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なんだこいつ。
お座なりの挨拶ひとつ、迎えた客の容姿を認めるなり警鐘が鳴った。
どこからどう見ても、怪しい風貌の客が来たものだ。真夜中に濃い色のサングラスって、可笑しくないか――サングラス……。
心に引っかかるものがあった。
あからさまな亮介の視線に臆することなく、サングラス越しに剣呑な視線を投げる男は、ふいと逃れるように雑誌のラックに足を向けた。
冗談でもサングラスをかけたまま雑誌を立ち読む酔狂はいまい。男はゆっくりと通りすぎ、飲料水の並ぶ棚を漫然と眺め、搬入前でいくつも隙間の空いた弁当類に目をやり、要は店内をぐるりと一周した。
目的もなく、深夜のコンビニをただ徘徊するなど怪しいことこの上ない。
レジ前を通る男は足を止め、見守る亮介に面と向かい合うなりポケットに突っ込んでいた右手をいきなり引き出し、亮介の鼻先に突きつけた。
「金を出せ」
顔面に突きつけられたものがなんであるのか、二の句を告げない亮介に焦れた男は手に握られた鈍色の切っ先を左右に振った。妙に目の冴える赤色の握り手のナイフだった。
防犯カメラに映った犯人らしき男の外見ならしっかりと目に焼き付いていた。同僚の死角となって犯人の顔は見えなかったが、格闘の末に弾き飛んだサングラスと、無防備となった脇腹に吸い込まれていったナイフの柄の鮮明な色は忘れようもなかった。
亮介の脳内を雑多に入り混じっていた思考が整然と連なり、どこかでなにかが音を立てて爆ぜた。
「お前かぁー!」亮介は怒声を上げると同時に、ナイフを持つ手首を掴んで瞬時にこちらへと引き込み、空いたほうの手で襟を掴んだ。
逃れようとするのを満身の力で阻みながら、狭いカウンター内で腰を落として懐に潜り込んだ亮介は、担いだと同時に投げ飛ばした。型も減ったくれもなかったが、全国大会出場の肩書がやっと日の目を見た。文字通り出場というだけで、入賞すらしていない余談もあったが。
煩雑なカウンター内に放り出された男はぐうの音もなく気絶していた。格闘の弾みでナイフを手放していたようだが、両手を後ろ手に締め上げてから店長を呼んだ。
あっという間もない出来事ではあったが、深夜のコンビニにはいささか不釣り合いな派手な物音に、いい加減気づいてもよさそうだ。
さては店長、業務日誌を書くとかもっともらしい理由に眠りこけてんじゃないのか。
何度目かの亮介の大音声に転び出てきた店長は、憤怒の形相をした亮介の下に組み敷かれた男という、寝起きならなおさら理解不能なものを目撃するなり「お客様の対応マニュアル、ちゃんと目を通した?」と、頓珍漢甚だしい。
やはり眠っていたらしい。俺も人のこと言えたもんじゃないが。
諸事情により最近まで働いていたバイトを辞め、とはいえ、通い慣れた勤務地が駅の西側にあったのに対し、新たな職場は同じ駅の南口を望む大通りに面してある店だった。仕事内容はさして変わらない。
「警察に電話してください。多分強盗です」
唯一違ったのは防犯対応マニュアルなるものがあったことくらいだ。刃物などの凶器に慌てることなく冷静に対処し、云々――目の前で凶器を振り回す相手に冷静の二文字は真っ先に消し去るという注意書きが必要であることを、亮介の先の行動が証左している。
「とにかく電話!」
暴漢に立ち向かう蛮勇の持ち合わせはあっても、病室に行く勇気だけはいかんともし難かった。罪を帳消しにできないまでも、これは亮介が報うべき咎だった。本来ならば、亮介も同じナイフで刺されるべき罪を負っていたのだから。
正月休みを利用して、亮介は久しぶりに実家で過ごしていた。大学を卒業するまでは当たり前に寝起きしていた実家ながら、一度離れた身分としては居間のソファに寝転がってテレビを見ていても、どうも落ち着かない。
必然、実家へ顔を出すのも疎かになりつつあった。亮介が住まう家の近所で起こったコンビニ強盗のニュースに端を発し、母親から「一度顔を見せろ」とまさしく矢の催促を受けて、ようやっと重い腰を上げたのだった。
実家へ戻った亮介に対して、母親は開口一番「大丈夫なんでしょうね?」だった。夢で事件を目撃したという特異を除いては事件に直接的な係わりはないのだが、亮介の立場としては多少なりとも複雑だ。
そもそも、息子が実家の敷居を跨いだ時点で大丈夫であるのは自明ではあるが、母親とは生来子供を心配して止まないものらしい。
「すぐに帰ってきてちょうだいよ、お父さんもお母さんも心配するでしょう」
煩わしさを眉間の皺に乗せて反目するも、「この目に顔を見るまでは心配に決まってるじゃない。だって家の近所で人が刺されたのよ?」とは、母親の正論だ。
「近所だからって、もうあのコンビニに行かないでちょうだいね。あ、ついでだから、ここから会社に行くのだって大して時間はかからないんだから、この際戻ってらっしゃいよ」
またそれか。確かに会社までの通勤時間は実家からでもさほど変わらない。一人息子が独立をしたらしたで、途端に手持無沙汰に陥るのは母親の特権らしい。それほど過保護であったと自覚はないが、もうそろそろ子離れして欲しいものだ。亮介は母親の言葉を敢えて聞き流した。
「毎月のお家賃だって、バカにならないでしょ? ご飯だってまともに自炊してないだろうし」
「幸いにも堅実な勤め人です」
「堅実って言ってもね、いつ何時病気や怪我で病院にお世話にならないとも限らないでしょうに。備えがなきゃ」
「一応、人並み程度には貯金もしてる。保険にも加入してます、堅実だから」
地団太を踏んだ母親は、テレビ横のいつものソファで新聞を読む父親に助けを求めるも、父親は紙面から顔を上げることなく言った。
「十分堅実だ」
「それにね、俺だって一家の長として家庭を持つ日も――」
「あら! いるの? 彼女が! 結婚する気あるの? ねぇ、ちょっと、お母さん紹介もされてないわよ!」
とんだ藪蛇だった。
「まぁ、今後、可能性があるってことで」
「いるの? いないの? どっちなのよ!」
墓穴を掘った亮介はだんまりを決め込み、母親としては自分の息子に彼女の存在があるのかないのか心を乱し、読者の投稿欄を一心に読みふける父親は乾いた笑い声を上げた。
「この家の男たちは……!」
怒り心頭の母親には悪いが、その父親の血を分けた息子なのだから致し方がない。覆しようのない真実を告げれば、逆鱗に触れかねないので黙っていることにした。
久しぶりに家族が揃ったことで狭い台所内を夕飯の支度に奮闘していた母親が、合間を見つけてお茶のお代わりと、茶請けをテーブルに置いた。
「親御さんも大変でしょうね。まさか自分の子供が理不尽な事件に巻き込まれるなんて。それがウチの子だったらって、想像しただけ夜も眠れなくなっちゃうわよ。あー嫌だ嫌だ」
自分の両肩を抱いた母親は大袈裟に身震いしてみせた。
黙然と茶をすすりながら、今日の献立は好物ばかりを取り揃えてくれているであろう、身近な事件にも心を痛める母親の不変である情愛に感謝した。
三様の夢から覚めてみれば、とんだ伏兵であった白井によって事件は呆気なく終息した。白井の剛直なまでの顛末は亮介の望む結末とはいささか違ったが、徒に時間を弄していた亮介が文句を挟む道理などない。
亮介の力はこれから先なにを見せるのか、心ならずも苦渋を強いられるとしても、それでも必ず救いはあるはずだ。少なくとも亮介はそう信じている。石田は言うに及ばず、白井もこれ以上の自責の念に苛むこともなくなったわけだし、そして最大の救いは、彼女の満面の笑みに出迎えられた青年を措いて他にない。
人様から借り受けたものを横取りしてなんだが、熱い抱擁に年甲斐もなく慌てふためいた亮介は赤面に暮れた。まぁ、こんな夢も悪くない。
了
ラストを収めるために無理からダークホースとなった白井さん。(上手くない
これをゴリ押しというのですね。