3.お兄ちゃんに告白
自分がこんなに嫉妬深いとは思わなかった。
急に叫んで驚いただろうな、お兄ちゃんとマドンナ。
――さむっ。
そういえば冬だった。着込んだ紺色のダッフルコートをぎゅっと掴んで、あてもない一人旅をするわたし――
……近所をうろうろしているだけなんだけど。
気軽に寄れる知り合いの家はこの近くだと至くんちだけだ。
仕方がないが、公園にでも居座るか。夕焼け空を仰ぎ見て、なんだか切なくなってくる。
しばらくすると、公園が見えてきた。
「うわー、変わってないなー」
久しく来ていなかったので、お兄ちゃんや至くんと遊んだ記憶が思い浮かんできてとても懐かしい。
ブランコにシーソー、滑り台にジャングルジム。
まだちらほらと子供が楽しそうに遊んでいる。
『柚、帰るぞー。ほら、手』
『うん、お兄ちゃん! 帰ろ!』
『俺はおいてけぼりかよ!?』
いつも公園で遊んだあとは、お兄ちゃんが手を繋いでくれて、一緒に帰ったものだ。至くんの存在は無視して。
――お兄ちゃん、迎えに来てくんないかなあ。
はあっとため息をつくと、白い息が宙を舞う。
この寒いのに、女子高生が一人公園で何をやっているのだろうか。
ああ、さっきまでいた子供達がどんどんと帰宅して行く。余計にさみしさが募った。
「柚!」
ああ、お兄ちゃんの幻聴までが聞こえてきた。いよいよ末期だ。
「おい、柚!」
ぐいっと腕を引っ張られ振り向けば、そこには幻聴でも空想でもない本物のお兄ちゃんが心配そうな顔で立っていた。
「あ、え、えと……」
本当に迎えに来てくれたのだが、心の準備ができていない。完全に挙動不審になる。
「な、なんで来たのさ!」
ああ、心とは裏腹に反抗的な態度になってしまっている。わたしはツンデレか。
お兄ちゃんは腕を組んで少し怒ったように眉間にシワを寄せた。
「そりゃあ、あんな大声でばかって言い逃げされたら、色んな意味で追いかけたくなるよなー」
「で、ですよねー」
「今日のお前、おかしくないか? 悩みがあるなら、兄ちゃんが話を聞いてやるぞ!」
胸をどんっと叩いて頼もしい笑顔を浮かべる。
悩み――言ってしまおうか。でも、どんなふうな反応をするだろう。
もしも、もしも拒絶されたなら、わたしは生きていけない自信がある!
わたしは顔をぷいと背ける。
黙ったままでいると、お兄ちゃんは眉尻を下げてわたしの顔を心配そうに覗き込んできた。
「……柚?」
やめて! そんな切ない顔で見ないでえ!
わたしが再びお兄ちゃんから脱走しようとすると、お兄ちゃんも追いかけて来ようとし――
「わあ!」
「へ?」
あ。
……あー。
「犬のうんこ……踏んじまった……!」
さすがはお兄ちゃん。ぶれないなー。
なんだか気が抜けてしまった。
「ほら、お兄ちゃん。そこに水道あるから」
「うへえ」
落ち込むお兄ちゃんの腕を引っ張り、水道のところまで歩く。
「スニーカー、脱いで」
「え、い、いいのか?」
「嫌だけど、わたしがやるしかないでしょ」
申し訳なさそうにスニーカーを脱ぎ、お兄ちゃんは片足立ちで、水道の縁に手をついた。
「うー、くさい」
その辺に落ちている木の枝を使いながら、なんとかマシな程度には汚れを水で落としてやろうと奮闘する。
「……ねえ、マドンナ――じゃない、橘先輩と何を話してたの?」
「えっ、ああ、橘さんのこと知ってたのか。……実は彼女、兄ちゃんがいるらしいんだけど」
「へ?」
なんだか想定外の切り出しだ。
「その兄ちゃんのことが大好きらしくて」
「へ、へえ」
マドンナはブラコンだったのか。急に親近感が湧く。
「で、その兄ちゃんが今度――」
「お、雄鳥くん!」
話の途中で、お上品な声が響いた。
噂のマドンナだ。
少し息を弾ませてこちらに駆け寄ってきた。
「あ、橘さん! ごめん、置いてっちゃって」
謝るお兄ちゃんに、すぐにわたしを追いかけてきてくれたことがわかり嬉しくなった。
彼女は一つ深呼吸してから「そんなことはいいのよ」と爽やかに笑い、わたしにきれいな瞳を向けてきた。
「あなたが妹の柚さんだったのね。なんだかごめんなさい。……心配をかけてしまったみたいで」
この人、わたしのお兄ちゃんへの気持ちに気付いてる。勘だけど、多分絶対にそうだ。
「橘さんは悪くないって。ただの発作みたいなもんだよ、なあ柚!」
「どんな発作!?」
突っ込むわたしに、橘先輩はくすくすと優雅に笑った。
「来月、私の兄が二十歳の誕生日を迎えるの。特別なプレゼントをしようと思っていたのだけれど、何にすればいいか悩んでしまって。そんな時、雄鳥くんに妹がいるって聞いたから、お兄さんの立場としての気持ちを是非参考にしたくて、柚さんとのお話を色々と聞かせてもらっていたの」
へ、変なこと言ってないでしょうね、お兄ちゃん。
「図々しいとは思ったのだけど、今日は柚さんにも会ってみたくて訪ねてみたのよ」
「わ、わたしに?」
彼女はにこりと微笑んで「ええ」と頷いた。
「でも、今日はもう満足だわ。柚さん、機会があったら是非今度お茶でもしましょう」
「あ、あの……!」
橘先輩は背中を向けて去ろうとするが、ぴたりと足を止める。そして彼女は素敵な笑顔で振り向いた。
「柚さん! ファイトよ!」
そう言い残して、駆け足で公園を去っていく。
出しっぱなしの水道から流れる水の音がやけに響いた。
「橘先輩って、わたし達が義理の兄妹って知ってる?」
「ああ、話したけど。……なんで?」
「いや別に」
完全にわたしの気持ちはバレバレのようだ。
でもこれで、橘先輩がお兄ちゃんを好きかもしれないという疑惑は晴れた。というか全部、至くんのせいではないか。
あ、やだ、わたし。マドンナの前で犬のうんこの付いたスニーカーをずっと持ったままだったよ……。
うん、でもだいぶ汚れは落ちたと思う。
「よーし、こんなもんじゃない? あとは家に帰ってからちゃんと洗いなよ、お兄ちゃん」
「おお! サンキューな、柚!」
くさくて嫌だったけど、お礼を言われると悪い気はしない。
「いやー、柚が『妹』でよかったよ、本当に」
ぴぴくっ。
わたしの耳が疼く。
「え、犬のうんこ洗ったから?」
「ち、違うって!」
今の流れでは完全にそういう意味にしか取れない上に、『妹』という言葉がわたしにとっては大打撃である。
「柚はしっかりしてるよなって話! おれは抜けてるみたいだからさー、自覚ないけど。でもやっぱ柚に助けられることは多いなと思ってさ! 本当によかったよ、『妹』で!」
イラッ。
強調し過ぎじゃないか、『妹』の部分。
「お兄ちゃん、本当にわたしが『妹』でよかったと思ってるの?」
「当たり前だろ!」
迷いのない返事に、わたしの怒りは爆発した。
「わ、わたしはねえ! お兄ちゃんのことが好きなんだよ!」
「え! あ、ありが――」
「ちなみにラブの意味だから!」
家族愛として受け取ることは目に見えていたので、普通にお礼をしようとするお兄ちゃんをわたしはすぐに牽制する。
わたしの言葉の意味を理解したのか、兄は急にぴしりと固まった。
――ついに言ってしまった。
それにこのお兄ちゃんの反応。かなり思わしくないぞ。
拒絶だけは、されたくない!
「お、お兄ちゃんのばかー!」
「……って、ええ!? また!?」
正気に戻って呆然とするお兄ちゃんを残し、わたしは全速力で家へと逃げ帰ったのだった。




