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 看板を掲げたデモ隊がシュプレヒコールをあげる様子が、士官食堂のテレビに映し出されていた。アーデルハイトはそれを眺めるでもなく眺めながら、マッシュポテトをつつき回した。デモ隊が掲げた看板には、有機物再処理工場の即時停止を求める文言が大書してあった。

「……連中、本気かね」

「きっと、本気なのだと思いますよ」向かいの席で生の卵をかけた米飯を食べていたマリーが、小さく肩を竦めた。

「生ゴミやら汚泥やらから生成された食べ物なんて、口にしたくない。まあ、感覚としては、理解はできますが……」

 感情と現実とは、別であるべきだった。アイランズ・メリーゲートは、コロニー国家の宿命として、食料の自給率があまり高くない。無論、農業用コロニーの比率が高い国家もあるが、工業と科学研究を主産業とするメリーゲートには、不可能な話だった。それでも、メリーゲートの食料自給率は『高くない』であって、『低い』ではなかった。その数字を実現しているのが、バイオ科学の粋を凝らした再処理システムだった。

 有機物再処理工場は、読んで字のごとく、有機物を再処理して合成食料を生産する工場である。生ゴミや汚泥を、何十種類ものバクテリアの複雑な働きによる一次処理を経て、様々な有機化合物へと変貌させる。その後、二次処理によって糖類やデンプンやたんぱく質へと変換したあとは、最終処理でどんな食料を作ろうと思いのままだ。

 これまでアイランズ・メリーゲートがある程度の食料自給率を確保していたのは、この有機物再処理工場の働きが大きかった。メリーゲート国内で生産される食料の約四割、自給率にしてほぼ二十パーセント分を賄っていたのである。その重要極まりない再処理工場が市民団体に目の敵とされているのは、ある意味では、アーデルハイトたちに原因があった。

『――絶対に安全だとされてたわけですから、市民の不信は無理もないと思います』

『再処理工場のシステムが事故を起こしたわけではありませんよ。小惑星の衝突にまで配慮を求めるなら、すべての発電所や化学工場、研究施設まで問題にしなければいけません』

『しかしね、現に事故が起きているわけでしょ。大量のバクテリアがコロニー内に流出して、空気が汚染されてしまった』

『人体に害はありません。現在の状態でも、惑星上の自然な大気に比べれば綺麗なものです』

『コロニーの環境としては、異常じゃないですか。コロニーで生まれ育った人にとっては、将来、どんな影響が出るか――』

 ニュース番組の画面はデモ隊の映像からスタジオに切り替わっており、幾人かのコメンテーターがあれこれと喋っている会話が、耳に届く。コメンテーターのひとりが口にしたように、再処理工場の事故は小惑星の衝突によって発生したものだ。つまるところ、メリーゲート艦隊の小惑星群迎撃作戦は、完全な成功とは言いがたい結末に終わっていたのだった。

 すべては、首相の視察によって失われた四時間が原因だった。カーリーの本体がメリーゲート宙域に突入するのは阻止したものの、その軌道は至近といっていいものだった。カーリーほかの小惑星群は、水の氷と炭素質を中心とした、いわば凍った泥の塊であった。メリーゲートのコロニー群に接近するにつれ、恒星から受けるエネルギー量が増大したカーリーから、多数の欠片が剥落しはじめた。軌道変更のために与えられた衝撃によってカーリーの内部構造は大きな損傷を受けていたため、氷の溶解や熱量を得て膨張したガスの圧力などによって、緩やかに崩壊の途を辿っていたのだった。

 これはメリーゲート艦隊にとっては予想外の事態であった。カーリーから剥落した破片はコロニーの近傍で迎撃するほかなく、結果として数隻の艦艇が損傷し、十を超える破片がコロニー群に到達することになった。その多くは無人の農業用コロニーや工業用コロニーであったし、居住用コロニーに命中した破片も外壁あるいは内部構造や地面を破ることは出来なかった。採光部の窓を直撃するという幸運に恵まれた、ただひとつの破片を除いては。

 厳戒態勢で待機していた工作艦とコロニー整備員の応急処置によって空気の流出は最低限に留められたが、突入した破片はコロニー内の産業区に落下し、有機物の再処理工場の屋上を突き破ってバクテリア槽を直撃したのだった。

 衝撃で飛び散ったバクテリアは少量だったが、そのあとが問題だった。コントロールを失ったバクテリアの菌株が爆発的に増殖し、コロニー内に流出していった――文字通り、流出だった。どろりとした菌の塊が屋上の穴から溢れてくる映像は、ニュースで繰り返し放送され、再処理工場に対する視聴者の嫌悪感を煽っていた。

 現在では、屋上の穴を塞ぐことで新たな流出は防がれているが、暴走したバクテリアの沈静化は成功していなかった。流出したバクテリアの回収もまた、困難を極めた。まるでスライムのような流動体であるバクテリア塊は、マスクと防護服を纏いスコップを握った作業員たちによって、どうにか大半が回収されたのだ。薬品による可能なかぎりの殺菌作業のあとは、自然の拡散に任せるしかなかった。

 つまるところ、市民団体などが再処理工場を攻撃する理由が、それだった。万一のときに制御できないものなど危険で仕方ないという論調だった。一面では道理かもしれなかったが、リスクはリターンと比較されて論じられるべきものだった。発生確率が万に一つのリスクを負うことで、万のリターンが得られるのであれば、それは許容されるべきリスクであるだろう。

「あの連中、自分たちの食べるものがなくなっても同じことが言えるのかな」

「自分の生活を犠牲にしても信念を貫けるなら、立派なものです」マリーの口調は穏やかだったが、口にしている内容は、ともするとアーデルハイト以上に辛辣かもしれなかった。

「もっとも、それほどの信念があるなら、これまで黙っていたのが不思議ですけど」

「まあ、マスコミと市民団体サマがあれだけ騒げば、死人だって反対運動に参加するだろうよ」

 報道が"世論"を作り上げれば、自分で考えることに慣れていない一般市民はなんとなしに反対という意識を抱く。政治家は選挙のために世論に迎合した発言を繰り返し、それが報道される。そうして、その報道が――負の連鎖だ。

「市民団体とは名ばかりの活動家と、ポピュリスト気取りの莫迦な政治家と、三流マスコミとのトロイカ体制か。まったく、私達の故郷は、衆愚政治に向けてひた走っているようじゃないか?」

 アーデルハイトは肩を竦めたが、しかし、それは冗談では終わらなかった。


 その数日後、政府は、有機物再処理工場の操業自粛を各社に要請したのだった。自粛要請、である。あくまで、強制力を伴うものではない。自粛であるのだから、判断は各企業に委ねられている――それが建前ではあった。無論、民間企業が政府の要請に逆らえるはずもなかった。アイランズ・メリーゲートの各コロニーに点在する三十二もの再処理工場が操業を停止した。それらの工場で働いていた従業員は、約六千人。原料となるゴミや汚泥の収集や輸送、再処理後の食料品の流通販売など関連する企業まで合わせれば、数万人が職を失う計算になる。その数万人の大半には、養うべき家庭があった。

「……酷いことになりそうだな」アーデルハイトは、そのニュースを停泊中の≪ハーキュリーズ≫の艦長室で知った。

 失業については、まだいい。職を失った数万人にとっては悲劇でも、数千万のうちの数万でしかない。ここでアーデルハイトが懸念しているのは、食料問題だった。

「と、いうと?」独り言のつもりだったが、リズは興味を持ったようだった。

「つまり、工場が作っていた分の食料をどこから持ってくるか、だよ」

 アーデルハイトは、順を追ってリズに説明した。農業用コロニーでの増産は、難しい。ほとんど常にフル回転している農業コロニーに、生産力の余剰はないからだ。無論、農業コロニーの新規建設などは、時間がかかりすぎて論外である。であれば輸入する以外にないわけだが、輸入というのは当然、タダではない。更に問題なのは、輸入先の最有力候補がアイランズ・ホンロン(紅龍)であることだった。ただでさえ食料その他の輸入先として依存度が高いところに、再処理工場の生産分まで輸入量を拡大すれば、どうなるか。

「ああ、つまり」理解した様子のリズに、頷いてみせた。

「そう――私達の胃袋が、ホンロンの連中に握られるってことさ」

 安全保障上、それは大いに問題だった。政治と経済は別などといってみたところで、いざというとき、経済は外交カードの一つになるのは間違いない。食料やエネルギーの輸入先、あるいは製品の輸出先を分散するのは、国家として当然のリスクコントロールである。そして、あまり友好的とはいいがたい関係にある相手に、食料供給の大部分を依存することがどれだけ危険か。そんなことは、少しでも自分の頭で考えたなら、判るはずのことだった。

 いや、実際、多くの人間が理解しているはずだ。軍人のアーデルハイトでさえ判ることを、専門家である官僚たちが気付いていないはずはない。それでも、国内生産量の四割もの食料生産が止まれば、どうあろうと輸入に頼るしかない。そして、食料の輸出国は、そう多くはないのだ。

「胃袋、ですか。飲食関連の比喩は、私にはあまり実感が持てませんが」

「重水素を輸入に頼っているとして、その貿易相手と戦えるか?」

 軍艦であるところのリズにとっては、核融合燃料の重水素が食事のようなものだった。納得した様子をみせたあと、リズがまた声をあげる。

「では、ホンロンから買わなければいいのでは?」

「道理だけどね。どこだって、そんなに食料の余剰生産力があるわけじゃない。それをカネに任せて買い漁れば反感を買うよ」

 もっとも、主張されている当面の対策はそういったものだった。再処理工場の安全性の証明などより、輸入量を増やすという安易な方向へアイランズ・メリーゲートの世論は進んでいるようだった。


 ――すべての有機物再処理工場が停止してから、三年。当時の連立政権は崩壊し、躍進した保守政党へと政権は交代していたが、再処理工場の操業は未だに再開されていなかった。

 アイランズ・メリーゲートの憲政史上でも五指に入ると評価されつつある、若く有能なアベル・レヴ首相の政権下においても、状況は改善していなかった。ことのすべては、辞任から一年を待たずして史上最低の首相との評価を確固たるものにしたカーン前首相の置き土産によるものだった。

 前政権は再処理工場の操業について、百パーセントの安全が確認されるまで再開を認めない旨を宣言していた。これは無論、再処理工場のバクテリアが暴走したことに対する世論の不安に迎合したものだったが、今では再処理工場の操業再開を阻む最大の呪縛となっていた。

 それにしても、百パーセントの安全である。多少なりと常識を持っている人間であれば、少し考えれば、そんなものの証明は不可能だと分かりそうなものだ。百パーセントの安全とは、言い換えれば、事故が発生する可能性がゼロであるということだ。

 だが、何かが存在しない、起こらないといったことを証明することは不可能である。俗に、悪魔の証明と呼ばれるものだが、つまるところはこうだ。

 命題、青いバラは存在するかどうか。これが存在すると証明するには、どうすればいいか。その実物を示せば、それで事足りる。では、"ないこと"を証明するにはどうすればいいだろうか。どこかの研究室で密かに育てられているかもしれない。あるいは、人類の未だ知らぬどこかの惑星でひっそりと咲いているかもしれない。無限の宇宙には無限の可能性がある。青いバラが存在しないことの証明は、不可能である。

 つまるところ、百パーセントの安全性を求めるというのは、そういうことだ。まして、この場合、"あること"を証明する側にとっては、既に発生した事故という証拠がある。事実として一例でも存在する以上、百パーセントになることは有り得ない。絶対に到達できない条件だと、最初から解っていることだった。

 事故のリスクとは、発生確率とその影響によって、対策を考慮されるべき性質のものだ。数万年に一度という自然要因と、数百年に一人の愚かな政治指導者という人的要因。そのような極小の可能性にまで対策を講じておくのは非効率的であったし、いかなる場合でも人的要因による影響を完全に排することなど、システムの側では不可能なことなのだ。

 それが、道理である。そして、それを理解しないのが市民である。古代ローマの昔から、市民の本質は常に変わらない。彼らを動かすものは、パンとサーカス。そのパンを焼く麦の出所、焼くための薪や人手、それらに掛かる費用――そんなものを考えようとは思わない。現代のサーカスたるマスコミに踊らされ、その笛の音色のままに、パンが足りないと為政者を責め立てるばかり。

 呆れるほどに愚かで身勝手な存在。アーデルハイトはそう断じていたが、ただ、彼女の生業は、その愚劣な市民と彼らが住まう故郷を守ることだった。

「――士官食堂も、また値上げだそうですね」

 マリーの盆には、洋風の食事があった。パンと豚肉のソテー、それにどろりとした代用卵のスクランブルエッグだった。マリーが愛する生卵は、今では滅多に手に入らない高級品になっている。鮮度の関係で輸入は不可能であったし、多くの飼料が必要な畜産業は、食料事情の悪化しているコロニーではまず営めない。家畜の前に、まず人間が食べるだけの穀物を確保しなければいけないからだった。

 もっとも、豚肉についてだけは事情が別ではあった。人類が未だひとつの惑星の上にだけ住んでいた頃、中世と呼ばれる時代。街中で飼育されていた豚は、糞尿や生ゴミの混じり合った汚泥を食べて肥え太っていた。本来それらを加工するべき再処理工場が停止しているため、豚どもに与える餌には事欠かないからだった。

 とはいえ、それで食肉問題が解決するかといえば、そうではない。いかんせん、豚肉である。人類の三分の一を占めるムスリムはそれを食することが出来ないし、ユダヤ人も同様であった。その名が示すとおり、レヴ首相もまた、シオンの民である。そのあたりの宗教的禁忌には敏感であったから、高いコストを払ってでも、牛肉や羊肉の輸入は継続されていた。

「公務員だからな、我々は」

 アーデルハイトの皮肉に、マリーは苦笑を浮かべた。確かに、まず公務員が負担を被るというのは正しい姿ではあった。もっとも、まず真っ先に範を示すべき政治家がそうしているかどうかは、また別の問題だった。

「ニュースで、元首相が言ってましたよ。この三年、食糧は足りているじゃないかと」

「……奇遇だな。私は、物価の上昇と財政赤字の拡大について、与党を攻撃しているという報道を見たよ」

 いっそ、清々しいまでの自己矛盾といえた。食糧が足りず、コストの高い輸入に頼っているから物価が上昇しているのであり、財政赤字の拡大もまた、輸入の拡大によるところが大きい。

「大体、食糧が足りているというなら、三年前のあれはなんだ? 贅沢は敵だ、だったか?」自分で口にしたことも忘れたのかと、アーデルハイトは吐き捨てた。

 再処理工場の全面停止後、食糧不足が顕現化しはじめた頃にカーン元首相が全市民に向けた演説で言い放ったのが、その言葉だった。確かに飽食は忌むべき大罪のひとつではあるが、それと物資不足による窮乏は完全に異なるものである。市民に耐乏を強いて、その状態を以ってして食糧は不足していないと強弁するのは、あまりにも暴論というものだろう。

 たとえるなら、一家の家計において支出を極限まで切り詰め、空調も使わず、衣服はぼろぼろ、食事は栄養失調寸前にまで削り、それでようやく収入の範囲内に納まって生活している家庭を、金銭的に不自由していないとするようなものだ。

 そして、そこまでではないものの、それに近い家庭はおそらく少なからず存在している。再処理工場の停止によって、多くの失業者が生じていたからだ。職を失い困窮する彼らへの支援は行われていたものの、充分なものではないはずだった。当然、それは政府への不満へと繋がる。そして、失業者である彼らには、時間だけはたっぷりとあった。

「十万人規模のデモがあったといいますが、本当でしょうかね」

「精々、十分の一ってところだろう。それにしたって、大した数ではあるが」

 その手の反政権デモや集会が、このところ頻発している。彼らは物資の不足や物価の上昇、貿易赤字について現政権を責めたてる。その原因を作ったのが誰なのか、対策として何をすべきなのか。それについて触れられることのない、無意味な集会である。ただ反対を唱えるだけならば、誰にでもできる。だが、対案なき反対は、無責任の謗りを免れまい。

 もっとも、本当に無意味とまではいえないのかもしれない。少なくとも、マスコミや野党が現政権を攻撃する材料にだけはなる。一部の、自分たちに都合のいい声だけをとりあげて、それを市民全体の世論だとするのは古来からマスコミの得意とするところである。

 本当に笑えないのは、そのデモの先頭に立っているのが、前首相であるカーンだということだった。中央政界を退くと宣言して尚、この始末である。

「内憂外患とは、このことですね?」

 まさしく、というところだった。アーデルハイトやマリーにとっては、"外"の問題こそが本来の領分である。その問題は、現在進行形でメリーゲートの政界を悩ませている問題でもあった。

「ああ、例の資源衛星な……」

 メリーゲートの主権宙域の外れに位置する小惑星帯で、ホンロン船籍の採掘船団が不法な採掘を繰り返している。そのことを指して、マリーは外患といっていた。

 こちらの主権宙域側での不法行為とはいえ、あくまでも民間船舶を装っているために、いきなり撃沈というわけにもいかない。メリーゲートの場合、主権宙域内の航路保全や犯罪取締りを担当する航宙保安局の巡視艇が拿捕ということになるわけだが、ことはそう上手くは回らない。彼らが警備すべき宇宙空間はあまりに広く、巡視艇はあまりに少なく、そして侵入するホンロン船団の数はあまりにも多い。料理に集る蝿の群れを、一匹づつ捕まえていくようなものだ。手が足りるはずもなかった。

「一方的に係争地域だと宣言して、こちらには採掘自粛を要求して。自分たちは盗掘、ですからね」

「そのうち、本格的な採掘施設を据付けにくるぞ」

 ありえないことではなかった。そうして、自国民と資産を保護するという名目で、大手を振って正規艦艇が出てくる。主権宙域に軍艦が侵入してくれば、もう後戻りは出来ない。戦争を回避するには、大人しく譲り渡すか、外交で粘り強く戦うしかない。

 が、そこで食糧問題が壁になる。もし紛争となれば、当然、ホンロンとの交易は全面的にストップする。食糧輸入の少なくない部分をホンロンに頼っている現状で、その決断が可能かどうか。戦争と経済は、決して不可分ではない。そのいずれもが国益を追求するための要素である以上、どうしても、関係ないでは済まされないものだった。

 仮に、ホンロンが食糧輸出の停止をちらつかせて譲歩を迫ったとき、毅然としてそれを退けることが出来るのか。ことは食糧。酸素と水と並ぶ、人間にとっての生命線だ。古来、腹が空いては戦は出来ぬとの言葉があるが、そのとおりになりはしないか。

 それに、そもそもの問題として、仮にホンロンとのあいだで開戦して完勝したとしても、メリーゲート側の抱える食糧問題は解決しない。勝って小惑星帯の主権問題を決着させたからといって、メリーゲートが食糧を完全に自給出来ない状況が変化しないかぎり、食糧問題は続く。

 戦争の結果がどうであれ、売る気がない相手から商品を買うことは出来ない。交易とはあくまで民間ベースのものだからだ。ホンロン側の"民間"が建前でしかないとしても、建前とは一定の効果があるからこそ用いられるものだ。

 これを解決するには、三種類の方法しかない。

 ひとつは、自給率の向上。もっとも真っ当な方法がこれだ。農業生産力の拡大や、再処理工場の再稼動などがこれに当たる。強弁すれば、節制による食糧消費の削減も含まれないこともない。実際、外食産業や小売業による食品廃棄物の量は馬鹿にならない。再処理工場が停止している現状では、それなりには効果がある施策ではあった。ただし、経済への悪影響を考慮しないならばの話ではあるが。

 次に、第三国からの輸入拡大。仮想敵国たるホンロンに頼らずに、食糧の調達先を分散させる。対ホンロンという意味では有効ではあるが、自給率の問題が解決されないかぎり、際限なく国富を流出させ続けることにもなりかねない。その結果は、失血が続いた末の衰弱死でしかない。短期的にはともかく、平行して自給率を向上させなければ、無意味な方法である。

 そして最後が、軍事的成功による解決――つまるところが、ホンロンの制圧である。艦隊戦力を完全に殲滅し、降伏を強い、支配下において収奪する。ホンロン市民には最低限の物資を与え、余剰生産力のすべてはメリーゲートのために活用する。ある意味では、ホンロンとのあいだに存在するすべての問題を解決させる究極的な方法ともいえた。もちろん、それは対ホンロン問題に限ったことであって、ホンロン制圧によって新たに生じるであろう問題は無数にあるだろう。そもそもにおいて、対外的に防衛艦隊と称しているメリーゲート艦隊がホンロンの主権宙域へ侵攻するなど、諸外国にどう説明をつければよいのか見当もつかない。力による現状変更を否定する国際世論を考慮するなら、まず採り得ない前時代的な解決法であるだろう。

「――いずれにせよ、保安局だけでは手が足りませんよね」

 思考を中断させたのは、マリーの言葉だった。確かに、と。同意してから、アーデルハイトは呟いた。

「私たちも、そのうち駆り出されることになるかもしれないな」

 そして、その言葉は現実になることになった。ただし、想像を遥かに超えるかたちで。

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