは竹槍だった。どこかの蛮族のように、蛮族そのものとして子供たちが突き出した竹槍の穂先が、ゴブリンの太腿、首、顔面を襲う。大人たちが子供の遊びだと思っていた棒突き遊びは、遊びだけれど遊びではなかった。
自分たちの腕力では犬一匹も殴り殺せないということを理解して、自分たちの腕力なら犬一匹を刺し殺せると理解していた。戦士の師匠の教えが、二年経った今ここにきて花開く。
力があっても戦い方を知らない大人たちと、力がなくても戦い方を知っている子供たちが協力し合って、そして完全勝利した。麦の一粒も奪わせず、それどころか追い返す事さえなく、村を襲った強盗達は、弱肉強食という世界の摂理に飲み込まれたのである。
それは、オーグル族の進化体、オーガですら同じであった。目が見えずとも、巨躯を頼りに丸太のような棒を振り回されてはどうにもならない。だが、飛んでくる棒手裏剣に染みる葉の汁が塗られていては更にどうにもならない。
最後には、
「我は求めるもの。魔を求めるものなり。死を叫ぶ業火の暴風。秩序の殻もちて生まれる死を呼ぶ卵。放たれ砕け、我が敵のみを焼き尽くせ!! 其は秩序持つ紅蓮の六花、≪火炎砲弾≫!!」
死を呼ぶ火炎の剛球が飛んできて、逃げることすら許されなかったのである。