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王子様 2

 クリスティーナとアルベルトが打ち解けるまで、さして時間はかからなかった。数回公爵邸へ通えば、彼女は無邪気に好意を見せてくれるようになった。

 玄関ホールで自分を出迎える彼女の瞳は喜びで満ち溢れ、他の貴族子女へ向けるのとは違う、安心しきった笑顔を見せてくれる。そんな彼女を見るたびに、触れてみたい衝動が増えた。

 残念ながらいつも侍女や、目力のある執事に見守られているため、触れる機会は無かったけれど、たびたびアルベルトの視線は、花弁のように美しい彼女の唇へ引き寄せられるようになった。

 それは、朝から雨がひどい日だった。クリスティーナと会う約束をしていたアルベルトは、天気を理由に出かけないという選択肢もあったけれど、会いたさの方が勝った。

 玄関ホールで自分を出迎えた彼女は、瞳と同じ紫色のドレスを着て、嬉しそうに笑った。

「雨なのに、来てくださってありがとう、アル」

「クーとの約束を、雨だからって破るわけないでしょ」

 すっかり気心の知れた間柄になっていた二人は、僅か数か月で、互いを愛称で呼び合う仲になっていた。

 彼女は照れくさそうにはにかんで、手を引く。

「じゃあ、今日は図書室へ行きましょう?ひいおじい様のご本がたくさんあるのよ。お星さまの本」

「うん」

 クリスティーナと過ごせるなら、場所はどこだって良かった。彼女に手を引かれて二階へ向かうと、今日は侍女が一人ついて来た。他の侍女は、護衛で濡れた騎士たちに布を渡したりしていて、手が空いていない様子だった。

 ザリエル公爵邸の図書室は、王宮のものよりも小さくはあったが、非常に多くの書物を置いていた。一千冊を超える所蔵だと侍女の説明を受け、四角い室内に整列する書架を見て回る。クリスティーナは、普段からここを使っているらしく、直ぐに目的の書架へ向かった。

 天気が悪く、真っ暗な室内に光を入れるため、侍女は窓辺へ向かう。

「アル! こっちよ」

 彼女は部屋の奥から二列目の書架の間にいた。もう本を取って、床に座り込んでいる。窓際にはいくつか読書用の机が並んでいたけれど、きっと彼女は普段から通路に座り込んで本を読んでいるのだろう。侍女もちらりと彼女を見たが、カーテンを開ける方に専念した。

 開いているのは、星座の絵を描いた本だ。子供向けらしく、大きな文字の説明文が書かれている。

 アルベルトは彼女の隣に座り、本を覗き込んだ。

「アルは知っていて? お星さまを繋げると、動物や神話の女神さまになったりするの。それにね、お星さま同士が、恋をしていたりするのよ。素敵でしょう?」

 星座については、一般知識を身に付けていたので、ある程度は知っていた。

 彼女は楽しそうに星座それぞれにまつわる、昔語りを話して聞かせてくれる。

 侍女がカーテンを開けてくれたおかげで、クリスティーナの横顔が良く見えた。楽しそうに瞳を輝かせて、本に夢中になっている横顔は、とても綺麗だった。

 光を弾く銀髪。長い睫も銀色で、光に透けている。光がアメジストの瞳に差し込むと、宝石以上に美しい煌めきを生んだ。小ぶりな鼻に、柔らかそうな赤い唇。

 白桃のような頬に口付けてもいいだろうか、と思った時、彼女がふと顔を上げた。

「……」

 彼女はきょとんと自分を見返す。大きなアメジストの瞳が自分だけを見ている。

 ――僕だけを見てくれたらいいのに。

 彼女の瞳に映るすべてが、自分だけだったらいいのに、と本に嫉妬を覚えた。愛らしい唇が、うっすらと開く。視線が瞳から唇へ落ちると、何も考えられなかった。

 アルベルトは、体が傾ぐまま、そっと彼女の唇に自分の唇を押し付けていた。

 永遠のような、ほんの一瞬のような一時だった。彼女の唇はとても柔らかくて、気持ち良かった。

 唇を離すと、怒ると思った彼女は、かあ、と真っ赤に頬を染めて、唇を押さえた。その反応がとびきり愛らしくて、アルベルトはつい、にや、と笑う。唇を押さえる彼女の手を掴み、びくりと跳ねた彼女の怯えを無視して、耳元に囁いた。

「みんなには、内緒だよ」

 彼女ははっとした。

 慌てて後ろを振り返る。カーテンを開けていた侍女は、今は図書室入り口付近のカーテンを開けているところで、こちらには目を向けていなかった。

 ほっと肩の力を抜いた彼女の腰に腕を回すと、また体が緊張する。自分でもこんな行為は始めてだったけれど、お兄さんぶりたくて、余裕のあるふりをした。

 彼女の心臓の音が聞こえるようだった。真っ赤になって、瞳を潤ませ、恥辱と罪悪感で震える年下の女の子は、最高に可愛かった。

 アルベルトは高揚する気持ちを抑えきれず、額を合わせて、小さく言った。

「……またしようね」

 子供らしくない、妖艶な眼差しを受けた彼女は、打ち震えながら小さく頷いた。

 アルベルトは快哉を叫びたい気持ちだった。

 口づけを許してくれた。それは――彼女も自分と同じ気持ちだということだ。

 ――愛しい、愛しいクリスティーナ。可愛い僕の天使。

 誰もが振り返るような、最高に可愛い天使が、他の誰のものでもない、自分の婚約者であることを、神に感謝した日だった。



 仲良くなればなるほど、彼女は可愛らしい我が儘を言うようになった。

 こちらの予定を聞かずに、週末は必ず公爵邸へ来て、だとか、突然王宮にあがってきて、街へお出かけしましょう、なんて言うのだ。

 三歳の差は、割と余裕を持って、彼女の我が儘を受け入れさせた。

 彼女の我が儘を聞けるときは、苦笑しながらも聞いてあげられたし、彼女は彼女で、こちらが駄目だと言えば、愛らしくむくれはするが、引き下がる。

 なにより、瞳を輝かせておねだりをする彼女は、ものすごく可愛かった。

 数年が経過した頃、彼女に求められて、街の宝飾品店を回っていた時だった。彼女が選ぶ宝飾品は、どれもこれも最高級品で、値段が高ければ良いのかな、と適当に近くにあったブローチを取った。十二種類もの宝石を利用した丸いブローチは、宝石を使っている分、店内でも最高値の部類だ。

「……アルベルト様? なにか良いものがありまして?」

 髪に青い宝石の髪飾りを挿した彼女が、手元を覗き込む。そして一瞬、眉根を寄せた。

 彼女は直ぐに表情を改めて、にっこりほほ笑んだ。さり気なくアルベルトの手からその宝石を取り上げ、元の場所に戻しながら、別のカウンターを指差す。

「ねえアルベルト様。私あちらの髪飾りが見たいの。ご一緒に見てくださる?」

「ああ……うん。」

 ショックだった。可愛い自分の天使が、初めて顔を顰めた。それも、自分が選んだ宝石を見て。あれは明らかに、彼女の趣味ではない宝石だったのだろう。

 改めて彼女を見てみる。銀の台に青い宝石をいくつか並べた髪飾り、真珠のネックレス、青いドレスは最先端の型だ。カウンター越しに彼女を見た宝飾店の店主は、彼女を見るなり、相好を崩す。

「こちらなどはいかがでしょうか?お嬢様の瞳にぴったりでございます。」

 貴族と見れば、高い商品ばかりを押し付けると思っていた店の主は、彼女に高くもなく、安くも無い石のブローチを差し出した。薄く削った紫色の石と青い石を組み合わせて、花の形にしたそれは、確かに美しく、彼女に似合っている。

 彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 高くなくても、嬉しそうだ――。

 それから、彼女の着ている服や髪飾り、ネックレスなどをつぶさに観察して、贈り物を選ぶ際は、とても苦心した。店員の助言も聞きながら、彼女のセンスに見合うように、と。

 十三歳になった頃から、彼女の胸が膨らみ、腰がくびれ、色香が尋常でなくなり始め、アルベルトは色んな意味で忍耐を強いられた。

 ザリエル公爵との約束を反故すれば、婚約そのものを流されるかもしれない、という究極の選択を前に、理性を保っていた。

 しかし、彼女はこちらを試すかのように、十四歳の社交界デビューを機に、ドレスの型を変えた。豊満な胸を見せつける、襟ぐりの深い、男なら吸い付きたくなるようなドレスを作らせたのだ。

 初めて見た時は、目のやり場に困ってたじろいでしまった。そんな恰好をして他の男の目を集めてどうするのだ、と苛立ちも覚えたが、既に彼女の虜となってしまっていたアルベルトには、注意するような根性は無い。それに、少なからずそのデザインを喜んでいる自分もいた。

 唯一、自分の顔が嫌らしくならないように、紳士的な笑顔を保つのには苦労した。

 クリスティーナが、そんなドレスを着て、鮮やかな化粧をすると、社交界の流行が一変した。それまで首を覆う形のドレスばかりが流行っていたのに、彼女が作った扇情的な型が流行り出したのだ。

 彼女を追うように、女性陣は華美に、露出の多いドレスを着るようになってしまった。

 彼女が新しい髪飾りを付ければ、皆がこぞって似たようなものを選ぶ。彼女が羽飾り付きの扇子を使えば、それが主流になる。

 誕生日のたびに贈り物をするアルベルトにとって、これはかなりのプレッシャーだった。自分が贈る品を、いつも彼女は嬉々として身に付けてくれる。夜会などでは必ず何か使って、人に自慢してくれるのだ。

 そして彼女が十五歳になる誕生日。

 成長した彼女は、恐ろしく美しい女性だった。

 腰まで届く銀糸の髪。大きなアメジストの瞳はそのままに、長い睫を巻き、目じりに色香溢れる化粧をのせる。愛らしいばかりだった唇は、今や微笑むだけで口付けたくなるような、ぷっくりとした艶を放ち、白く染み一つない柔肌を見せつける胸の膨らみは、視界に入れると手を伸ばしてしまいそうだった。腕を回すと、折れそうに細い腰。そして触れる全てが柔らかい、彼女の体。

 侍女や執事の目を盗んで、王宮の木陰や、夕日がきれいに見える秘密の丘、彼女の屋敷の図書室などで口付けていたが、彼女が十四歳になってから、自制が効かなくなりそうになっていた。

 今すぐにでも自分のものにしたい衝動を押さえようもなくなり、苦渋の選択ながら、彼女と距離を取った。会えば触りたくなるのだから、どうしようもない。

 誕生日位は会いたかったが、軍部の視察が入ってしまって出かけられなくなり、結局、贈り物とピンクの薔薇、そしてカードを添えるだけになった。ピンクの薔薇にこめられた、『美しい少女』という花言葉は、彼女のための言葉だと思った。

 しかし誕生日に会いに行かなかったのがいけなかったのか、この日を境に、彼女がそっけなくなった。



 夜会に迎えに行けば、頬を染め、瞳を潤ませて出迎えてくれていたのに、誕生日の後の彼女は、どこかどうでも良いような、白けた雰囲気を漂わせていた。

 化粧やドレスも、派手なものではなく、淑やかな、今の彼女にぴったりの大人びた色に変わっていた。煌びやかな彼女は、咲き誇る大輪の薔薇のようだったが、淑やかな色を着ると、女神が降臨したかのような、神々しい美しさだった。

 ダンスを踊っている間は、切ないような、熱い視線をアルベルトに注いでくれたが、踊りが終われば、すい、と視線を落として、他の男と踊りはじめる。

 女神のように美しい彼女を眺められるだけでなく、腰に手を回し、豊満な胸を見おろす男どもを見ると、殺意が沸いた。しかし一国の王子である以上、彼女を独占するわけにもいかなかった。夜会は踊りを踊る場ではなく、情報交換の場だ。

 多くの貴族と話をしなければならなかったし、美しい婚約者を独占したがる、狭量な人間だと思わせるわけにはいかない。

 そしてある日、侯爵家の令嬢として迎え入れられたという少女を見た時、自分がクリスティーナに贈った髪飾りと似たような飾りをしていると気付いた。血の気が引いた。

 ――僕の贈り物を、彼女は身に付けていない……。

 とうとう、センスの無い贈り物をしてしまったのか、と目の前が真っ暗になった。

「……殿下?」

 シェーンハウゼン侯爵が訝しく問いかけて、我に返った。焦った顔など見せてはいけない。可能な限り良い笑顔を作り、聞き流していた彼女の自己紹介を何とか思い出した。

 侯爵家へ迎え入れられたばかりで右も左もわからない、そんな挨拶だった。それなら、国民を守るべき立場である自分の役目を果たさねばならない。

「初めまして、クララ様……。そのように、ご不安そうなお顔をされずとも、大丈夫ですよ。慣れぬこともあるでしょう……。私で良ければ、いつでもご相談に乗りますよ」

「……あ、ありがとうございます……っ」

 きらきらと輝きを放つ瞳、朱を上らせた頬、嬉しそうな口元を見て、しまった――と思った。

 あまりに不慣れな様子だったため、口を滑らせていた。

 アルベルトは、王子であるからには、国民ひとりひとりを守り、安寧を与えねばならない、という考えが幼い頃から刷り込まれている。

 貴族達は民を守るべき筆頭であり、民を虐げてはならぬ――とも。

 うっかり、彼女がその貴族令嬢となっているのを忘れていた。貴族達は、民と違う対応をせねばならない。誰か一人を重用するような言動は避けなければならなかったのに――動揺のあまり、素の自分で、助けてあげようなどと応えてしまっていた。

 自分で言うのもなんだが、王子であるアルベルトは、女性に人気がある。多くの貴族令嬢が自分に好意を寄せてくれる。

 現国王――父は、正妃だけを置いているが、ノイン王国では、王族に限り、側室も許されているのだ。あわよくば側室に、と考える令嬢は少なくない。

 そして、目の前にいる令嬢になりたての、無垢そうな少女も、彼女達と同じ瞳をしていた。いくらなんでも、アルベルトに婚約者があることは、国民周知の事実だ。期待に満ちた瞳には、少なからず側室へ召し上げられたい、という願望が垣間見えた。

 彼女は思わず、といった風情で、呟いた。

「お噂に違わず、格好良い方……」

 アルベルトの中で、かちりと何かが切り替わる音がした。

 僕は――クリスティーナ以外は無理だよ?

 婚約者がある男に、無意識でも色気を見せるような女性に興味はなく、何より、アルベルト自身、クリスティーナ以外の女性に興味が無い。

 内心拒絶の言葉を吐いたものの、告白もされない内からお断りを入れるわけにいかず、その場は笑顔で乗り切った。そして、どこにいようが見つけ出せる、己の婚約者は、何故かこちらに背を向けてワイングラスを取った。

 ――こんな場所で酒なんて飲んだら、他の男達に狙われてしまうじゃないか。

 彼女を狙う男は多い。

 王子の婚約者であるため、大っぴらに口説いたりはしないが、アルベルトと一曲を踊った後、彼女へ殺到する男の数は尋常でない。

 一瞬でも隙を見せたら、男は動くものだ。未成年でありながら酒を飲む様など、夜会ではありふれた光景だったが、事クリスティーナに限っては別だ。

 宰相であるザリエル公爵令嬢の不始末として、狡猾な男に利用されたらどうする。

 内心焦りながら、挨拶に寄ってくる貴族たちをあしらい、大股で彼女の元へ向かった。

 歩いているうちに三口飲んでしまった。

 他の貴族から見えないように彼女の背中に立って、ワイングラスを取り上げると、彼女は怯えた目をした後、とてつもなく可愛らしく駄々をこねた。

「何をしているの……?」

「だって……だって……っ」

 ――だってじゃないでしょう。三口飲んだだけで、いつもの数倍可愛いよ?

 抱きしめて口付けたい衝動を堪え、ワインを飲み干す。彼女は驚いてこちらを見上げ、震えた。どうやらアルベルトが怒っていると思ったようだ。

 怯える彼女には、妙に興奮を覚えるので、誤解は解かずに囁いてみる。

「悪い子だね、クリスティーナ。悪戯をしておいて、そんな顔をするなんて。わざとしているの?」

 涙を堪える彼女の表情は、嗜虐心を煽った。苛めてしまいたい気分を押さえたくて、そんな顔をしないで、と言えばますます涙ぐんだ。

 アルベルトは、可愛いなあと思いながら、目じりに口付けた。優しく体を包み込んでやると、彼女は頬を染め、潤んだ瞳で愛らしく呟いた。

「……お慕いしておりますわ、アルベルト様……」

 アルベルトは、突然の告白に眉を上げ、苦笑した。

 悶絶物の可憐な告白だった。

 期せずして、会場に来た他の男たちに、彼女が自分に夢中である様を見せつけられたのだ。優越感は半端ではない。

 だが人前で感情のまま、もみくちゃに彼女を抱きしめるわけにもいかない。アルベルトは、余裕を見せるために、ゆったりと笑んだ。

「ありがとう、クリスティーナ」

 彼女は、大人びた美しい笑みを返してくれた。



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