第一章 旅の三人 4
山間の名も無き村に、子供たちの間に戦士派閥と狩人派閥が出来上がるころ、三人の師匠たちとの悲しい別れが待っていた。
雪が融けてしまったのだ。道が見えてしまったのだ。
街までは昼間の四分の一、助けを求めて帰り昼間の二分の一。山道を走ったならば、もっと早い。
子供たちは不満の声を上げたが、もう、この村は師匠たちを必要とはしていなかったし、いつまでも引き留めるためのギルムも無かった。
彼らの冒険者としての階級はとても高かった。もしも正式に村の護衛を依頼するのであれば、村が丸ごと食い潰されてもまだ足りないほどの多額のギルムが必要なのであった。
ただ、街で豪遊するよりも、村でのんびりする方が三人は好きだった。
そういった娯楽の種類を選べるのも、冒険者としての自由の内である。
三人もそれなりに村の子供たち、一冬の愛弟子たちに愛着が湧いていたのだが、ここはまだ彼等の旅の終着点ではなかったようである。
村人一同が大先生に手を振るなか、手を振り返し、背を向けて彼等は去っていった。
そして、師匠という抑えを失った子供たちが、残酷な本性を現わす。
「投げるなら尖った石の方が良いんじゃない?」
「でも~それだと投げにくくない~?」
「こうやって木の棒を付けてみたらどうかな?」
「あぁ、それいい!! とっても投げやすそう!!」
「魔物がいる森は入っちゃ駄目だし……じゃあ野兎でも狩る?」
「良いね! それ良いね! やっちゃおう!!」
雪解けの春を待ち望んでいたのは人間だけではない。野兎たちも春の日差しを待ち望み、そして、残酷な子供たちの棒手裏剣によって串刺しにされた。野蛮なる子供石器時代の始まりだ。
大人たちが魔物の襲撃によって被害の出た家々の処遇について頭を悩ませていると、子供たちが泥まみれではなく血まみれで帰って来るものだから、母親たちが卒倒しかけたのであった。
もちろん、春を待ち望んでいた野ウサギたちは美味しく頂かれた。
それは少し早い、春の恵みの到来であった。忌まわしい記憶を振り切るための御馳走である。
そして、師匠の抑えを失ったカールも、その魔性を現わした。
『ありとあらゆるものの陰に、新しい魔法は隠されているんだよ? よ~く、観察するんだ』
師匠の教えに従い、ありとあらゆる魔法を試した。
都合の悪い教えについては、聞かなかったことにした。
「土よ、土よ、土よ、土よ、土よ、土よ、土よ、土よ、ちゅちよ! ……もっかい!!」
始まりは土。失敗しても大丈夫だろうという目論見通り、失敗しても大丈夫であった。
土が砂になったり石になったりしたものだが、だからどうしたというものでもない。
次は風。自然の風なのか、自分の風なのかの判別が少しばかり難しかった。
弱い風、強い風、向きがバラバラだったりしたものの、だからどうしたというものでもない。
水は、多かったり少なかったり、冷たかったり熱くて火傷したりと忙しかった。
火は、本当に死にかけた。思ったより小さい火なら良かった。けれど、思った以上の火力はカール自身を焼いた。風を混ぜたとき、自らの方向に吹く風のイメージが混ざり、カールの丸焼きが出来上がるところであった。
星見の塔の魔法使いたちが、魔法を天からの授かりものであるスキルに変えて魔法を試す理由がここにあった。魔法の研究にはギルムがかかる。だからと言って、命そのものよりも高価な代償は無い。危険よりも安全のなかで積み重ね続ける魔法の研究を、彼等は選択したのだ。
カールは魔法の師の教えを守らなかったわけではない。
むしろ、魔法の師の教えを率先して守っているつもりさえあった。
『カールは死ぬ為に魔法を覚えるんじゃない。生きる為に魔法を覚えるんだから、その順番を間違えちゃ駄目だよ? わかったね?』
「うん、大丈夫だよ師匠。生きる為に必要な順番なら解ってる。……まず、強くならなきゃいけないんだ。僕は弱い。みんなも弱い。大人の人達は強いと思ってた。でも、どうにもならなかったじゃないか!! ……ごめんなさい、魔法師匠の言いたかったことは解ってます。でも、僕には魔法が今すぐにでも必要なんです!!」
明日、ではなく今晩、もしくは今、またあの大猿が現われたならどうするのだろうか。どうなるのだろうか。
昼間の四分の一の時をかけ、昼間の半分で戻ってきたとしても、もう全てが終わっていることだろう。それどころか、助けを求めに走る大人の足でも追い付かれたなら、街に知られることもなく村は滅んでしまう。
野ざらしの死体がゾンビとなって、モス爺を襲うかもしれない。
テイラーさまは、きっと悲しみの中で一人一人、一匹一匹の魔物の解呪を行なってくれることだろう。
生きる為の順番を考えるのなら、悠長にギルムを貯めこんでいる暇なんて、一分一秒たりとも残されていなかった。
それは、自分自身の弱さを知ってしまった子供たちの誰もが理解していたことである。
それが、山間の農村の現実だった。
それが、か弱い村人の現実だった。
「師匠は強くなりすぎて、村人だったころの弱さを忘れてしまったのかもしれないな……」
小さな村の、か弱い村人が生き残るために一番重要なことは、殺されないことだった。
なぜ魔法に詠唱が必要なのか、その理由も多くの失敗の中からカールは学び取った。
心の中に潜り込もうとするものは言葉だけではない。葉の擦れる音、雨粒が地面を打つ音、突然の突風。目や耳、五感に飛び込んでくる全てのものが、構築しようとする魔法の中へ入り込もうとしてくる。
これを防ぐには、自身の言葉をもって目や耳を閉じるほかない。
自分自身の中に、自分自身の言葉を強く刻みつけるのだ。
他の何かが入り込む余地が無いように、自身の言葉で己の内側を埋め尽くすのだ。
「我は求めるもの。魔を求めるものなり。死を呼ぶ業火の暴風。秩序の殻もちて生まれる死を叫ぶ卵。放たれ砕け、我が敵のみを焼き尽くせ!! 其は秩序持つ紅蓮の六花、≪火炎砲弾≫!!」
カールの手から放たれた火炎の砲弾は、目標とした木にぶつかり、爆炎と爆風を紡ぎながら葉の一枚も焦がされなかった。あの日見た、あの赤い世界に近づいた。
大きな魔法になるたびに、大きな言葉が必要になっていった。そして大きな精神力も。
魔法の行使に数の扱いが必要な理由がここにある。片目を閉じながら自らのステータスを見詰め、魔法の構築に精神力が足りないと解れば即座に破棄して安全を求める必要があった。
カールが常に片目を閉じ続ける癖を持ったのは、この頃に始まる。
魔法使いの冒険者が持つ、片目瞑りという癖である。
死の一夜を乗り越えた子供たちは、偉大な戦士の背中を見て、魔物を相手に怯えることではなく戦うことを選んだ。マイトはただひたすらに大きな棒を振りまわし、カールはただひたすらに大きな魔法を求め続けた。他の子供達も、明日来るかもしれない終わりの使者に備え続けた。
ついでにウサギの肉も喰える。それは御馳走だ。冬の防寒着にもなる。
その頃のリーベレッテと言えば、お花の冠を作るのに一生懸命なのであった……。