月夜
一ヶ月待たせた分だけ量はいつもの2倍です!
深夜、夜空は冷たい夜風に当たりながら頭を落ち着かせていた。
夜の風は夜空の頭を優しく撫でるように流れてくる。
夜空はその安らぎの中で今日の出来事をもう1度整理していた。
そもそも澄清の翼とはどのような経緯で結成されたのか、その証、入隊の条件……上げだしたらきりがなくなるほどの情報が彼女の頭の中で渦を巻いていた。
だが、それにも関わらず、彼女が幾らか冷静だったのは単にそれらの情報以上の驚きを感じたからに他ならなかった。
────「それで、1つ確認したいことがあるのだけどいい?」
話も終盤に差し掛かったところだったろうか、ふと、ケイリーはその疑問を口にした。
「あなた達を疑ってる訳じゃないのだけど、この情報は信用できるの?自慢じゃないけど私だって、そしておじいちゃんだって結構な筋を使って調べたけど殆どの情報何てものは得られなかったのよ……だがら、出来ればあなた達の情報に確信を得るためにも私たちを確信させられるもの、例えばその情報の源を教えて欲しい」
その申し出は相手によっては少なくない反感を抱かれる類のものであった。
情報というものはそれだけで商売が出来るほどに価値のあるものである。それに加えてこの情報は本当なら入手が極めて困難であり、また高価なものなのだ。
ましては、今、ケイリーが提議したのはその情報を掴むことが出来るほどの能力をもった情報筋についてである。
例え、それが一例として上げただけだとしても見過ごすことのできないレベルの発言であった。
そしてもちろん、相手が仲間であろうとおいそれと教えられるようなものでも無かった。
だが……
「教えるのは構わないよ。元々隠し事をするつもりは全くないからね」
隼人はその情報を教えるのに躊躇いはなかった。
視線は自然と隼人に集まる。
「────情報源は俺たちに空を教えてくれた人物、元澄清の翼の隊員にして、隊一の空戦技術を持っていた男。副隊長にして二番機────坂井少将」
その口から飛び出した言葉、『元澄清の翼』、
そして……坂井。
「坂井って……もしかして……っ!」
場は驚きに包まれる。
「そう、俺のおじいさんだ」
────それが、昼での事だった。更に付け加えるならば彼は今のところ生死不明であるらしい。
元々家に居ることが少ない男であったが、彼は零や隼人の師匠である彼の親友に長い任務に就くと言ったっきり音沙汰がないらしい。
彼らにしてみても彼と最後に会ったのがいつだったのかさえはっきり覚えていないとのことだ。
一旦、話の整理に区切りがつくと瞼が重くなってきた。
あの話し合いの後、男たちはまだ元気に買い物に行っていたようだったが自分はそのような気分ではなかった。
どうやらケイリーも同じ状態だったらしく小隊部屋まで一緒に戻ってきている。
部屋は飛行場に隣接しており、いつも心地よいエンジン音が聞こえていた。
ふぁ〜
不意に欠伸が漏れる。そろそろ限界か、そう思ったのを最後に彼女はその身体を静かに布団に預けた。
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朝4時、彼女はけたたましいラッパの音と共に目覚めることとなる────なら、良かったのだが彼女はその音で起きることが出来なかった……端的にいうと寝坊した。
勿論彼女は集合に遅れることとなった。
幸いだったのは他にも50人ほどが遅刻したことだろうか。
ただ、50人と言ってもその殆どは地図を隠したり、落とし穴を掘る等の若い教官たちによる明らかな妨害工作によって遅れた者ばかりであった。
何はともあれ遅刻は遅刻である。点呼に遅れた約50名はお約束の罰走5キロが言い渡された。
因みに遅刻者を増やした犯人たちは真面目な顔をしながらも明らかに笑いを堪えている様子でこちらを見守っている。
この飛行学校特有の恒例行事は彼らの学生時代からどこの学校でも行われていたようである。
「夜空ぁ〜頑張って〜」
「最下位にはなるなよ〜」
「ファイト!」
そして、もちろん見送るのは教官たちだけではない。小さい頃からある意味で英才教育を受けた3人は何事もなかったかのように点呼に間に合っている。
夜空は3者3様の声を聞きながら罰則であるランニングをスタートした。
スタート地点に『~5キロランニングin鹿児島~』の垂れ幕があるのはご愛嬌だろうか。
兎にも角にもその地獄の罰走は幕を開けた……
だが、この話をするのはまたの機会にとっておこうと思う。
────ただ、気になって仕方がないと言う君の為に1つ言っておくのなら彼らのトップが帰ってきたのは昼前頃であり、そのトップの男は身体中泥だらけで帰ってきたと言うことだろうか。
この日、罰走をしなかった者達は午前中に今回の合宿の日程の説明を受け、午後は次の日からのメニューに備えて各自準備期間となっていた。
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午後2時 寄宿舎 109号室(第九小隊 部屋)
「ただい……ま」
109号室に塩をかけられたナメクジのような物体が入ってきた。
だが、この部屋には今の彼女の状態をからかう存在はいなかった。代わりに彼女を出迎えたのは机の上に置かれた96艦戦の模型と……それの下に挟めてあったメモであった。
〝明日に備えて買い物に行ってきます。昼食は布団の下に隠してある物を食べてね〟
一見、仲間の帰りを待たない薄情なものに見えなくもない文。けどそのメモがそうでない事は分かっている。
夜空は教官から直接の説明は受けていなかったが明日からの日程については又聞きや盗み聞きによってある程度把握していたのだ。
私も何かしら動かないと行けないなぁ…… けど、今更買い物に行っても大方の物は売り切れてるだろうだろうしなぁ……
夜空の思考はどんどん負の方向へと進んでいく。
それを止めたのは、誠に正直者である夜空のお腹であった。考えてみれば、食べ盛りの年頃に昼飯を抜いているのだからそれも仕方のないことであろう。
夜空は心の中で謝りながら零が隠し持ってきたのであろう焼きそばパンを大事に頂いていた。
後少しでパンを食べ終わるという頃、夜空の頭の中には一つのアイディアが浮かんでいた。────彼女は正に無邪気そのものの子供の笑顔を浮かべ部屋を出て行った。
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午後10時 109号室
そこでは、明日に向けての作戦会議が開かれていた。
「まず、ルールと小隊の方針の確認から────小隊長、お願いできる?」
会議は隼人の司会によって進められる。本来これは夜空の仕事なのだが、第九小隊の特色ということだろうか、隊のきまりによって何事にも適材適所ということが決められていた。
歓迎会からも伺え知れるように夜空の司会の腕はお世辞にも上手と言えるレベルではなかった。
「それじゃあまずルールの確認から、今回の訓練はサバイバル。初期装備の拳銃から始まるペイント銃を使って敵を減らし一週間を生き延びることが目標である。生き残った小隊はすべてに50ポイントが加算される。他にポイントを稼ぐ方針としては、他小隊員を撃つことによって1人につき1ポイントが加算される。因みにこのポイントは進級する為に必要な小隊ポイントと同様の価値を持つ────ここまでが今訓練の基本ルールよ。ただ、途中の追加ルールもあるという情報もあるからそこは臨機応変に頼みます」
端的なルール説明が終わった。だが、ここまでは元々全員が把握していたことである。問題はここからだった────
「じゃあ肝心の今〝戦闘〟における隊の方針についてだけど、個人的には生き残ることを主目的にしようと思います。理由としては単純に積極的に敵を倒していたずらに自分たちの戦力を減らすのが得策とは思えなかったからと、なにより一番は追加ルールへの懸念かな。情報がないならせめて万全の状態でそれを受け入れたいから」
夜空の説明は非常に理にかなっており、隊員を納得させるだけのものではあった。しかし……
「夜空の意見は分かったよ。そして僕も生き残りを主目的にするのは賛成だ。だからこれはそれを踏まえたうえで聞いて欲しい、この方針の元に動いた場合のデメリットに関してだ」
確かに夜空の意見は納得できるものではあった。しかし、だからといって完璧なものである筈はなかった。
そうは言っても隼人は何も完璧な作戦を立案しろと言っているのではない。……彼はただ、少しでも死角を埋めようとしているだけであった。
「まず、今回の訓練における最大の不確定要素が追加ルールである事は確認するまでもないよね」
隼人の言葉に全員が頷く。
「じゃあ僕たちはその不確定要素に最悪の仮説を立てなくてはならない……例えばそのルールによって訓練生が全滅させられることも考慮しないといけないということだ」
「……」
夜空を含めた3人はその言葉を舌の上で転がしながらそれを吟味した。
「つまり、隼人は教官たちは最初から私たちに〝ミッションクリア〟させるつもりはないと言いたいのかな?」
隼人の言葉を聞いた上でこの発言ができたのはケイリーだった。彼女の言葉には疑問の意は含まれていない。彼女の眼はただ、隼人へ続きを促していた。
隼人は思いがけないところから入ったフォローにその頬を緩めさせた。だが、それも一瞬のこと、あくまで彼はマイペースに話を誘導していく。
「────いや、先の話はあくまでも最悪の状態を想定しただけだ。僕が真に言いたいのはそれくらいの覚悟を持って今回の訓練に望めということ」
そこで、隼人は一旦言葉を切った。そこで始めて彼の表情に負の感情がよぎった。
誰も口を開かないが、皆、〝それ〟が頭によぎった。
「……第九小隊が周りから何と言われているか知っているか?」
俺と夜空は勿論、ケイリーも、その言葉に頷いた。
「まぐれで戦果を上げただけで調子にのってる〝はぐれ小隊〟端的に言うとそんな感じだ」
その声は決して大きい訳ではなかった、しかし、その声は全員の耳へと、そして心へとダイレクトにその意を伝える。
知っていたことではあったが、こうも人からはっきり聞かされると今まで、意識しなかった胸の中にどす黒い感情がはっきりと感じられた。
それは何も俺だけではない。
夜空はその顔を下にむけ、スカートの裾を握りしめ、ケイリーは顔は真っ直ぐ上げながらもその瞳の奥には耐え難い怒りの炎を燃やしていた。
隼人も同じだ……いつもと同じように見える彼の手には、くっきりと爪の跡が残っていた。
「まぐれ……か」
そう呟いたのは夜空だ。小隊長である彼女にとって、その言葉は特に彼女の心を揺らしていた。
第九小隊は入学当初から戦力外と言われていた。初めこそは気のせいかと思っていたが、合宿入りしてからの周りの反応を見た限り、間違いないのだろう。
だが、それもその筈であり、隊員はどこの馬の骨かも分からない男2人に、あの旋回戦もできないアメ機にのる留学生、極めつきは夜戦しか取り柄のない実力は平凡の小隊長。
他の小隊のように中学時代の相性や実力を照らし合わせて編成された隊に比べ、見劣りするのは仕方のないことだっただろう。
……けど、最初の実戦で最大の戦果を挙げたのはその弱小小隊であった。
普通の学校ならそれだけでどうこうという事はなかっただろうが、ここはラバウル校、実力、プライド共に相応の高さを持った人物が多数を占めるのは合点がいくところだ。
そいつらにとっては同期で最初の戦果を挙げる、その栄誉を弱小小隊がとったことに不満を持ち、そして疎む理由となるには十分だっただろう。
けど、
────けど、それがなんだっていうんだ!?
俺の、いや俺たちの中には決して消えることのない〝魂〟がある。それは飛行機乗りなら必ずもっている、原点にして一生ついてくる切っても切れないものである……それがあるのならば……
気づけば部屋の中の視線はいつの間にか隼人ではなく俺に向いていた。
俺は自分でも分かるぐらいにその顔を赤くしていた。
感情の赴くままに思考していたつもりが全て声に出ていたようである。
「零……」
隼人が呟いた。彼の表情はいっきに柔らかくなりそして、そのまま零に飛びかかった。
驚いたのは零である。いつもの隼人からは考えられない行動とそのタイミングから零は避けることもできない。
「おい、やめろ!」
「なんだよ、なんだよ、お前ってやつはよ!」
零の言葉に耳をかさない隼人は零の髪を乱暴に撫で回す。元々、寝癖を直していない零の髪はもう取り返しのつかない状態となっている。
ぷっ……
2人の子供がじゃれ合うなか、夜空とケイリーは姉の目線でそれを見守る。彼女らの顔に笑みがこぼれる。
2人の姉は自分がふと、笑いをこらえていることに気づき、隣を盗み見た。
そこにあるのは同じく笑いを堪えた変人の顔である。
────109号室に花が咲いた。
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深夜
布団にも入らずに寝てしまった3人に上着を着せる影があった。
〝魂〟か、いつの間にかそんなこと忘れていたな。
「ありがとう、零」
月だけが彼女を見ていた……
少女だった彼女に翼を与えた月は今でも彼女を魅了していた。