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王太子のお嫁さん。~ときどきお兄ちゃんと妹~16


 ――そんな展開、知らないわ……。

 王宮の庭園で、クリスティーナは顔色悪く、ため息を吐きだす。

 五日前に、クリューガー侯爵邸を訪ねたのは、イレーネに会うためだった。トビアスとの対面については、アルベルトから伝えると知らされていたが、彼女の気持ちを考えると心配になって、顔を見に行ったのだ。それに彼女がどんな女性なのか、自身で確認したいという気持ちもあった。

 強引な婚姻は不幸になる。そう思うからこそ、彼女を助けようと決めた。けれど、トビアスとの対面に際し、彼女自身がどんな振る舞いをするのか想像がつかず、事前に彼女の性格を把握したかったのだ。

 クリューガー侯爵邸を訪れると、執事が出迎え、イレーネはマルクスの部屋にいると言って案内してくれた。そして扉が開くと同時に聞こえた、アルベルトへの告白。

 直後にアルベルトに抱きしめられ、大丈夫だよと宥められたが、安心できるはずもなかった。

 すでに終わったと思っていたゲームが、もしかしたらまだ続いてるかもしれない――と考えずにはおれず、震えがとまらなかったのだ。

 泣きべそをかいた状態のクリスティーナに嘆息し、アルベルトはあの後、優しくエスコートして家まで送ってくれた。

 そして五日後に王宮へ上がったクリスティーナは、少し急ぎの執務ができたから、悪いけれど庭園でゆっくりしていて、とアルベルトに言われ、以前アンナと茶を飲んでいた庭園に来たのである。

「どうしよう……イレーネ様が、恋敵になったら……」

 一人で考え事をしたいから、と侍女を下がらせた彼女は、当て所なく歩みを進める。

 自分が知っているゲームは、クララが主人公だった。だから彼女はクリスティーナの恋敵だった。だが今の状態はどうだろう。

 クララは辺境へ下がり、ゲームの場から退場した。――そしてイレーネが現れる。

 クリスティーナは、はっと中空を見上げた。

「――もしかして、新しい物語が……!?」

 人気のあるゲームに、セカンドだとかネオだとかはよくあるものだ。

 今度はイレーネが主人公で、悪役は変わらずクリスティーナのままという物語設定の、新たなゲーム世界になっていたとしたら――。

「――嫌……!」

 クリスティーナは思わず、本音を呟く。

 今度は立ち向かってみせます、とアルベルトには言ったものの、ゲームの強制展開に太刀打ちできるのか、自信はあまりなかった。今度は、自分に予備知識がないのだ。セカンドだかネオだか知らないが、前世の記憶に、そんなゲームは存在しなかったのだから。

「どうしましょう……」

 不安に呟いた時、クリスティーナはふと足をとめた。別の庭園に差し掛かって、人声を耳にしたのだ。それは、よく知る声である。

「……でね、クリスお姉様にお似合いなると思うの」

 自分の名を呼ばれ、クリスティーナはどきっとする。

 視線を上げた彼女は、自分がいつの間にか、王族の寝室がある奥宮の手前にまで来ていたと知った。

 その庭園は、王族以外も入ってよい区域だが、特別に許可された者以外は使えない場所だ。

 イベリスの白い花が足元に咲き乱れる庭園で、アンナが愛らしい笑顔を浮かべていた。

 アルベルトによく似た、艶のある黒髪。今日のドレスは流行のストライプ柄だ。ふっくらと膨らんだスカートのドレープが、彼女の愛らしさをより引き立たせる。

 大きな黒い瞳は楽しそうに輝き、傍らの男性に無垢な表情を晒す。

 ――アンナ様……。

 クリスティーナは、この庭園への出入りはいつでも許されていた。しかしなんとなく近づいてはいけない気がして、その場に佇んだ。

 アンナの隣にいたのは、マルクスだった。

 シックな銀の刺繍が入る、濃紺の上下に身を包んだ彼は、とても穏やかな眼差しでアンナを見下ろしている。兄のように見えなくもない。

「ええ、いいと思いますよ、アンナ姫。それじゃあデザインを考えましょうか」

「うん!」

 二人は、奥宮前の庭園に設けられたベンチに横並びに座り、仲睦まじい様子だ。

 ――邪魔しちゃ悪いわ。

 アンナの恋心を知るクリスティーナは、立ち去ろうと踵を返した。そして突然目の前に現れた白い壁に、びくっと身を強張らせた。

「――な」

 悲鳴を漏らしそうになったクリスティーナは、視線を上げて、声を呑み込んだ。

 視線が合った彼は、口角を上げる。

「これは奇遇だ、クリスティーナ嬢。貴女も散策だろうか?」

 鮮やかな赤い髪を一つにまとめた、美しいエメラルド色の瞳を持つ青年――。白いシャツに、金の刺繍が入る赤いズボンという、簡素な恰好をした彼は、どこか横柄な気配を滲ませていた。

 何者をも目の前にひれ伏せさせる――そんな空気を纏って、王族然と笑いかけてきたのは――イレーネに会うまでの間、王宮に留まると約束した、トビアスだった。

 咄嗟に硬直してしまったクリスティーナは、すぐに気持ちを切り替え、淡い微笑みを湛える。

「まあ、ごきげんよう……トビアス殿下」

 彼の隣には、茶色い短髪に青い瞳の、傍仕えと思しき青年が控えていた。

 二人きりになってしまう状況ではないと認識し、クリスティーナは自然、ほっと息を吐く。

 トビアスがくすっと笑った。

「随分と、警戒心が強い」

「?」

 意味がわからず顔を上げると、彼はクリスティーナの向こうに目を向ける。

「おや、あんなところに可愛い姫が、もう一人」

「……殿下。あまり無茶な振る舞いは……」

 隣の従者が、やる気があるのかないのかもわからない、平坦な声音で(たしな)めたが、トビアスは当然のように聞き流した。

「どれ、今日はアレをからかおうか」

 からかうって――。

 一国の王女を相手に「アレ」呼ばわりも聞き捨てならなかったが、二人の邪魔もして欲しくなく、クリスティーナは咳払いする。

 ちらっと自分を見下ろした若い王子――確か自分よりも四つ年上だったが、若いとしか思えない――に、にこやかに言った。

「まあ、からかうだなんて。せっかくですから……」

 ――私とお茶でも。と言う前に、彼は言う。

「――ああ、そうだな。二人を観察する方が楽しいか」

「――へ?」

 妙な提案に、クリスティーナは目を点にした。トビアスは己の提案に疑問も抱かないのか、

庭園入り口にある、小さな門扉に寄り掛る。胸の前で腕を組み、二人を眺める姿勢に入った。

「え、あの……」

 確かにこの門はツタ薔薇で覆われていて、向こうからは見えないが、だからと言ってのぞき見なんて趣味の悪い――。

 従者を見れば、彼は能面のような顔のまま、何も言わない。

 自分の主が大人しくするならそれでいいと考えているのが、ありありと伝わった。

 クリスティーナは目の前の王子を咎めていいのかどうか迷い、とりあえず二人に目を向ける。

 マルクスが何か言う度に、アンナが幸福そうに笑う。

 鮮やかなその微笑みに、クリスティーナの頬が緩んだ。

 ――アンナ様の恋が、成就すればいいのに――。

 そう思って瞳を細めた時、心臓が跳ねた。

 マルクスがアンナに身を寄せ、耳元で何事か囁いたのだ。

 アンナは彼との距離を意識した、驚いた顔をして、頬を染める。

 クリスティーナは無意識に詰めた息を、はあ、とかすかな音と共に吐き出た。

 ――……好きな人に近づかれたら、ときめいちゃうわよね。……でもマルクスも、もう少し距離を考えて振る舞わないと――と、悪戯な彼に視線を向け、瞬く。

 顔を赤くして俯いてしまったアンナを、マルクスが見つめていた。

 その表情が――クリスティーナの胸をざわつかせる。

 彼の瞳の色には、どこか見覚えがあった。

 柔らかく細められた瞳の奥に光る、胸を落ち着かなくさせる気配――。

 クリスティーナは、こくっと喉を鳴らす。

 あの瞳を、クリスティーナは知っていた。

 アルベルトが時折自分に向けて、背筋を泡出せるそれだ。

 獣じみた気配を忍ばせた、獲物を狙う、肉食獣の眼差し――。

「……マルクス……?」

 クリスティーナは、小さな声で呟く。

 声は届いていなかったが、彼は次の瞬間にはその光を消した。風で乱れたアンナの髪をちょいちょいと直して、ちらっと自分を見上げた彼女に、柔和な笑みを返す。

 ――まるで、己の感情をコントロールするために作ったような、殊更に優しい微笑みだった。

 隣にいたトビアスが、鼻を鳴らして笑う。

「なるほどな、面白い」

 愉快そうだ。何か面白かったかしらとトビアスを振り返り、クリスティーナはすうっと血の気を失った。

 ――マルクスは、イレーネの婚約者だ。

 その彼が、王女と仲睦まじそうに過ごしている。これは、イレーネとマルクスの婚約が偽りだと判断される要因になりかねなかった。

「ト、トビアス殿下……」

 なんとか取り繕わなくては、と呼ぶと、彼は視線を戻し、不意にこちらに興味を抱いた目つきになった。

 出会った日と同じように、瞳、鼻、唇、そして風に揺れる髪へ視線を這わされ、背筋が泡立つ。嫌な予感に身を強張らせるも、彼は頓着なくクリスティーナに手を伸ばした。

「……っ」

 びくっと肩をすくめると、視界の端で、彼の手がさらりとクリスティーナの髪を梳こうとする。

 髪に触れさせてはいけない――。

 以前、アルベルトに怒気を押さえて咎められた出来事を思い出し、クリスティーナは反射的に自分の髪を押さえ、彼の手から逃れた。

 不躾な態度だったが、トビアスはくっと笑い声を漏らし、冷えた目を注ぐ。

「……案外、貴女も気が強い。……あれの髪も素晴らしいが、其方の髪も実に素晴らしいな。いつか、手元に置いて飾りたいものだ」

「――」

 これは気が強い、強くないの問題ではない。クリスティーナは怯みそうになる自分を奮い立たせ、強い眼差しで彼に言い返した。

「トビアス殿下。ノイン王国では、男性はむやみに女性に触れないのです」

 彼は真顔になって、首を傾げる。

「そうなのか? それにしては、貴女の婚約者は、貴女によく触れているとお見受けする」

 実際に何を見たわけでもないだろうに、さも見てきたように言われ、頬に朱が上った。

「――ア、アルベルト様は……っ、私の婚約者です。アルベルト様は、私に触れてよいのです」

 トビアスはまた、にいっと笑った。

「なるほど、婚約すれば何をしてもいい(・・・・・・・)と」

 意味深な眼差しに、クリスティーナは侮辱さている錯覚に襲われ、拳を握る。しかし感情的になるまいと、すうっと息を吸い、穏やかに応じた。

「……トビアス殿下。女性を射止めるには、力で押さえつけるのではなく、心を掴まねばならないと、私は思います」

 彼は、己の身分を盾に強引にねじ伏せる人だ。だからイレーネは、怯えて逃げ出した。心を得るには、力ではなく、心を与えなくてはいけないのに。こんなふうに――相手を攻撃するばかりでは、手に入る者も離れよう。

 はっきりと貴方のやり方は間違えている、と言われたトビアスは、一瞬目を見開いたようだった。

 けれど、すぐに人を小馬鹿にした、皮肉気な笑みが浮かぶ。

「……可愛げのない女だ。あれも、お前も」

 クリスティーナは口を閉じた。

 王太子の婚約者でありながら、相手を不快にさせた己を、不甲斐なく思う。どんなに酷い態度でも、相手は国の来賓なのだ。

 俯いたクリスティーナに飽いたように、トビアスは視線を逸らした。

 何も言わない彼を訝しみ、視線を上げたクリスティーナは、その表情に思わず声を上げる。

「――アンナ様は、駄目です……!」

 トビアスは、マルクスと談笑するアンナを、何かに焦がれるような瞳で見つめていた。

 ――彼女には、幸せになって欲しい。本当に愛した人と結ばれて欲しい。

 大事な、自分とアルベルトの妹だから――。

 個人的な感情を露にしてしまったクリスティーナを見下ろし、彼はつまらなそうに呟いた。

「俺が欲しいのは、俺を愛する女だ――クリスティーナ嬢」

「……」

 ――それじゃあ、イレーネは違うのではないの。

 漏らしそうになった言葉は、理性が呑み込んだ。

 彼はくつくつと笑いながら、背を向ける。

「けれど、仕方ないのだよ。俺はあいつ(・・・)から、全てを奪いたいのだから」

「……あいつ?」

 誰を指すのかわからず尋ねたが、トビアスは何も答えず、歩み去った。

 さあ、と風が吹き抜ける。

 トビアスの後ろを、能面のような顔をした従者が、音もなくついて行き、クリスティーナは当惑した。

 イレーネの恋のお相手は、アルベルトかもしれない。

 新たな自分の恋敵なのか、と怯える心を持ちつつも、彼女を不幸にしたいわけでもなく、更にはアンナには幸福になって欲しい。

 複雑なこの状況に、クリスティーナはアルベルトが自分を迎えに来るまで、ぼんやりとその場に立ち尽くしていたのだった。


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