表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

土塊

作者: 八守

 私達は土で出来た塊である。ただそこに動きがあり感情があるだけの土塊である。


 私達はそこに意味を見出す土塊である。私は他の個体とは違う土塊で、それを証明しようと意味を見出す土塊である。


 土塊に感情があることに疑問を見出すのが私達である。疑問を抱いたことで他の何かに変われると信じる土塊である。そこに意味があろうとなかろうと、土塊は考えることをやめようとはしないだろう。ただ考えると言う行動に土塊は日々を費やしていくのだから。

 

 土塊に何を求めているのだろう?土塊は何を求めているのだろう?


 時に命を。

 時に時間を。

 時に金銭を。

 時に自由を。

 時に真理を。

 時に慈愛を。

 時に安寧を。


 どの個体にもそれぞれの価値があると信じている。それが私という土塊である。

 けれどそれと同時に相反する価値観を見出してもいる。


 本当はそれぞれ、土塊はひとつのことに注視して生きているのではないか。それは生存本能や種の存続といった凡俗なことではなく、とても不明瞭な考えの一滴。


 生まれた瞬間から存在が許されたもの。それが私達土塊である。

 忌み子も悪鬼も、世界から、世間から嫌われようとも、それでも全てを許すのが私達土塊である。許容と言う寛容から筒抜けた存在が、土塊である。


 土塊は考えるのを止めないものである。性格には止めることができないものである。いついかなるときも知識を欲し。文章が綴られればそれを見ずにはいられない。

 浅慮な否定を良しとせず、ありもしない意味を求めようとするだろう。それが私達土塊である。


 ともすれば、私達は自分自身が土塊であることを否定するだろう。


 許容の限界が否定だろうか。肯定の逆こそが否定だろうか。苦悩に囚われることが否定だろうか。疑問に答えを見つけなければいけないだろうか。


 それは違う。そう断定したのが私という土塊である。

 例え私という土塊が他のものであったとしても、私は変わらずにいられるだろう。


 大地に芽吹く花々のようにたおやかに。時にしたたかに。

 肌に触れていく風のようにやわらかに。時にさめざめと。

 闇夜を多くの光で煌めかせる星のようにこうこうと。時におぼろげに。


 土塊であることを誇りに思う。

 私は土塊であれてよかった。


 誰に強いられたわけでもなく。誰に願われたわけでもなく。こうして私自身が信じてあげられる。そんな土塊であることが心より嬉しいのだ。


 ありがとう。


 ここに、土塊である私の記述を終了する。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ