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 夜の闇に静かな沈む住宅街に突如として浮かび上がるコンビニの明かりに思わず目を細めた。健全な日中であれば感じない侘しさを、夜明け前のコンビニに感じるとは思ってもいなかった。夜にあっては眩むばかりの明かりで補おうとしても、夜中の侘しさだけは拭えない。

 亮介はコンビニの明りに己の心根を透かしてから、いよいよ覚悟を決めた。

 コートのポケットに両手を突っ込んだまま、ポケットに滑りこませたナイフをしっかりと握り締めた。

 時間潰しに立ち寄ったディスカウントショップのショーケースで見つけたエナメルの柄を持つナイフを購入したのは、単なる気紛れだった。購入時はただのペーパーナイフでしかなかったものを、亮介自身が刃を磨いた後日談もあるが。理由はなくはない。心のどこかで足が付きにくいと思っていたのかどうか、ただの紙切りナイフを正しく取り憑かれたように磨いたのは今日のこの日を置いてない。

 銀行や郵便局に押し入るほどの度胸はないが、コンビニならどこにでもあるし、店の人間だって、時給に妥協して働いているに過ぎないその辺の若者だ。明らかに切れそうなナイフを見せれば数万などすぐに出す。防犯カメラだって、顔を隠せば亮介自身を盲目にする。とにかく顔を隠せばいい。

 短絡的過ぎないか? 亮介は重い足取りを止めた。ほんの数万をせしめたところで、亮介の現状を打破するには遥かに遠い。人一倍金を手に入れたい状況にはあったが、ナイフ一本で幾ら稼げる。それに成功する確率なんてほんの僅か。下手すれば捕まって終わりだ。

 でもやるしかないんだ。

 もはや強盗に突き進む訳なんて思い出すのも億劫になり、サングラスをかけた。コンビニの駐車場に車も人の影はなく、ガラス窓の向こうに客らしい人影もない。店員はどうだろう。カウンターに所在なさげに突っ立っている若い店員しかいない。駄目なら駄目で、客のふりをして帰ればいい。

 踵が鉛になったようだと、疲弊した両足を引きずる亮介はドアに手をかけ押し開いた。開閉部に設置されたチャイムが鳴り、ぼんやりとした店員も挨拶と共に亮介に振り返った。若い店員は亮介を見るなり眼を丸めた。当然の反応だ。亮介は努めて冷静に店内を見渡した。閑散とした店内には亮介と、暇を持て余す店員の二人しかいない。

 耳の後ろで鳴り響く鼓動は、店内に足を踏み入れた途端に心地よい潮騒に変わった。寄せては返していく波打ち際。そんな穏やかな潮騒を聞いて、亮介は自分が意外にも落ち着いている事実に少しだけ困惑した。

 脅せば金が手に入る。顔を隠していれば、自分に繋がるものはなにもない。

 不審者の来店を明らかに訝しむ若い店員に向かって亮介は足を踏み出した。


 亮介は夜明け前の細い路地を疾走していた。振り返るのが怖かった。振り返れば捕まってしまう。それは警察であり、ナイフで刺した若者であり、自分の後をひたひたと付いてくる拭い切れない闇だった。気がつくと掛けていたはずのサングラスもない。亮介は一連の場景を反芻するまでもなく、ああと嘆息した。ついでに、一心不乱に駆けていた足も途端に縺れて、多々良を踏むようにその場に立ち止まった。

 サングラスはコンビニにある。店員に殴られたときに飛ばされてしまったのだ。

 なんであんなことに。自分の怪しげな恰好を見るだけで目を逸らした青年の思わぬ反撃は亮介を混乱させた。気が狂れたように磨いたナイフは、柔らかい皮膚を突いて簡単に刺さった。

 亮介は握ったままの右手を見て愕然とした。ナイフがまだ右手に握られたまま、手とナイフを染める血は黒く変色しながらも、異様に光って見えた。亮介は右手を振った。激しく揺らしても、堅く石のように硬直した指先からナイフは離れなかった。今度は左手を使って、拳を剥がしにかかった。途中、血に滑って思うようにはいかなかった。小指、薬指、中指と硬直した指を引き剥がし、ようやくナイフが足元に落ちた。血糊に塗れたナイフの刃先が街灯の照明を受けて鈍く光っていた。ナイフを拾い上げた亮介は、慎重に刃を折り畳んでポケットに仕舞った。ポケットには数枚の紙幣が認められたが、いまさら枚数を数えたところで詮無い、全てが終わったことだと再び歩き始めた。

 辺りを見渡す余裕が出て初めて、ここが自宅のアパートにほど近い一郭だと知った。ここからコンビニまでは二駅ほどの距離もあり、改めて長い道程をひたすら走ったものだと、場違いに笑った。足早に路地を抜け、右に左に角を折れると、一軒家が犇く辺りに紛れた二階建てのアパートが見えた。亮介は気配と足音を消して階段を登り、四つ並んだドアの左から二番目のドアに鍵を刺し込んだ。

 ふと亮介は顔を上げ、その辺の紙切れで書いた表札を見た。名前――石田(いしだ)。石田……か。

 亮介は自分の名前に違和感を覚えつつも住み慣れた部屋に入ると、不思議な蟠りもすぐに消えた。逃げ場所はここしかない。他に行き場もない。

 亮介はコートとツナギを脱ぎ捨て万年床に滑り込んだ。寝たところで問題の先送りにするだけであったが、しかし亮介は眠りたかった。夢のないただ深い眠りが欲しかった。


 夢とは言え他人の思考の逆流は亮介の体を芯から疲弊させた。それもそのはず。亮介の特殊な夢は人の生活を垣間見ることなのだから、本来の睡眠とは逸脱している。

 こんなことをあえてする必要がどこにあったのか、そして遅れ馳せながら後悔に項垂れた亮介は、意味もなく部屋を見渡した。ここは俺の部屋だ。亮介に馴染んだ部屋の様子はいつもながらに、当たり障りのない家具には亮介に直接繋がることのない大量生産の一つではあるが、ここはやはり自分の部屋だった。亮介の寝床はベッドという体裁があり、夢と現実を切り離すための明らかな違いがある。違いがありそれを認めてもなお、亮介は夢の残滓に囚われていた。

 石田。夢に乗って現われた犯人と思しき男の名前と、道中に流れ去った景色はしっかりと記憶に刻んでいた。

 亮介は記憶が薄れる前に、煩雑に脱ぎ捨てられた衣服の奥に隠されていたポケット版の地図帳と探り出した。あれば便利だと、なおかつ小さければ持ち運びも簡単だと思って購入した地図帳だが、早々に後悔してしまった。とにかく対象物が小さい。そうと知っていれば大判にしとけばよかったとページを捲るたびに延々と舌打ちしたくなるのだ。

 例のコンビニから北に走った石田が走破した道を人差し指でなぞりながら、行きついた先にはサカエコーポとあった。

 あとは、電話とかすればいいのか。垂れ込みというやつだ。亮介は手持ちの携帯に目を止めるも、即座に否定した。善良な市民としてのこれは義務であり、情報提供をするに吝かではない。が、最寄りの交番の電話番号など知らないし、110番という回線は一体どこに繋がるのか。もしかすると、もしかするまでもなく徒労だと思い至った亮介は諦め半分、地図帳を投げ出した。

 いきなりの頓挫は亮介を落胆させるに十分だった。亮介が突き動かされるままに探し当てた犯人の名前も住んでいる場所も突き止めたというのに。

 なんのためにここまでやったんだ。繰り言は止みそうもなく、短絡と、己を呪うほどの軽率さを認めざるを得なかった。


はたして最終話へとつなげられるのか、綱渡りの恐怖。

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