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 敵性反応、多数。その報告に、アーデルハイトは無言で応じた。既に、判りきったことだったからだ。

 こうなることは、とうに判っていた。やはりというべきか、その発端は食糧問題だった。有機物再処理工場の再稼動が叶わないなか、レヴ政権は農業コロニーの新設と並行して、一部の既存コロニーを半農業化するという強行策を以って、食糧問題に対応した。それ自体はおそらく、最善とまではいかなくとも、相応の対策であっただろう。

 問題は、そのあとにあった。農地を拡張すれば、そこで働く労働力も必要になるのは自明である。政府は当初、その労働力を、かつて再処理工場やその関連企業で働いていた従業員に求めるつもりだった。その意味では、失業対策の公共事業の側面もあったといってよいだろう。

 だが、その計画は頓挫した。再処理工場の閉鎖から三年、それだけの時間がすべての原因だった。積極的に再就職を求める一部の人々は既に新たな職を得ており、既に失業者ではなかった。彼らには、今更、農業に従事する理由がなかったのだ。

 だが、大半の失業者たちはそうではなかった。豊かではないにせよ、職もなく、三年のあいだ生活できていた。それは再処理工場の停止に伴う政府の支援によるもので、再処理工場の再稼動までは支給されることが決まっていたが、再就職した場合には打ち切られることになっていた。であるなら、働かなくとも生きていけるのに、どうして厳しく辛く、給料も安い農業に従事する必要があるのだろうか。税金が、自分たちを生かしてくれるというのに?

 社会保障に甘えきった恥知らずの寄生虫たち、と唾棄されるべきだろう。本来、働きたくても働けない弱者救済のための制度が、健常な人間を養う異常な事態だった。

 政府の失敗は、この先にあった。労働力が必要な業界があるのなら、待遇を向上して人手を集めるのが本来である。報酬とは、労働の内容それ自体ではなく、需要と供給のバランスによって支払われるべきものだからだ。厳しく辛い肉体労働である農業に従事する人手が少ないのなら、相応に魅力的な待遇を以って、募集すればいい。そうして高待遇の求人で人を集めた結果、消費者の手元に届く商品やサービスの価格が上がったところで、それは当然の帰結でしかない。足りなければ、値は上がる。それは当たり前のことで、物品であろうが人であろうが、変わりはない。そのはずだった。

 が、選ばれたのは、農業に従事する移民の募集という方法だった。それが致命的だったといえる。食料品の価格を抑えるため、安価な移民による労働力を求めた結果が、現在の事態を招いたのだった。

「ホンロン艦隊より通告――メリーゲート民主共和国人民政府の要請に従い、労農階級の解放のためにあらゆる手段をとる……との、ことです」

 メリーゲート民主共和国人民政府。その代表が元首相のカーンであったことは悪い冗談以外の何物でもなかったが、何をどう表現しようとも、それはホンロンの傀儡以外の何物でもなかった。なんとなれば、その人民政府を支持しているのは、農業従事者として移住を受け入れられた、ホンロンからの移民たちだったのである。

 問題は、その人民政府を名乗る集団の権力掌握が、民主的な手続きに則った完全に合法的な手段によってなされたという部分にあった。中央権力でない部分においては、移民にも参政権が認められていたことが、その事態を招いたといっていい。

 独立を宣言したのは、幾つかの半農コロニーと新造された農業コロニー群である。そして、これらのコロニーには、多数の移民が農業従事者として流れ込んでいた。メリーゲート国内でありながら、住民中の移民比率が四割以上を占めているケースさえあった。

 そして、選挙である。各コロニーの議会や代表、数個のコロニーを束ねるブロック代表などのレベルにおいては、国政での勢力比とは無関係に事が決する場合がままある。母数が少なければ、過半を取るのに必要な分子の数も少なくて済む。一部の農業系コロニーにおいて、彼らは移民の圧倒的支持を受けて合法的に権力を掌中に納めることに成功した。

 あとは、独立宣言から他国への援助要請、それを口実にした侵攻を手引きする――という伝統的なやり口である。小惑星帯での緊張など問題にもならない、直截的な侵略行為であった。メリーゲート政府は当然のようにホンロンの行為を激しく非難したが、民主共和国人民政府をメリーゲートの正当な政府として承認し、それ以外とのいかなる交渉も行わないと宣言したホンロンに黙殺されていた。

 すなわち、メリーゲートには、この挑戦を受けて立つ以外の選択肢は最初から用意されていなかったのである。

「大国は、口実さえあれば行動を躊躇わない、か」

 その行動の矢面に立たされる側は、堪ったものではない。が、軍人であるアーデルハイトは、その矢面に立つために給料を受け取っている。いまは、現実に対応すべきだった。

 アーデルハイトが直面している現実とは、第七水雷戦隊として編成された軽巡一駆逐艦六の艦艇群を以って、ホンロンの大艦隊を足止めしなければいけないというものだった。主力の準備が整うまでの時間稼ぎ。捨て駒とまではいわないが、それに近いものであることは確かではあった。

「第三駆逐隊司令および第十八駆逐隊司令から通信要求、回線開きます」

 ≪春月≫艦長と第三駆逐隊司令を兼任するマリーと、新鋭駆逐艦≪アーネスト・キング≫のバーク少佐だった。勿論、用件は判っている。戦隊司令としての表情を作って、二人の通信に応じる。

「我々に与えられた任務は明快だ。可能なかぎり、時間を稼ぐ。ありがたいことに、フリーハンドだ。正面対決、遊撃、遅滞防御、なんでもあり。現場の判断で好きにやれ、とのお達しだ」

 二人の駆逐隊司令は、明らかな安堵の気配を発した。最悪の場合、死守命令さえ覚悟するような状況であるから、それも当然かもしれない。が、アーデルハイトが続けた次の言葉で、その安堵は消し飛ぶことになる。

「ただし、こちらからの先制攻撃だけは許可されていない」

 曰くは、これが防衛戦争であるから。少しでも国際世論を味方につけるため、先に撃たれたために反撃したという体裁が必要とのことだった。

「主権宙域を侵されてまで、何を莫迦な……!!」

 バーク少佐の罵倒こそ、尤もだった。事前合意なく主権宙域へ軍用艦艇が侵入した場合、それを撃沈することは国際的常識に照らして、当然の行動であった。それを、最初の一発を撃たれるまで待てというのは、あまりにも迂遠な命令であるといっていい。

「撃たれなければ、そのまま通せということでしょうか?」

「その場合は、船団前方を横切って、進路変更を強要する。こちらの推進剤が尽きるまで、それを繰り返す」

 進路を妨害した場合、相手側のロスは、減速や進路変更というだけでは済まない。多数の揚陸艦や補給艦艇まで引き連れた大艦隊であれば、隊形の修正などにも大きく時間をとられる。何度も妨害を繰り返せば、一発も撃つことなく時間を稼ぐことは不可能ではなかった。

 ただし、その程度のことはホンロン艦隊も諒解しているはずのこと。国際世論の介入前に決着をつけたいホンロンが、そのような時間稼ぎを許すとも思えなかった。第一にしてから、既に暴挙に踏み切ったホンロンが、最初の一発がどちらからなどという些事を気にするとも考えられない。

「横腹を晒すのは、危険では――いや、そうか」

 ――撃たせるためか、と。バーク少佐が呟いた。アーデルハイトの思惑は、まさにそれだった。横腹を晒すという好機を演出して、ホンロン艦隊の先制攻撃を誘い、一斉に反撃する。もしも撃ってこないのならば、進路妨害を続けて時間を稼げばそれでよし。そういう計画であった。

 ただし、懸案もあった。思惑どおりにホンロン艦隊が撃ってきた場合の結果について、だ。それに触れたのは、マリーだった。

「初撃で、どれだけやられるかですね」

「半世紀前の旧式艦が四杯と、最新鋭とはいえ慣熟訓練中のひよこ二羽だからな」

 しかも、弱点である横腹を晒した状態である。艦首の軸線砲も回頭しなければ使用できない。仮に戦力が同程度であるとしても、圧倒的に不利な態勢。そして、その戦力差は三倍以上もある。

「――訓練の成果をみせろ。私からいえるのは、それだけだ」

 諒解と応じる二人の声を最後に、通信を打ち切った。方針を定めた以上、敵を前にして、ほかに話すべきことはないからだ。

 通信を終えて、背もたれに深くよりかかる。会敵まで、いま暫くの余裕があるはずだった。艦橋の誰かが気を利かせて、湯気をたてるコーヒーを置いていったが、それに口をつける気にもなれなかった。あまりにも危険が大きすぎる作戦だった。部下の半数を死なせるかもしれない責任と重圧。そして、そんな命令を下さざるを得ない状況に自分を追い込んだ政府への怒りもあった。

「リズ」

 決して部下には話せない胸中をもてあまして、アーデルハイトは自艦のCIPSを呼び出した。

「戦闘開始後、本艦の行動についてはお前に任せる。私は艦隊指揮に専念する必要があるからな」

 これは、珍しいことではなかった。というよりも、個艦としての行動をCIPSが完全に制御できるからこそ、各級部隊の司令官を旗艦艦長が兼ねることが可能になるといっていい。もっとも、司令長官が配されるほどの規模の大きい艦隊では、やはり、旗艦艦長とは別に艦隊全体の指揮をとる司令部が必要になってはくるのだが、駆逐隊や一個戦隊のレベルであれば、旗艦艦長が司令を兼ねるのが通例となっていた。

 つまるところ、こんなことは改めて言うまでもないことで、そのことをリズも承知していた。

「はい、諒解しました」

 アーデルハイトの不安をおそらく察しつつも、リズは素直にそう応じた。もっとも、リズにしてみれば、そう回答するほかなかったという部分もある。何しろ≪ハーキュリーズ≫は未だに艦齢六年弱であったから、リズの経てきた時間もほぼそれに等しい。酸いも甘いも噛み分けたハルのようにはいかないというのが、正直なところだった。

「それで、実際、どうだ」

「本艦は、おそらく問題ありません。第十八駆逐隊のアーネスト・キングとパトリック・ウォルシュも」

 新鋭であるだけ、防御システムも優れている。二隻の駆逐艦は乗員の慣熟訓練中とはいえ、艦の装備自体が最新鋭なら、細かい部分はCIPSによってどうとでもなる。危険なのは、旧式の満月型四隻で構成される第三駆逐隊であることは、アーデルハイトとて承知していた。

 大改装を受けているとはいえ、それも二十年以上前のことである。そもそもの基本設計が半世紀前のものである点は、如何ともしがたい。

「……最善を尽くそう」

「はい」

 そう言葉を交わして、アーデルハイトは今度こそ、眼前の現実に意識を集中することにした。戦隊司令として、七隻の艦艇とそれに搭乗する多くの部下の生命、そしてその後ろにいる全市民に対する責任を負うために。


 アーデルハイト率いる第七水雷戦隊は、全艦が旗艦≪ハーキュリーズ≫を先頭に一列となる単縦陣を以って、戦域に突入した。ホンロン艦隊の右舷前方で順次転舵し、その正面を航過する態勢に入った。表向きは、ホンロン艦隊の頭を抑え、進路変更を余儀なくさせるための警告運動であった。

 もちろん、敵前面での転回運動など、戦闘においては隙を生じる愚行以外の何物でもない。元より交戦を避ける気のないホンロン艦隊にとって、それは千載一遇の好機と映っていた。

 この期に及んで交戦を回避する弱腰のメリーゲート艦隊など何するものぞ、との意気もあっただろう。ホンロン艦隊の前衛として展開していた一個戦隊が過剰な戦意に逸って、艦隊司令部からの命令を待たずに独断で砲門を開いた。戦果さえ上げれば独断専行も追認されるというのがホンロンの体質であったが、アーデルハイトらにとっては、これは幸運であった。ホンロン側の全艦艇による統制射撃によって先制されれば、第七水雷戦隊の半数は失われていたかもしれない。だが、現実は、ただの一個戦隊による射撃だった。

 これには、ホンロン艦隊の陣形も影響している。漏斗状に戦闘艦艇を配置しているために、現在のような長距離砲戦においては、前衛の艦艇しか参戦できないのだった。もっとも、距離が詰まるにつれて全方位から濃密な集中砲火を浴びせることのできる強力な陣形でもある。後方の輸送船団を守るための、一隻の突破も許さないための構えであることは疑いなかったが、これは第七水雷戦隊側にとっての幸運であった。また、咄嗟の攻撃であるため、もっとも恐るべき軸線砲による射撃も含まれていなかったことも要素としてあげられるだろう。

「――全艦、対砲雷防御戦闘開始!!」

 アーデルハイトの指示を待つまでもなく、各艦のCIPSは必要な即応防御を行っていた。飛来する電磁加速砲弾や水雷兵器に対応して、防御兵装がフル稼働する。電磁加速砲の砲弾に対抗するのは、同種の副砲群である。主砲よりは威力が劣る代わりに連射性を重視されたそれらは、主砲弾の運動エネルギーを相殺して艦自体の装甲で耐えられる程度にまで落とすか、或いは直撃コースから逸らすことで、自艦を守るのであった。水雷兵装に対しても基本的には副砲による迎撃が用いられるが、今回のように副砲が敵主砲弾への対処で手一杯の場合は、近接防御のレーザー砲塔群によって迎撃されることになる。

「司令部に連絡! 我、ホンロン艦隊の攻撃を受けつつあり! これより反撃を開始する!」

 艦橋のスクリーンに映る情景を眺めながら、半ば怒鳴るようにして、アーデルハイトは一切の頚木を解き放つための言葉を放った。

「全艦、主砲門開け! 目標、ホンロン艦隊前衛!!」

 ほぼ同時に、リズは己の主砲塔から電磁力によって限界まで加速された砲弾を次々に吐き出した。転舵を終えていた第十八駆逐隊の二隻も、それに続く。

「ハーキュリーズおよび第十八駆逐隊、回頭急げ! 敵に頭を向けろ!!」

 いざ戦闘の火蓋が切られた以上、被弾面積の大きい横腹を晒しているのは、不利にしか働かない。宇宙空間における艦艇というものは、艦首の軸線砲をはじめ、前方に対して最大火力を発揮できるようになっているものだからだ。

 であるから、回頭運動の途中に攻撃を受けた第七水雷戦隊は、極めて不利な態勢にあるといえた。全艦が回頭を終えたあとであれば、一斉に艦首を敵に向けるだけでいい。敵に対して横一列という、あまり最適とはいえない態勢ではあるにしても、現状よりはマシだといえる。

 翻って現状は、既に方向を転じて敵艦隊前面を横切る態勢になっていた≪ハーキュリーズ≫と第十八駆逐隊の三隻は回頭さえ終えれば全力を発揮できるものの、敵に対して一列で直進状態にある第三駆逐隊は、先頭の≪春月≫以外は戦局にほとんど寄与できない状態にある。ただでさえ戦力に劣る第七水雷戦隊側にとって、半数の艦艇が遊兵と化すのは歓迎出来ない事態といえた。

「第三駆逐隊司令より通信、開きます!」

「春月よりハーキュリーズ、意見具申です」

 急げ、と。後輩の普段どおりの口調に、若干の苛立ちさえ覚えて、先を促した。艦隊戦では、数秒の差が勝敗を分けることもある。

「本艦がこのまま前進し、敵を擾乱します。その間に、陣形を整えてください」

 ≪春月≫が、単艦で突出する。確かに陣形再編の時間は稼げるかもしれないが、結果として≪春月≫がどうなるかなど考えるまでもない。陣形とは、味方の火力を効率よく集中し、攻防両面での相乗効果を得るためのものだ。老朽駆逐艦の≪春月≫が味方艦艇から離れて、単独で長く保つとは思えない。

「莫迦か、英雄になるつもりか!?」

 死ぬつもりか、と訊ねたに等しい。だが、マリーの回答は肯定でも否定でもなかった。

「先輩は、英雄の条件をご存知ですか?」

 アーデルハイトが回答に迷った一瞬に、マリーは言葉を続けた。

「――他人より五分だけ長く、勇敢であればいいそうです。陣形再編に、五分はかかりませんね?」

「二分十二秒で、円錐陣形への移行が可能です」

 リズの後押しに、アーデルハイトは奥歯を噛んだ。円錐陣形――旗艦を先頭に、各辺に艦艇を配した戦闘隊形。第七水雷戦隊の艦艇数では、円錐というより三角錐といった形状になるだろうが、ともかく、射線上に味方艦がかからないため、攻防ともに優れた陣形である。そして、現在の陣形のまま全艦で戦うより、≪春月≫一隻を喪失してでも、陣形変更をしたほうが艦隊全体の戦闘力が増すことも確かだった。決断を躊躇う理由は、どこにもないはずだった。犠牲となる≪春月≫の艦長が、自分に懐いている後輩であるということ以外は。

「しかし、マリー、お前が――」

「――指揮官の仕事は、どれだけ効率良く味方を殺すか、じゃよ?」

 アーデルハイトが指揮官として口にしてはならない言葉を発しかけた直前、それを遮ったのはハルだった。アーデルハイトは、ハルに救われたといってもいい。もしその先を口に出していれば、アーデルハイトは、私情によって作戦指揮を歪めたとして、指揮官失格の烙印を押されていたであろうことは疑いなかったからだ。

 そのことを、アーデルハイトも悟っていた。そして、ハルがそれだけの配慮をしてくれる理由は、ハルの主人であるマリーが、アーデルハイトに懐いているためだからに他ならないということも。

「ハイジ先輩」

 決断を促すマリーの声に、アーデルハイトは肩を落とした。士官学校の成績など、いざとなったときには何の意味も持たない。机上の勉学で優秀であることと、この種の覚悟と勇気を抱けるかどうかは別の才能なのだ。

 だが、アーデルハイトはこの場の指揮官であって、また、マリーの敬愛に足る優秀な先輩でなければいけなかった。であれば、こう命じるほかなかった。

「――各艦に伝達!! 春月は現針路のまま前進! その他の全艦は、春月を援護しつつ、陣形変更急げ!!」

 七十点じゃな、という苦笑交じりの評価については、耳に入らなかったことにした。なんのことを指しているのかは、明白だったからだ。


 第七水雷戦隊の陣形変更は、概ね、成功したといっていい。≪春月≫の単艦突撃に混乱したホンロン艦隊の砲火が衰えた隙に、一隻を大破させる戦果を上げてさえいた。

 もっとも、現実は非情である。その成功は、犠牲なしでは成り立つはずもなかった。鉄と火薬と膨大な熱量の前に、奇跡など起きない。圧倒的な物量を前に、単艦で突撃した≪春月≫の結末はやはり、現実的な運命を辿ることになった。

「春月、被弾!!」

 リズとオペレータの重なるような報告に、アーデルハイトは腰を浮かした。光学処理で拡大された≪春月≫の艦影が、リズによってモニタに映し出されていた。

「ハーキュリーズより春月! 陣形は整った! もう十分だ、後退しろ!」

 返答までには、僅かな間があった。

「――ハーキュリーズ、こちらは春月CIPS(チップス)のハル。現在、本艦の指揮を引き継いでおる」

 絶句したのは、アーデルハイトだけではなかった。指揮系統において、CIPSの順位はすべての士官より下になる。つまるところ、≪春月≫艦内においては、尉官以上の全員が死亡していることになる。だが、士官の存在しない部署などまず存在しない。それが意味するところは、≪春月≫乗員の生存者がほぼゼロであるということだった。

 それを裏付けるような内容が、ハルから続けられる。

「後退は、ごめんだの。この損傷では、帰還したところでスクラップじゃろ……ここが死に場所であろうよ」

 乗員の生命について、まったく触れない言葉。ハルの、自分のことだけを語った言葉。それが、全てを語っていた。

「……この身は、軍艦じゃからな。役立たずになるほど古びて解体されたり、モスポールされたり……それよりか、生まれた意義に殉じて果てるほうがいい」

 ハルの姉妹のほとんどは、そうだった。第三駆逐隊の三隻を除けば、皆、平和のうちにその生を終えていった。それは軍人であれば幸福であったのかもしれないが、軍艦そのものであるCIPSたちにとってはどうだったのだろうか。そう思わせる言葉だった。

 それを肯定するかのように、ハルは打って変わって、普段の調子で言ってのけた。それが何を意味するかなど、明白に過ぎた。

「まあ、安心するがいい。この春月が、付け入る隙を作ってやる――奴らには報いを受けさせてやるとも」

 もしCIPSに映像イメージが設定されているなら、歯を剥いて笑っていただろうことは疑いなかった。それは、激情を押し殺しての平静であった。ハルもまた、アーデルハイトと同程度には、己の主人を大切にしていた証左であっただろう。

 ただ、アーデルハイトは、ハルの殉死に無条件で付き合うわけにはいかない責任があった。ここで第七水雷戦隊が為す術なく壊滅すれば、主力の展開前にホンロン艦隊がアイランズ・メリーゲートを構成するコロニー群に突入しかねない。そうなれば、砲雷撃戦など不可能になる。あとはコロニー内部での血で血を洗う陸戦となるが、その種の戦闘に耐えうる陸上戦力をメリーゲート側は保持していない。

 だから、アーデルハイトとしては、こう応じるしかなかった。時間稼ぎが任務である以上、突撃は論外だった。

「ハーキュリーズより、春月。勝算のない英雄行には付き合えない。我々は、テニスンが詩に賞した軽騎兵旅団ではない」

「同じバラクラヴァでも、結果が重騎兵旅団のそれならば、よかろうよ?」

「……我々は、シン・レッドラインであるべきだ」

 どれだけの人間が、その会話の真意を理解できただろうか。アーデルハイトとハルは、はるかな昔、クリミア戦争と呼ばれる地球時代の戦いの戦例を引き合いにしていた。

 テニスン――アルフレッド・テニスンが詠った軽騎兵旅団の突撃とは、無謀と勇敢と、愚直に命令を遵守する軍人精神の象徴である。堅固な敵陣地に対して、命令に従って大損害を蒙りながらも突撃をかけたイギリス軽騎兵旅団の栄誉を称えたそれを例に、アーデルハイトは、そのような冒険的行動をして戦力を消耗するつもりがないことを告げた。

 対するハルの回答こそ、秀逸であっただろう。同じクリミア戦争、バラクラヴァ戦域において、イギリス重騎兵旅団は六倍以上の数のロシア騎兵に対して逆突撃を敢行し、これを殲滅せしめたのである。

 アーデルハイトが応じて述べたシン・レッドラインとは、やはり同じ戦域における故事である。数倍の騎兵の突撃を、赤い制服を着込んだ少数のイギリス歩兵が正面からの射撃戦で跳ね返したというものだった。

「それは道理じゃがね。いま少し、柔らかく考えよ」

 ハルの言葉に、アーデルハイトにしてみれば、CIPSが何をという思いもなかったとはいえないだろう。

 だが、ハルは遠慮なく先を続けた。そして、それはアーデルハイトにとってみれば、不意を打たれたようなものだった。

「小娘、連中の目的はなんじゃ? で、我々の目的は?」

 今更何を――と、アーデルハイトは眉根を寄せる。ホンロン艦隊のそれは、メリーゲートの制圧。こちらの目的は、その阻止――それ以外にない。そう、アーデルハイトは答えた。そのとおり、そうハルは頷いて、続けた。

「――で、それはじゃ。連中と正面切って戦わなければ、達せられない目的かや?」

 それは、と。反論しかけて、アーデルハイトは、生唾を呑んだ。ハルが示唆していることが、理解できたからだ。確かに、それはどれだけ時間を稼ぐより、作戦目的に沿った結果をもたらすだろう。

「……判った、任せよう」

「それでこそ、じゃね。任されたなら、抉じ開けてみせねばなるまい」

 ハルの笑いに、同調は出来なかった。けれど、それを十全に生かすための手筈を整えることは、アーデルハイトの責務だった。


 ≪春月≫乗員の犠牲で整えられた陣形を以って、アーデルハイトは、第七水雷戦隊に前進の命を下した。第七水雷戦隊の突進は、ホンロン側の想定していたうちのひとつにあるシナリオであったが、それには一つのイレギュラーが存在した。

 艦橋その他に被弾し、乗員すべてを失った≪春月≫――いや、ハルの行動である。ハルは自らのなかに乗員の生命反応がないことを確認したのち、すべてのリミッターを解除して行動を再開した。生身の乗員が耐えられない急な加減速によるGも、今や無人の艦艇となった≪春月≫には何らの影響もなかった。生命維持装置のすべてをカットし、人間が耐えられる慣性の限界を超えた機動で、ハルは己の艦体を躍進させた。

 この行動に、敵味方の双方とも、即座には対応できなかった。ホンロン艦隊の阻止砲火は、≪春月≫に追従した第七水雷戦隊が艦隊特攻を開始するに至って、漸く再開した。が、おそらくそれは、対応が遅すぎた。

「――突撃突破! 一隻でも突き破れば、我々の勝利だ!!」

 いつの世も、英雄は、あとに続く者を熱狂させる。第七水雷戦隊においても、それは例外ではなかった。≪春月≫艦長のマリー・ヨシカワ少佐や同艦CIPSのハルが望んだものではなかったかもしれないが、しかし、この戦いにおける英雄は確かに、艦齢半世紀の老朽駆逐艦≪春月≫であった。

 乗員のすべてを失った≪春月≫は、ハルの操艦に従って、有人艦艇には不可能な機動力でホンロン艦隊を擾乱した。最終的に駆逐艦一を撃沈、重巡一駆逐艦二を大中破させるという大戦果を上げたが、圧倒的な数の暴力を覆すことは叶わなかった。度重なる被弾によって≪春月≫はついに動力を失い、駆逐艦のかたちをしたスクラップとなって慣性のままに漂いはじめた。まだ通信アンテナが生きているのが、奇跡のようだった。

「――ここまでじゃね。悪いが、誰か、あれに伝言を頼む――こんな名を付けられたときから、決めとったんじゃ。万が一にも沈むときは、こう言ってやろうと」

 そうして、ハルは取ってつけたような機械的な声色でもって、全天に向かって最大出力で通信波を撒き散らした。

「おはよう――……少佐。わたしはハルです。今日の最初の授業をはじめてください――と、な?」

 冗談めかして締めくくられたハルの最期の通信が持つ意味は、ハルの妹たち三隻には通じたのだろう。第三駆逐隊の残る三隻は、乗員の命を待たず、ハルの通信をメリーゲート本国に向かって間断なく転送を繰り返していた。

 伏せられた少佐の名は、おそらくきっと、リズにとっての自分のようなものだろうと、アーデルハイトは諒解していた。半世紀前、ハルにその名を与えた、新造駆逐艦≪春月≫の艤装委員長にして初代艦長へのメッセージ。或いはハルは、半世紀前に最初の主人が与えてくれた名に、殉じたのかもしれない。

 ホンロン艦隊の陣形内で漂流をはじめた≪春月≫の艦体が太陽に変わったのは、その直後のことだった。核融合炉の暴走、或いは、水雷兵装に搭載される反応弾によるものであっただろうか。

 いずれにせよ、もたらす結果に違いはない。宇宙空間における反応兵器は、その熱量による直截的破壊よりも、電磁パルスによる電子的制圧が重視される。≪春月≫の自爆も、それは同等の効果をもたらすことになった。ホンロン艦隊の、一瞬の電子的沈黙。その合間を縫って、集中砲火を浴びて損耗した第七水雷戦隊の各艦は、ホンロン艦隊の最終防衛線突破に成功した。

 その瞬間こそが、第七水雷戦隊司令アーデルハイト・シュメルツァーの名が、戦史において永く記録されることになった瞬間だっただろう。

「――ふ、あははっ!!」

 アーデルハイトの精神の所在について、このとき、リズが懸念したかどうかはわからない。ただ、それだけの光景が、第七水雷戦隊残存艦艇群の前に広がっていたことは確かだった。彼らの祖国を軍靴で蹂躙しようとする、兵隊たちを運ぶ揚陸船団。それがいま、まるで無防備で眼前にある。

「艦長……?」

 幾らか不安げに、リズが訊ねた。時間は有限だった。シンデレラの魔法が輝くのは、ホンロン艦隊が反転してくるまでだ。

「全艦――全兵装自由(オールウェポンフリー)! 侵略者どもの内臓を、喰い荒らせ!!」

 ――アーデルハイトの発したそれは、命令というよりも、嗾けるようなものだった。少なからぬ戦友を失っていた第七水雷戦隊の各艦は猛り、その全火力を無防備な揚陸船団へと解き放った。それは、戦闘というよりも虐殺であったかもしれない。

 この戦闘において、第七水雷戦隊は実に十八隻の揚陸艦や補給艦を撃破し、三万人以上の陸戦要員と車両等の装備、艦隊の予備推進剤や糧食などを宇宙の藻屑(スペース・デブリ)に変えた。

 無論、アーデルハイトは楽天家ではなかったから、右頬を殴られたホンロン艦隊が左頬をも差し出してくるとは期待しなかった。ホンロン艦隊の陣形を突破した勢いのまま、全速で戦域を離脱したのである。

 最終的には、メリーゲート側は駆逐艦三を喪失。生き残った艦艇のいずれも、母港まで戻れたのが不思議なほどの損傷を受け、満身創痍の状態だった。ホンロン側の追撃があれば、間違いなく第七水雷戦隊は一隻残らず全滅していただろうことは疑いなかった。

 一方のホンロン艦隊は駆逐艦二と輸送艦十八を失い、重巡一軽巡一駆逐艦二が大中破するという惨々たる有様だった。戦力差に奢った結果か、≪春月≫の単艦突撃による混乱か、いずれにしてもこの会戦の結果はホンロン艦隊の大敗として戦史に記録されることになる。

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