プロローグ
初の小説です。飛行機に詳しくない人でも分かりやすく書いているのでどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
~1945年 九州山地(大分県南部)上空~
50年前
これはいつも通り俺が敵地に爆撃に行く戦爆連合を護衛し、無事爆撃を終えて味方基地に戻る途中の話だ。その時、俺は大きな積乱雲に巻き込まれ、味方とはぐれてしまい、1人で飛行していた。
────味方とはぐれるなんて俺らしくないな、今、敵の編隊にでも見つかれば俺の人生もここで終わりというわけだ。
その時の俺には随分と余裕があったのをよく覚えている。だが逆に言うと俺に余裕があったのはこの瞬間までだったとも言えるのも事実だ。
『パパパパッ』
突然、乾いた音とそれに見合わない衝撃が機体を襲った。敵の銃撃である。俺は反射的に機体を傾ける。
この機体がグラマンF6Fという高めの防弾性能のある機体だったから良かったものを、そうでなければ今頃、俺の魂は天上に昇っていただろう。
完璧に油断していた。
退屈だと感じて気を抜いていたのが災いして機体の高度が上がっていたのだ。
これでは敵に見つけてくれと言っているようなものである。
だが、今はそんなことを悔やんでいる場合ではない。今考えるべきなのはこの状況においての最善の機動であった。
空気が澄んでいるのか、視界は良好。
風も穏やかであり、一時前までの静寂はまだ続いているように思える。
その認識を間違いだと教えるのは機外から聞こえるエンジン音。
────敵機は先ほどこちらに攻撃を加えた零戦1機だけのようであった。
伏兵が潜んでいる可能性もないではないが、明らかに仲間とはぐれたであろう俺をわざわざ単機で狩りに来るメリットはなにもない。
少なくとも自分が敵の立場で味方がいるのであれば、最初に全機突撃を命じている。
だが、それがないということから見て、敵機を1機と判断して問題なさそうだった。
そこまで推理できたなら十分だ。
むこうはこちらをカモだとふんで単機で空戦を挑んで来たのだろう。
確かにその見解は合っている。〝普通〟のパイロットなら一対一の戦いで零戦に勝てるものは存在しない。
だが奴さんも運の悪いことだ。
俺は開戦前から軍に所属する古参兵だ。そこらのやつとは練度が違う。
今日、仲間と離れ離れになったのだって元はといえば新米の中隊長のせいである。
キャリアばかりで実戦経験のない彼は近頃増えてきたマニュアル主義の男であった。
技量もその類にもれず、マニュアル外の事態に対し臨機応変な行動もとれやしない。
それも自分が死ぬだけならまだしもあいつは中隊を率いていながら進路上の積乱雲に突っ込みやがったのだ。
まったく、前方不注意もいいところだ……
まぁそんなこんなで何かと気分がすぐれない時にいらっしゃった客人だ。せいぜい丁寧にもてなしてやるとしよう。
敵機はもう旋回し終えてこちらに向かってきている。
旋回の中程で一瞬だが、敵の姿が見えた。
それは、いやでもこれが現実である事を認識させる 。
俺は、俺たちはどんな名目があろうと〝人殺し〟なのである。
つい、頭によぎった感情を封じ込め、再び敵機へと関心を向ける。
戦闘機乗りは脳筋の荒れくれ者の印象が強いが、実際のところ冷静に敵と己を分析できる頭が無くては戦場では生き残れない。
それに敵と向かい合う度胸あってこそ、戦闘機乗りという〝存在〟は空に輝く。
降下攻撃は位置エネルギーを運動エネルギーに変えるため、その速度は時速700キロを超える。
そのスピードの中で滑らかにターンするとは零戦のなせる技ということか。
2機の機体はそのまま機首を向け合い徐々にその距離を縮める。
速度計の針がじわじわのその傾きを広げていく。
このまま向かい合って接近するのは同士討ちの可能性が一番高い危険な行動だ。
しかし、ここで回避をするために腹を見せようものなら一瞬で蜂の巣にされるだろう。
上等だ、俺の根性と技量を見せつけてやる!
距離は500を切ったところか、お互いにこのままのスピードで行けば1秒後にはすれ違うことになるだろう。
だが……この1秒が長い、自分がこれだけ考え事をしていても相手との距離は少しずつしか縮まらないように見える。
やはり人は命を懸けたやり取りともなると普通ではありえない力を出すのだろう。
距離300、200、150、120、100
既に周りの景色は線となり、原型を留めるのは敵機だけとなる。
そろそろくるか、俺の手に力が入る。
《 90メートル》
俺の12.7ミリ機銃が火の尾を引いて敵機に吸い込まれる。
否、その弾は当たることなく敵機の間を通り抜けた。
それに対し零戦からはこちらよりも小さな7.7ミリ機銃と思われる火の尾が向かってくる。
必殺の20ミリ機関砲は撃ち尽くしたのだろうか、もしそうならこちらの勝率は格段に上がる。
今日はついていないと思っていたがここ一番で運が回ってきたようだ。
俺の機体に7.7ミリの弾痕が刻まれる、だが俺の12.7ミリは1発も敵機に命中していない。
敵の零戦はこちらが撃ち出すと同時に背面飛行に移ったのだ。
この一瞬のうちに俺は弾道を修正することは出来なかった。それほどまでにヤツの技は繊細且つ大胆な操縦によって行われていた。
……静寂
自然とそんな言葉が浮かんだのは飛行機乗りの性であろうか。
ふと、右を見るとそこには7.7ミリの弾が1発、危うく貫通させるいきおいで突き刺さっていた。
嫌な汗が首筋をつたった。
俺は敵を完璧に侮っていた。
そもそもこんなところを単機で飛んでいるのだから俺と同じように仲間とはぐれたのだと思っていたのだ。
こんなことをしでかすのは初心者だけだ。……普通はな。だがこいつはどう考えても初心者ではなかった。
よく、思い起こして見れば初撃後のターンも初心者 が行えるレベルのものではなかった。
しかし、それを知る機会を逃した事を今更悔やんでも仕方がない。
だが、どちらにせよ俺がそれに気づいた時には手遅れだった。
奴は背面飛行を利用して素早く180度ターンを終え、俺の後方350メートル付近に迫っていた。
その機動は空に溶け込んでいるようで、彼が〝空の静寂の中心〟であるかのような錯覚を受ける。
こうなれば俺は出来るだけ高度を下げて逃げるしかない。幸いグラマンF6Fヘルキャットは零戦のどの型と比べても速度で負けることは無い。
本当の戦士は引き時を誤らないという。
ここで逃げたところで心残りはない。
両機の性能差は多少の技術の差では覆せないほどのものであり、確実に逃げられるはずだった。
そう、はずだった……しかし、現在俺の高度はこの空戦のせいで200メートルまで下がっていた。
これは周りの山々より低い位置を飛んでいることを意味している。
このまま逃げるためには山を迂回する必要があり、そのためには何回も旋回を繰り返さなければいけない。
その場合小回りの利く零戦のほうがスムーズに山を迂回できる為に距離はどんどん縮まってしまう。
俺はもう逃げきれないことを悟った。
2つほど山を迂回した時には零戦は後方100メートルまでに迫っていた。そして敵の射線に入った瞬間、敵機から20ミリと7.7ミリの一斉射撃が行われた。
20ミリは撃ち尽くしているのだろうと思っていたが、ただ奴が温存していただけだったようだ。
だがそんなことはもうどうでもいい。
俺はこれを待っていたのだから。
────逃げるのが駄目なら戦うしかない
そう、決意した俺の顔は不思議と笑っていた。
俺は今から行う機動に全てをかけてフラップを全開にし、同時にエンジンを失速ギリギリのところまで絞った。
口から内臓が飛び出ると思うほどの重力が身体を襲う。
噛み締めた口から血が吹き出す。目が充血し視界が真っ赤に染まった。
俺の機体の真横を20ミリの大きな火の尾がかすめる。
それに対する恐怖は感じない。感じるのは愛機と自分の鼓動のみ。
俺の笑は勝利への道を確実にし、より獰猛なものへと変わる。
ヤツはこちらの狙い通り俺の目の前に押し出された。
俺がスピードを一気に落としたことにより押し出されたのだ。
賭けに勝った────押し出す直前に生まれる一瞬の隙。
ゼロ距離でのその隙は相互のスピードに差があるほどに少ない。
ヤツの技量でも入り込めないほどの小さな隙は、まるで見えない力が働いたかのように作られた。
そう、自分でも信じられないほどにその押し出しは完璧だった。
口の端につく血を舐める。血の味が脳まで届く、神経が限界まで張り詰められている証拠だった。
俺はすぐさまヤツの後ろに張り付く、体感では手が触れれそうなほどの近さだ。
絶好の射撃位置、まさにその一字の表す場所であった。
俺が発射レバーをひいて射撃を行えば、どんな敵も すぐに塵にできる。俺はその一瞬のチャンスをものにする為にありったけの弾丸を撃ち出した。
弾の出るたびに伝わる衝撃は愛機の胸の高鳴りを感じさせる。
だが、俺の弾丸は一つも奴に当たることなく空の彼方へと消えていった。消えてしまったのは弾だけではない。
奴も消えていた。
何が起こったのか分からない。その一瞬、全ての音が止まった。
……すぐに音が戻ってきた。音が聞こえ、それと同時に身体を硬直させる恐ろしく冷たいものを感じ、後ろを振り返った。
────俺の記憶はそこで途切れた。
俺はその日、大怪我を負ったことにより本国へと返され、それからは前線に復帰することなく平和な時を過ごした。
今では孫ができ、孫はスポーツとして飛行機に乗ることを楽しんでいるようだ。
それを見るのが今の俺の楽しみとなっている。
だから思い残すことはない……と言いたいところなのだが1つだけどうしても知りたいことがあった。
それはあの日奴がどのようにして俺の前から姿を消し、俺の後ろに回り込んだのか、ということである。
数年前、運良く会えた日本側の飛行機乗りと話す機会があった。
気の利いた仲間が企画してくれたらしい。
俺はせっかくの場を利用し、あの機動について聞いてみたのだが、まっすぐに飛行している時に急に姿を消すようにして敵機の後ろに回り込む技は知らないと言われた。
当時、左捻り込み等の高度な技を使えたような搭乗員は自分の技を秘密にすることが多かったらしく、例えそのような技があったとしてもそれがどのようなものであるかを知るのは難しいだろうとも言われた。
今更あの技の正体を突き止める術はないのかもしれない、それでも俺の中に残る飛行機乗りとしての心があの技を知りたいと強く願っていた────
「おじいちゃん、それじゃあ行ってくるね」
腰のあたりまで伸びた金色の髪を揺らし太陽がその笑顔を見せた。
孫は今日から日本に留学するために母国を旅立つことになっている。今まで最高の楽しみとしていた孫の成長を見られなくなるのは悲しいが、その分この少女がまた一段と大きくなって帰ってくるのを想像すると楽しみでもある。
「あぁ、いってらっしゃい、ケイリー。気をつけてな」
「うん。それじゃあ」
「あっ、最後に言わなければならないことがあった。『機体の心を感じろ』この言葉を忘れるな」
ケイリーは言葉の意味が分からず不思議そうな顔をしていたが俺の目を見て言葉の重みを感じとったのだろうか、黙って頷くと飛行機に乗り込んだ。
飛行機が飛び立ち、その姿は大空の彼方に向けて消えようとしていた。
それを見送る老人の思考は……
(日本で悪い男にひっかからないよな? ケイリーはあれでいい体型をしとるからな)
彼の思考を知るのは神のみであろうか。