いま・・・・・・
いま・・、
すべては後付けだろう。
少女はそう思いたかった。
入学式の日に、なぜかこんな思いに駆られた。
きょうの晴れがましい日のことは残らず、それこそ体育館に設えられた自分専用の席、ちょうど足元に転がる細かなホコリの数や色合いまで、すべてを記憶しよう。いやしなくてはならない。
少女が幸福なのはいましかないから。
これから彼女がどんなひどい学校生活を送るのか?
学校は煉獄にしか思えないだろう。
みんなの目には単なるガラス窓にしか視えないが、彼女には鉄格子にしかみえない。
彼女が笑うことはない。
そんな思いを強制されたのは、
それは体育館から響く祝いの歌唱を耳にしながら、校門を潜った瞬間のことだ。
幸福な日はきょうに始まり、その日に終わる。そんな事実に気付くともなく、未来に期待して頬を赤らめていた。
彼女が知るはずもないことだが、
入学式当日からちょうど一年後、少女はこの学校で首を吊ることになる。
彼女は何も信じられなかった。
自分がこれから本当に死ねるのか、それすら合点がいかなかった。
だから、遺書に自分をいじめた同級生の名前を書くことができなかった。
もしも知られたら昨日よりももっとひどい目に遭うのでないか?
そのことを想像しただけで、世界が真っ二つになった。
首を吊れば、人が死ぬ。そんな簡単なことも信じられなくなっていた。
ありとあらゆる裏切りを体験した彼女は、自分すら、裏切り者のひとりとしか見なせなくなっていた。
それでも勇気を絞って行動に出た。
その理由は何だったのか?
答えは簡単だ。もう考えるのは、予想するのは、辛い未来を想像するのはもういやになったからだ。
それを止めるのには実行するしかない。
三階の渡り廊下の窓には、中庭にせり出した部分がある。
その場所が、少女は気になっていた。
みんなから仲間はずれにされている様子が、ぽつんと生えたイチョウの木に似ていたからだ。
あるいはひどいいじめから逃げてここに隠れているのかもしれなかった。
少女は学校で数数多、そういう目に逢ってきた。
いや、逢わなかった日などなかったと言っても過言ではない。
いま、眼下にイチョウの木を見下ろしている。
入学式の日には青々となっているはずの葉、葉が黄金に色づいて見えた。
いま、同じイチョウは枯れてみえる、色的にはあの日と変わらないのに青々としているはずなのに。
人間の記憶がそこまで完璧なはずはない
きっとあの日のことは後付けにすぎないのだ。
春なのに、風はやけに冷たい。
いま、少女は自分の足が宙に浮いているのを見ている。
いや、視た。
いや、視終えた。